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2005年11月 7日 (月)

形骸化を実感せざるを得ない審議会

 10月26日1時半、吉野川のことが審議される河川分科会が開かれたので傍聴に行った。各地の複数の河川について、「河川分科会河川整備基本方針検討小委員会」の報告を座長が読み上げる形で進行した。該当資料をめくりながら、言及された箇所にポストイットを貼り付けるだけで精一杯の速度で流れていき、その報告が、そのまま分科会の結論となった。

 審議委員からは一言の質問もコメントも意見も出なかった。関係自治体の知事として徳島県知事と、その他の代理出席舎がコメントを述べたのみ。失礼ながら、審議委員についてはそこにマネキン人形でも置いておけば充分な様相。

 「河川分科会河川整備基本方針検討小委員会」の報告の部を終えて、審議会の休憩中の審議委員を捕まえて「あれでは審議になりませんよね。ポストイットを貼り付けるだけで精一杯のスピードです」と話を聞くと、以外にも率直に「はい」と審議会のあり方に疑問を呈される方がいた。

 「審議委員にも、事前に資料が送られてくるわけでもない。事前に説明があるわけでもない。突然、ああやって聞かされて意見をと言われても意見は出ません。地域の事情は時とともに変化するから、前に一度行ったことがある程度では意見も言えない。あのやり方ではダメだと前に再三言ったんですが変わらない」「あのやり方ではダメだとおっしゃっているんですか?」とびっくりして確認すると、「はい」と言う。

 実は、社会資本整備審議会だけではなく、他の審議会の委員に聞いても、審議会の形骸ぶりを吐露する人は多い。

 審議委員にも、事の本質が分かっているうるさがた審議委員から、マネキン人形・審議委員までいるから、うるさがたの審議委員には、事前に「ご説明」にいって審議会の開催日までにすべて疑問を解消させて審議会当日に疑問がでないように工作するが、それ以外の人には何の事前説明もない、という差別待遇を行う審議会もあることも分かっている。また、ある法律について、もう時代に合わないから「廃止してしまうべきだ」というこの上なく重要な発言を、審議会の中でははっきり述べたのに、議事録では削除してあげたという審議委員もいる。

【河川法から審議会を取り除く改正が必要】

 地方分権という概念と、霞ヶ関の一角で開かれる「審議会」はまったくそぐわない。審議を任された審議委員たちが、審議会が形骸化していることを知っていながら出席している。

 河川法の第十六条で、「国土交通大臣は、河川整備基本方針を定めようとするときは、あらかじめ、社会資本整備審議会の意見を聴かなければならない」となってしまっているから、これについても、河川法を改正して、この条文を取り除かない限りは、この形骸化した儀式を止めることは誰もできない。

 市民参加が求められる一方で、市民参加の余地がまったくない「審議会」が、「民主的な政策決定の手段」として、また、官僚以外の第三者や専門家の意見を聞く機会として、いまだに、そこにある。これはおかしいと言い続けるしかない。

【第十堰についての徳島県知事の意見】
 唯一、知事として本人が参加した徳島知事が、発言の機会を自ら求めて発言した点については、廊下で、あらためて、次のように確認した。

まさの「知事は『可動堰以外のあらゆる方法を検討する』という要望を国交省に昨年出し、その要望を国交省が反映させた形で、今回の原案が作成されたとお考えであるということでいいですね?」

知事「はい。ただその表明の仕方が違うということはありますね。しかし、私が平成16年3月に『可動堰以外のあらゆる方法を検討する』ことを要望し、それを4月に国交省が受けた形で「よりよい吉野川づくりにむけて」を発表した。それが原案の中に取り入れられていることは言えます」

現在の知事は、可動堰以外を公約に掲げて出てきた知事だ(第十堰はだから、よくも悪くも、前回の選挙では争点にならなかった。争点にならないほどに、徳島では、第十堰は可動堰にはしないことが、民意として定まったのがこの10年だった)。それが、97年に改正された「古い」新河川法に基づいて、河川整備基本方針を作るからと、今頃になって霞ヶ関で蒸し返したり、議論したりすることの滑稽さといったらない。

地域で10年をかけて培われた世論であり意思を、形骸化した「審議会」につぶさせるよう愚かな真似を、いまどきの国土交通省がするわけはないと思うが、徳島の人々は当然のことながら、釘を刺しまくっている。

詳しくは、 姫野雅義の吉野川日記 をご参照のこと。


まさのあつこ atsukom@mrj.biglobe.ne.jp

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コメント

第十堰での河川局高官の言葉はいまでも宙でいえますが,2000年の住民投票に対し竹村公太郎河川局長は「住民投票は河川法の仕組みとは無縁だ」続いて与党3党の白紙勧告に対し「われわれは第十堰はあぶないと言い続ける」と言いました。2003年可動堰反対で自民党から当選した飯泉知事に対し青山俊樹事務次官は「それでも~と言ったガリレオと同じ言葉を申し上げたい」と言いました。
2005年いよいよ河川整備基本方針決定の場がきました。壮大な吉野川百年の計にもかかわらずなぜか「治水上支障のある固定堰への対策」というのが入りました。
これが5年間住民との話し合いに一切応じなかった国交省が,節目節目でおこなった意思表示でした。どうごらんになりますか。私も国交省が愚かな策を選択しないのを願うばかりですが。

投稿: himenom | 2005年11月 8日 (火) 00時25分

>私も国交省が愚かな策を選択しないのを願うばかりですが。

まったくです。愚かな策を選択できる「余地」をあくまで残し、世論がくたびれた頃に復活させるという前世紀のやり方を踏襲しているのだと思います。

無責任な学者がそれにお墨付きを与える権威を前世紀の感覚で享受し。

増税があたかも既定路線であるかのようにマスコミが踊り始めていますが、増税の前に「ムダ」を徹底的に削るべきだという当たり前の納税者の目で、愚かな「余地」をなくしていく必要もありますね。

投稿: まさの | 2005年11月 9日 (水) 17時22分

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