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2006年12月 7日 (木)

もうけっこう

働くものの月刊学習誌「まなぶ」という雑誌の12月号の特集「市場万能が加速させた環境問題」に掲載された原稿を転載してもよいと許可をいただきましたので、ご好意に甘え、転載させていただきます。

“もうけっこう”と働くものが声をあげよう

ジャーナリスト  まさのあつこ

「バスタ(Basta)」イタリア語で「おかわりはいかが?」と聞かれたときに、「もう結構」と答えるのに使われる言葉だ。英字誌『エコノミスト』は今年4月「バスタ!ベルルスコーニ」というタイトルで、再選を狙った現職首相(当時)をこき下ろした。再選にふさわしくない数々の理由をあげ、イタリア国民は彼の経済改革に期待していたのにそれすら失敗したと断罪したのである。結果は対抗馬の当選となった。

日本でも選挙のたびに、「経済を立て直して欲しい」など有権者の声が街頭インタビューで拾われる。しかし、少子高齢化、低成長時代の今、「もう結構」の言葉は、経済立て直しに失敗する政治家に対してではなく、経済重視の社会構造を転換できない社会自身に向けられるべきではないか。日本のダム事業を例に考えてみる。

地域・自然破壊の元凶と目されたダム事業は各地の激しい反対運動に押され、公共事業の中でもいち早く見直しが始まった。1997年以降、100基近くが中止された。自治体でも00年に片山善弘・鳥取県知事が中部ダムを中止、01年に田中康夫・長野県(前)知事が「脱ダム」を宣言、02年には潮谷義子・熊本県知事が荒瀬ダム撤去を決断し、「脱ダム」の流れは確固たるものに見えた。

産業のない山村地域にとって土木公共事業は、経済と雇用のカンフル剤であり、止めることができない麻薬であった。それを「もう結構」と言える知事が各地に現れたことは、言うまでもなく画期的なことだった。

97年の河川法改正時に河川事業を決める手続に「住民意見の反映」が盛り込こまれたことや、河川管理の目的に、治水・利水に加え、環境保全という開発抑止のベクトルが加わったこともその背景にはある。しかし同時に公共事業予算の削減が大きく寄与したことも事実だ。投資に対する効果が乏しいことが分かれ目だろう。国土交通省河川局治水課によれば、現在なお建設・計画中のダムは180基ある。明治以降、約2500基作り続けてきたダムの時代は終焉を迎え、たたかいはさらなる削減と削減対象から事業を死守する綱引きであると言ってもよい。

脱ダムと脱・脱ダムの綱引き

今年7月に「もったいない」をキーワードに当選した嘉田由紀子・滋賀県知事は、国直轄の丹生、大戸川、永源寺第二ダムの3基と、県営の芹谷、北川第一、第二ダム、合わせて6基のダム建設計画の凍結を公約に掲げた。公約実現をめぐっては、現在なお新幹線新駅問題と共に県議会のたびに推進議員たちから激しい追及を受けている。じつは丹生ダムは、すでに2003年1月に国土交通省近畿地方整備局の諮問機関である淀川水系流域委員会が「原則建設しない」と提言した5基のうちの1基だ。これに対し05年8月に近畿地方整備局が5基のうち3基は「継続する」と押し戻した。丹生ダムはその1でもある。さらに0610月には国土交通省河川局河川計画課長から出先の近畿地方整備局に就任した局長が、淀川水系流域委員会自体を休止すると発表した。綱引きたけなわである。

長野県では、今年9月に就任した村井仁・知事は、前知事に中止された浅川ダムの旧予定地を1018日に視察し、翌日の記者会見で「ダムも含めて治水対策として流域の皆様方にもご理解が広く得られるような案をなんとか作って示したい」と述べている。後戻りである。

 首都圏の水がめである利根川では、上流に計画されている八ツ場(やんば)ダム事業が半世紀を超えて細く長く進み、現地住民の心を疲弊させている。ご当地である群馬県の他、受益地である東京、埼玉、千葉、茨城、栃木など必要がありもしない水を買わされる自治体は、総事業費4600億円のうち約2千億円、起債の利息や水源地域への対策基金なども含めれば4千億円を超える負担が強いられる。脱ダムを目指して1都5県で住民訴訟が続行中であるが、為政者の側で見直しの気配はない。

図を見て欲しい。これは八ツ場ダムの必要性の根拠となる水需要予測(=水資源開発基本計画)と実績を表している。予測は実績との比較で誰もが「ありえない」と確信する右肩上がり。実績は横ばいから減少に向かっている。

1都5県や国交省で働く公務員や政治家でさえ、この現実を直視すれば、理に適わない事業であることはすぐに分かる。100年に1度の洪水に対応する49年からのダム計画が、ダムの姿も形も見えない間にすでに半世紀の折り返し地点を過ぎたことを見ても同様である。いったい、なぜこんな事業が進められるのか、なぜ、先述した「脱・脱ダム」の巻き返しがあるのかを説明できるのは、(「もう結構」と言わねばならない)経済との結びつき以外にはない。

働くものに求められる力

八ツ場ダム関連工事の落札率は、長妻昭・衆議院議員が今年6月までに入手した資料によれば、2001年から05年度まで、いずれもほとんどが9割を超えている。99%を超えるものも少なくなく、談合の疑いが濃い。また同資料から、0305年の間にこれら落札業者であるパシフィックコンサルタンツなどの民間企業37社や、(社)関東建設弘済会など公益7法人へ国交省職員が天下っていることが明らかとなった。業者は生き残りをかけて天下りポストを情報と引き換えに確保し、公務員は情報をエサに退職後の生活を確保する。相も変わらずこうした構造がダム事業を止められなくさせている。

それを断ち切ることができるのは働くものの良心でしかない。「企業の社会的責任」という言葉が踊る社会になったが、国内の土木公共事業に限って言えば、じつに原始的なレベルの癒着体質から抜け出していない。まさに「もう結構」という声無き声を、そこに働くものは受け止めて欲しいものである。

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