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2008年6月11日 (水)

肱川の知恵を狂わせる山鳥坂ダム

転載が遅くなってしまいましたが、以下は、「グローバルネット」((財)地球・人間環境フォーラム発行)での連載「川、開発、ひと 日本の経験 アジアの経験」 (20082月発行)より許可をいただいて転載。

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肱川の知恵を狂わせる山鳥坂ダム

川が溢れることを前提に人々が暮らしを重ねてきたことが、この川ほど一目で分かる川はない。四国の北西に位置し、瀬戸内海に流れ出す肱川(ルビ:ひじかわ)(愛媛県)だ。ここには、国土交通省が2019年完成予定、総事業費850億円で押し進める山鳥坂(ルビ:やまとさか)ダム(大洲市肱川町)計画がある。1996年には地元の大洲市議会がダム建設反対の住民請願を全会一致で採択し、2000年には与党による公共事業の見直しで中止が勧告された。

その後、政治的な巻き返しで復活したが、利水の受益地の反対で油余曲折し、結局のところ、20045月に策定された肱川水系河川整備計画において、従来通りの多目的ダムから治水ダムへと変更されて位置づけられた。問題は、利水目的を失った後も、この計画を進める意味があるのかということだ。

治水の自治の原点

肘の形をしている本流へ流れ込む支流の数たるやおびただしい。国交省が作った30万分の1の小さな流域図でさえ49本を数えることができる。そのうち43本が流れ込む下流の盆地が大洲平野だ。なだらかで溢れて当たり前の地形だが、案の定、この場所が洪水に会うことがダム推進の主な理由にされている。

しかし、実際に訪れると、溢れることを前提に、さまざまな知恵が息づく土地柄であることが見えてくる。

ある川沿いの畑には、境界線代わりに木が植えてある。洪水で浸かっても自分の畑が分かるようにするためだ。付近の川岸には豊かな竹林が続く。地図で見るとその理屈が分かる。そこは支流・矢落川が流れ込む対岸だ。竹林で川を受け止め、勢いを失った川が畑を満たす。緩やかな洪水であるため、木が生えたまま持ちこたえる。その先に山があり、山を背景に人家を建てる。見事な知恵だ。

江戸城下町の名残をとどめている大洲市街地でも、溢れることが前提の川との付き合いがある。古い家は石垣の上に建てられている。それに比べ、最近建ったと思われる新しい家々は地面にべったりスレスレに建つ。

案内をしてくれた大洲市議の有友正本さんは「昔の人はよう分かっとったんです」と目を細める。また、「地元の人ならそこには建てんやろと思うところに配送センターを建てた飲料メーカーが、ここにはありました」と見せてくれた先には転出跡がある。「ここも浸かりました」と指差すコンビニの数メートル裏手には、山際の小高いところに古い家が石垣の上に建っている。溢れることが日常の地域だからこその知恵と、その知恵の断絶が同時に見える町である。

生活実感からのダム不信

ダム計画の存在は、治水効果の有無とは関係なく、地元住民の感情に突き刺さっている。市街地のほとりにある「なげ」を見ていたときのことだ。「なんぞあるか?」という声で振り向くと好奇心をみなぎらせたおじさんが声をかけてきた。「なげ」とは、江戸時代から伝わる石積みの船着き場で、川の中に突き出し、水の勢いを緩める洪水対策にもなっている。山鳥坂ダム予定地へ向かうところだと言うと、「建設省のバカタレが」という言葉を皮切りに、昭和35年に肱川上流に鹿野川ダムができてから、いかに川がダメになったかを語り始めた。泳ぎも遊びも釣りも食料も川がすべてだった毎日を奪われたことに、今でも腹を立てている。昭和7年生まれだという。

 車でさらに上流に進むと小高い根太山が右手に見え、菅田地区へ入る。地図で見ると、かつて川筋が根太山の向こうとこちらとに動いていたが、今はたまたま向こう側を流れているのかと思うような地形だ。地質が固いのか、川筋は狭く、ここで起きる洪水は独特だ。

「狭窄部でせき止められて、だんだん下流から川に水が貯まる。上へ上へと満ちていって川一杯になると、今度は上の方からわっと田圃の中へ溢れてきよったんです」と有友さんは言う。ところが、ここでもかつては無かった被害が起きている。

一つは、溢れた水が田圃を浸した後に達する根太山のこちら側だ。「そこに宅地を造ろうとしている業者に『そこは浸かるよ』と昔から住んでいる人が忠告してあげたらしい。でも知らずに買わされた人が被害を受けた。人災ですよね」と有友さんは嘆く。

一つは、鹿野川ダムができて以来の変化だ。菅田に住む80代の主婦は声をとがらせて言う。「川が一杯になって堤防を越そうかというときにダムを抜くんです。ああいう時になんでダムを抜かんといかんのか」

「ダムを抜く」とは、国交省がダムを守るために各地のダムで行っている「ただし書き操作」のことだ。想定を超えた洪水が起きると、ダムの決壊を防ぐために、流入する量と同量の水を一気に流し始める。肱川で、20048月、10月、20059月に行った。「昔は川の水を見とったらそろそろ溢れるなぁ思うて予防ができとったんです」と主婦の言葉は尽きない。ダムができてからは、「ダムを抜く」と一気に水が上がって家が浸かるという。

溢れさせる治水は国交省ですら始めた。四国地方整備局大洲河川国道事務所の井上水防企画係長によれば、「被害の大きかった1995年の洪水規模を越えたら溢れさせる高さ7メートルの堤防」を本流に合流する矢落川に作った。「上流を締め切ると下流の氾濫を大きくするので」という考えだ。さらに下流では「宅地のかさ上げ事業」もやっているという。

実態にそぐわない山鳥坂ダムありき

 ところが、こうした現実とは裏腹に、山鳥坂ダムありきで机上の計画は進んできた。河川整備の策定のために200310月から043月まで、4回の流域委員会が開かれたが、流域自治体の長と学識者の半々で構成され、ダム計画が容認された。住民意見は、地域別に1度ずつの意交換会と1回きりの全体公聴会で、聞き置かれて終わりだった。

20058月には環境影響評価の手続が始まった。しかし、その検討業務が開始された2001年には確認されていた事業実施区域内でのクマタカの繁殖行動が、2002年からは消えた。その後も調査区域内には確認されたものの、同じ猛禽類のオオタカ・サシバが生態系の上位に位置する「上位性注目種」とされた一方、クマタカは希少性を評価する「重要種」にしか位置づけられなかった。根強い不信感が渦巻いているが、2001年から環境影響評価の検討業務を受注してきた(財)ダム水源地環境整備センターの役員5人が国交省からの天下りだからでもある。

山鳥坂ダムの集水域は流域面積の5%に過ぎず、治水効果すら疑問視されてきた。計画の既成事実化は進むが、漁業権を持つ肱川漁協など流域漁協が明確に反対の意思表示を示している。失う前に、残すべき知恵は何か、慌てずに見極めるべきではないか。

まさのあつこ「グローバルネット」20082月号((財)地球・人間環境フォーラム発行)

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以上、週刊金曜日「愛媛県・山鳥坂ダムアセスの担当者は『環境の素人』だった?」(200844日)も合わせてお読み下さい。

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