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2005年3月 1日 (火)

ダムは岩の上にできるのではない

 八ッ場ダムに関する国会質問が続いています。今度は神風(じんぷう)英男議員が、2月28日の衆議院予算委員会分科会第八分科会で行いました。

 国民負担、完成時期、水余り現象、基本高水流量の非現実性、八ッ場ダムの治水効果のなさについての質問。それに対する河川局長のダラダラ答弁の後、最後は、地元の生活再建についての質問でした。以下、私が聴き取った概要です。
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神風英男議員:
大臣は吾妻渓谷には行かれたことがございますか

国土交通大臣:
まだありません。

神風英男議員:
私は、昨年、11月22日、23日とダムサイト建設予定地等を視察してまいりました。そこで、旅館を経営されている方と何人かでお話しをしてまいりました。

現地の皆さんは、たいへんな思いの中で50年を過ごされてきたのを実感しました。家族も生まれたときから毎日「ダム、ダム、ダム、ダム」で話が二転三転している。人間関係もそれでズタズタにされてきた。皆さん疲れ果てて、とにかく、次の新しい生活を見切りをつけて発車をしたい、そんな思いが一番強い。ダムがどうなろうといい。早く、自分たちの生活を再建したいというのが、一番大きな皆さん方の希望でございまして、私自身は、八ッ場ダムは無用の長物だと思っておりますが、生活再建を皆様方には、ぜひ、きちんとしていただきたい。

旅館のご主人がお話されていた言葉に、「ダムは岩の上にできるのではない。人々の犠牲の上にできる」。だからこういったダム問題にも、心のケアを取り入れてもらいたいということをおっしゃっておられました。八ッ場ダムに限らず、いろいろな面で公共事業の場合は出てくるので、大臣にお願いしたい。

国土交通大臣:
ダムにつきましては、当然、社会情勢や経済情勢が変化しますので、その都度、適正な見直しが必要だと思います。しかし、一方で、治水面から見た場合、滅多に来ないことがやはりやってくるのが災害でございまして、そういったことを想定して、整備をしていく必要がある。それはおそらく過去から日本の歴史が始まって以来(なぜか、ニヤニヤする:まさの感想)、治水というのはそういうもんなんだろうと私は思います。ただ、予算は限られたものしかございません。そういう意味では効率的に使わなくてはいけませんし、またソフトの対策も充実をはかっていきたいと思います。
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国土交通大臣は、答えなかった。生活再建の重大さについて。治水に話をすり替え、逃げました。すり替えるにしても、「利水」については、一言も反論すらできていない。

3月1日の読売新聞群馬版上毛新聞で、水没地に替わる「代替地」の分譲価格を、国交省が提示したというニュースを報じています。4度目の提示。

地権者は、ダムによる移転に対して「補償費」を受け取りますが、そのお金で、国土交通省が用意する代替地を買わなければなりません。その代替地の価格が、もらった補償費と比べて高ければ、高くて買えない。補償費と代替地のお金がイコールならば、新しい旅館やお店を建てることもできない。代替地を買ったからといって、新しい生活ができるわけではない。

代替地の整備が進んでいない。このことを、ある土地所有者が、「代替地を高くすれば誰も買わない。代替地を作らなくても済む。結局、国交省の狙いはそれじゃないか」と言うのをこの耳で聞きました。その時は、まさかと思いました。しかし、これが現地の方々のとらえ方なのだと、納得します。

実際、見通しが立たない中、移転者が相次いていく。追い出した形です。

ダムの第一番の「受益者」は本来、犠牲を強いられる住民でなければならない。ところが、目的を失った八ッ場ダム計画で受益を受けたのは、現在に至るまで、工事受注者と献金を受けた政治家でしかない。

目的を失ったダムは中止すべき。
半世紀に渡る惰性の国策の犠牲者に対しては報いるべき。
この二つは矛盾しません。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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コメント

政野さんいつも解説を有難うございます。本当に助かって居ります。しかし神風議員の質問に対する国土交通大臣の返答内容にはホントがっかりを通り越して憤りを感じますよね。今後ともよろしくお願いします。

投稿: 藤永知子 | 2005年3月 2日 (水) 00時26分

藤永さま
コメントありがとうございます。ちょっと解説しすぎかしらと思いつつ、ついつい自分への理解の確認を込めて解説してしまいます。大臣発言は私もガックシ(政治家としてもうちょっと言葉があるべきだろうと)でしたが、ある意味、「国会」で忘れ去られていた問題=行政もおろそかにする、なので、遅ればせながら改めて認識してもらったという意味で第一歩かもしれませんね。現地の肉声と現状がもっと届かないといけないということなのだと思います。

投稿: まさの | 2005年3月 4日 (金) 10時14分

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