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2006年10月18日 (水)

事前協議が生まれた背景

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須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

①はじめに <事前協議が生まれた背景>

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《第一回目を送って》まさのさんの「ダム日記2」のスペースをお借りして、熊本県の川辺川ダム問題、それも利水事業に的を絞ってレポートを書いてみるとお約束したものの、第一回目にUPされた文章を読見返して、ホトホト嫌気がさしている。

 なぜならば・・・刻々と動く状況を、的確な文章でお伝えすることが求められているのに、私の原稿ときたら、小学生の夏休みの絵日記状態ではないか。

 「私は朝6時半に目が覚めました。それから歯を磨いて、顔を洗って、お母さんが作ってくれた朝ごはんを食べて、美味しかったです。その後・・・・」。求められているのは、その日の一番思い出に残った出来事なのに。

 え~~い。いつになったら今日の出来事が出てくるのサ! と癇癪起こされても、決して読者の責任ではない。おまけに、「ダム日記2」にしては、量が多すぎ(読者が、インターネットで読もうと思う文章量には、一定の制限がある)。

 あれこれ思い悩んでいるものの、悩めば問題は解決するかと言えば、ドツボに嵌るだけ。

 というわけで結論。利水事業のことを、事前協議の歴史を主に書きながらも、緊急にお知らせしたい現地の様子を挟み込むという「無秩序」状態になるやもしれないレポートになりそうです(ハイ、これを“ある種の開き直り”と世間では言います)。

 それでも皆様。どうか、よろしくお付き合いくださいまし。

 これより、前回の続き

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

①はじめに <事前協議が生まれた背景>

 川辺川利水事業が原告農家の勝訴判決によって白紙に戻ったとはいえ、水を必要としている農家にどう応えるのか。国と熊本県に投げかけられた課題は大きかった。一日も早く農家に水を届けるために新たな利水計画を策定する。国と熊本県双方によって、このことが確認された。

潮谷熊本県知事は、58日の定例記者会見の席で「ダムの水によらない利水を検討する」と言明、同月30日には農水省の上告断念の説明を聞き、「農家の意思を把握することが大事という意思確認を行った」ことを明らかにしている。一方、亀井善之助(当時)農林水産大臣は、519日、最高裁への上告を断念する旨の公式談話を発表した。談話は、「今後、本地域の農業用水の確保については、関係農家の意向を確認して、必要な整備を進めることが適切であると判断した」と続けている。これは、「ダムの水による利水」と限定しない利水計画を立てるということを意味した。

しかし、新たな利水計画を策定するにあたって、従来のように行政がイニシアチブをとって強引に計画策定を行うことは、福岡高裁判決からしてもできない。行政にとって判決は重たいものだった。原告865人を含め補助参加人など、合わせると約2,200名を擁する利水訴訟原告団と弁護団を抜きにして計画の立案はできない。利水計画策定のためには、利水弁護団と原告団が、行政と同じテーブルにつき協議を重ねることが必要だった。

「利水裁判の二の舞はしない。主人公である農家が納得できる方法で、一日も早く水を届ける」。新利水計画を策定するために、地元市町村とダム利水賛成派と利水訴訟原告団・弁護団が一同に会して討議する『新利水計画策定のための事前協議』という新たな枠組みが生まれた背景は、まさにこの言葉に言い尽くされる。水源をダムの水に限定せず、農家の意向を踏まえた計画立案のための新たな模索が始まったのである。

農水省九州農政局(以下、農政局)、熊本県農政部、関係6市町村(人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・相良村・山江村)、関係6市町村で構成される川辺川総合土地改良事業組合(以下、事業組合)、ダム利水事業推進の立場である川辺川地区開発青年同志会(以下、青年同志会)、川辺川利水訴訟弁護団(以下、弁護団)、川辺川利水訴訟原告団(以下、原告団)が関係団体、熊本県が総合調整役(鎌倉孝幸熊本県地域振興部長《2006年3月末日退職》他四名)となり、新利水計画は「事前協議」という枠組みで策定することが決まり、2003年6月16日協議がスタートした。それから三年余り、計78回にわたって事前協議は続けられるのである。

「農家が主人公」を合言葉に、原告団・弁護団は「ダムありきの計画でなく、早く、安く水を農家に届けるための計画立案を」と粘り強く言い続けた。これに対し、相良村を除く地元市町や事業組合、青年同志会はダム利水計画に固執し続けた(後に、相良村は国営事業からの離脱を表明)。

「7月14日の協議で、新利水計画は農水新案で絞込みとしたい。そして事前協議の解散を提案したい」と調整役である熊本県は、2006年7月12日の事前協議の場で表明していた。14日の協議は予想通り紛糾した。休憩を挟んで続く協議の席。まさに日付が変わろうとした夜半、福永浩介人吉市長はこう発言した。「(新利水計画策定は)最初にわしとMさんとMさん(二人とも利水原告団)の三人で焼酎を酌み交わしとれば決まった話だ」と。

地元市町村に大きな影響力を持ち、川辺川ダム建設促進協議会の会長を長年務めている福永市長である。ダム推進の旗頭である彼は、事前協議を「焼酎を酌み交わせば、収まる話を長々と続けただけだった」と総括した。だが、本当にそうなのか? 3年間の事前協議が積み上げてきた歴史はそういうものだったのだろうか。3年間を振り返りながら検証していきたい。

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