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2005年6月26日 (日)

八ッ場ダムの進捗

 読んでくださっている方から、八ツ場(やんば)ダムの工事進捗はどのくらいかというご質問をいただいていました(気づくのが遅れて失礼しました)。
 昨年の資料がどこかにあると思うのですが、さっと出てきませんので、「数字」は今週、国土交通省から新たに仕入れることにして、数字にはよらない物言いをさせていただきます。「まだ、全然」です。

 八ッ場ダム事業は、「国」が新しい代替地を物理的に準備してそこに移住するなり他へ移住するなりしてもらって、そこに住んでおられる方を追い出して、はじめて成立します。
 本来、「同意」がなくては開始できないはずのものです。
 
 ところが、八ッ場ダム事業の場合、新しい町づくりに必要な代替地をお持ちの方々の中に、同意されていない方がいらっしゃいます。その意味で、事業全体として、まだ、全然、進捗していないと言えます。

 その代わり、進捗しているのは、他のダム事業地域で起きたこととまったく同じ。
 地域破壊です。

 同意した人は、同意していない人のせいで、苦渋の選択をしたのにいつまでも新しい生活に移れないという心境になってしまう。もちろん、同意していない人にはなんの罪も責任もない。もちろん、思い込まされている人でもそれも分かっている。

 権利関係が曖昧で、信頼の上に築かれていた地域社会で、突然、権利がお金、つまり将来の生活保障を意味するようになり、地面を持っている人と借りていた人の間の関係が崩れる。

 国はこうして地域社会の崩壊を待って、事業を進めていきます。

 人が破壊されたあとに、ダムができるので、私は心からダムが嫌いです。

 八ッ場ダム予定地では、見切りをつけて出ていった人が多くいます。
 でも、諦めて反対の旗を降ろした人でも、ダムができるまでは動かない人も多い。もし事業が止まるのであれば、そのまま住み続けたいと考えている人もいます。

 私は何ができるのか。八ッ場ダムの犠牲になる人々が何を考えているのか、何を望むのかを伝える役割を担うべきなのか(しかし、それでその人々を少しでも幸せにできるのか?)、八ッ場ダムはムダな事業であると証明していくべきなのか。前者と後者は違うエネルギーと違う思考を必要とすると考え、動きが取れずにいました。

 誰が、不要なもののために、一生を翻弄されたと宣告されたいでしょうか。

 そこに暮らす人の気持ちに寄り添うと、私は八ッ場ダムが不要だということが言えなくなりました。しかし、ゴメンなさい。言わなくてはいけない。この事業はつじつまが合わない。ゴメンなさい。この事業はムダです。

 半世紀を経てもなお、進まない事業は、自動的に終了すべきです。
 社会も、必要性も、50年前とは全然違います。

 国の公共事業の見直し基準を、見直すときがきたと思います。

まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp
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