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2005年12月 4日 (日)

研究者の役割(第一ラウンド)

Photo_2「河川管理と住民参加 ~研究者の役割~」へは、元河川局長や、八ッ場ダムの元担当者も聴衆として来ていました。それは後で知った(前者は終わり頃に出て行かれるのをパネリスト席から発見。後者は帰りの新幹線でバッタリ)ことですが、、そのパネルディスカッションで私が訴えたことは、ここ最近傍聴している「社会資本整備審議会・河川分科会・河川整備基本方針検討小委員会」(以下、「審議会」と言います)で「学識経験者」が果たしていない役割です。

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コメント

まさのさん
パネラーとしてご参加いただきありがとうございました。
とても深刻な顔をしていらしたので、他のパネラーの発言に対して思うところがたくさんあるのだろうなと思いつつ司会をさせていただきました。司会の進行にまずいところもあったかもしれません。そうであればお詫びします。
私としては、あと30分いただき、あのメンバーでいくつか議論しておきたいテーマがあったのですが、会場の都合で時間切れとなってしまいとても残念でした。
またの機会にしたいと思います。
一つだけ、まさのさんのご発言に対してコメントさせてください。
研究者の役割について、オールオアナッシングであるというご意見でした。そのお気持ちはよくわかりますが、しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。そして、それが社会の健全なあり方なのかというと、私はそうは思いません。
日弁連のシンポジウムを聞いていても思うのですが、弁護士集団といえども、研究者がするようなデータの分析やそれに基づく考察、提言ができるレベルには到底達していないのです。
住民、市民は、計画や管理に参加、参画の機会が与えられれば与えられるほど、研究者を必要とするのではないかと私は思います。問題は、現在の研究者のあり方が、市民、住民が必要とするあり方とは異なっているといいうことです。オールオアナッシングを突きつけるのではなく、研究者が少しずつ変わっていき、20%くらいの研究者がオールを選択するような社会に徐々に移行していくことが必要であり、それには具体的に何をすればよいのかを考える必要があるのではないでしょうか。
まさのさんのご指摘はとても偉い先生には当てはまるのかもれません。しかしとても偉い先生の下には無数に中堅や若手の研究者がいることも忘れてはなりません。次の世代の研究者が今の偉い人よりも少しはましな研究者に変わっていくにはどうすればよいかを考えることが必要ではないでしょうか。
取り急ぎ思いついたことを書きました。このテーマについて、できれば長時間かけて議論する機会があるといいなと思っています。
「青の革命と水のガバナンス」研究グループ長 蔵治光一郎

投稿: 蔵治光一郎 | 2005年12月 4日 (日) 17時39分

ついていけません。
まさのさんが「研究者の役割について、オールオアナッシングであるというご意見でした。」とのことですが、意味が分かりません。どなたか解説してください。「しかし、研究者の現状を考えると、現時点でオールオアナッシングを突きつければ、99%の研究者がナッシングを選択するのではないかと私は思います。」も分かりません。

投稿: 高橋比呂志 | 2005年12月 4日 (日) 22時31分

まさのさん、お久しぶりです。

利根川について、ご参考になるかもしれないことがあるのでお知らせします。
ご承知の通り、利根川の工事実施計画では、基本高水2万2千トン、「上流ダム群」で6千トンを調節して八斗島地点で1万6千トンという計画になっています。ところが実は、計画されている「上流ダム群」には6千トンを調節する能力がありません。これは工事実施計画にも明記されています。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai/shakai/051012/pdf/ref2-1.pdf
の21ページ、「しかし、これらのダム群ではまだ計画上洪水調節のために必要な用量は確保されておらず」云々のところ
さらに、ここでは計画に盛り込まれている戸倉ダムが、その後中止になっています。

つまり、現在の利根川の工事実施計画は、本当に2万2千トンの流量が発生したら安全に流すことができず、洪水になってしまう計画なのです(それを「計画」と呼べるかどうかは別問題として)。もし、国土交通省が基本高水2万2千トン、「上流ダム群」で6千トン調節というのにこだわるのなら、それぞれのダムが何トンずつ調節するつもりなのか、不足する分(少なくとも戸倉ダムで予定されていた670トンは不足するはず)をどうするつもりなのか明らかにする責任があると思います。

戸倉ダムが中止になった時点で、基本高水2万2千トンを見直すべきだったと思います。戸倉ダムがなくても洪水がおきないのなら、戸倉ダムは最初から(工事実施計画の上で)要らないダムだったということになります。残念ながらそういう議論にはなりませんでしたが・・・

投稿: 吉田(農工大) | 2005年12月 4日 (日) 23時40分

まさのさん、久しぶりです。

審議会批判、本当にその通りだと思います。

私も研究者の資質だとかスタンスの問題ではなく、審議会という制度が問題なのだと思います。専門性に基づくちゃんとした検証が必要な仕事ならば、第三者機関に調査委託をすべきであり、現状の審議会の制度ではできないはずです。調査の基準と結果を審議会に相当するような組織が公開で検証するというのはありなのかもしれませんが。

研究者は、審議会のような形式的には権限があるが、それを責任もって果たせる体制(お金、時間も含め)のない機関に入るときに「どうせ誰かがやるから自分がやった方がまし」などの理由をつけてしまいがちですが、それはとても無責任だと思います。「審議会の責任の重さを考えれば、今の体制、運営の状況では無責任となる」として制度を変えるよう求めるべきなのでしょう。ただ、結局、そうなると「肩書きだけあればいいので、後は行政にまかせる」という「悪貨が良貨」を駆逐することになります。これを避けるためには、「無責任なことをすれば、社会的な名誉が無くなる」という状況を作るのが、運動論的には正解なのでしょうね。そうすれば、研究者も真剣に「この体制では責任がとれない」と言わざるを得なくなるでしょう。

とりあえず、出版などを通じた問題提起から始めるのがいいのかも。

審議会の問題については、私も一貫して似たような立場でささやかながら発言してきました。人権擁護推進審議会について書いたものが少し古いですが、ここにあります。

http://220.16.64.30/pages/writing/1999/wrNHRIadCouncil.html

外務省のODA総合戦略会議等についての批判は、こちらに。

http://220.16.64.30/pages/writing/2004/oda_policy_process.html

また、なんか一緒にできればいいですね。

川村暁雄

投稿: 川村暁雄 | 2005年12月 5日 (月) 17時43分

川村さん、お久しぶりです。
今日もまたこの審議会(小委員会)を取材してきました。何故だか、いつもよりも審議委員の発言が多かった(質は変わらない)です。「審議会検証」みたいな横断的な検証が必要ですかねぇ。。。
ワケあって、半年以上、紙メディアへの営業活動をサボっていましたが、私もそろそろリセットを始めています。

投稿: まさの | 2005年12月 7日 (水) 01時10分

読ませていただきました。

専門家・研究者の役割を、委員が果たしていないのが現状でしょうか。

とんでもない現状だと思います。

その上で、一歩ずつ前進と言われても...
渓谷を破壊する八ツ場ダムの建設を容認・見過ごすしかない、と言うことでしょうか?

>次の世代の研究者が今の偉い人よりも少しはましな研究者に...

川が壊されると、元に戻すのは大変です。

投稿: みゅー | 2005年12月 8日 (木) 00時12分

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