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2007年2月24日 (土)

「公聴会」か「聴くもん会」か?

原稿2つと編集作業に追われて(いまだにあと二つに追われているが)行けなかったが、222日(にゃ~にゃ~にゃ~で猫の日だと聞く)、埼玉で、利根川水系河川整備計画策定に向けた公聴会が開かれた。

下野新聞の記事がとてもよく書かれている、と公聴会に出席した人々が述べていた。

利根川流域市民委員会のブログにも公述内容あり。

行けないなりに思う。
この公聴会はアリバイ作りでしょ。河川法第6条の2の。

○流域住民が考えを明らかにすることと国の持つ説明責任は別物だ。公聴会で述べられた意見や疑問には答えるべきだ。その場を現時点では用意しているようには見えない。たった10人に絞ったわけで、絞ったなら、せめて、その10人の指摘した点には答えるべきではないか?

○どう反映されるのだ?

○公聴会を開いて意見を聴くというのなら、一体誰が何のために聴いているのかを行政側は最低、明らかにするのがエチケットだろう。田んぼの案山子ではあるまいし。確認できたのは地方整備局から来た2人だけだったそうだ。

○公述意見の中には手続きそのものへの異論も少なくない。1都5県にまたがるのに全体の公聴会はたったの10人に絞っている。意見を出させたくないという意図がアリアリだ。今回は「どんな川作りを望むか?」という意見を募集したわけだが、意見を求めるのであれば、また、河川整備基本計画の策定を前提にしているのだから、市民に分かりやすく、意見の前提となる情報を共有させるべきだろう。

○川に思い入れのある人は沢山いる。環境影響評価法では「環境の保全の見地からの意見を有する者」(8条、第18)であれば、誰でも意見を言うことができる。川についてもこの考え方は踏まえられるべきだ。1都5県以外の人間を公述人募集の時点でわざわざ除外したこと自体、政策的な整合性に欠ける。

おかしなことは山ほどある(残念ながら書く時間なし)
公聴会に先駆けて、意見募集も行っていた。
その結果はうがった言い方をしれば「意見を出ないように工夫した結果」と言えなくもない。

これを見て欲しい。↓
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonegawa-plan/070223/img/kouchokaisiryo/4.pdf

●都民の人口の多さに対して、この関心の低さ。
変な知事が居座り続けるのはこのせいだともいえるし、
「防災」という観点から言えば、これは河川行政の失敗を示す。
川と自分との距離感、関心を持たせない河川行政はまがい物。

●若者の無関心、もう少しなんとかしたい。

●それにしても意見を寄せるというのはたいへんなエネルギーを要する。寄せられた意見は「宝」にして欲しいものだ。

●なんのために自分は仕事をするのか、私も今、頭が痛くなるほど考えながら仕事を選択しながら生きているが、ここは河川官僚には、改めて考えて欲しいものだ。自分はどんな時代に生まれたのか?考えて欲しい。

●ちなみに、皆さん、
財務省の19年度予算関連資料(PDF19ページを見て欲しい。
 
「脱・脱ダム」とか、報道され始めているが、そうじゃない。確実にダム予算は減っている中で、最後の不要なダムに固執する断末魔の叫びが、目だって聞こえてきているだけ。まもなく、その叫びに根拠がないことを読んでいただけると思う。少々お待ちを。

まさのあつこ

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