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2008年8月23日 (土)

小豆島の風景を掻き乱す内海ダム

環境情報雑誌グローバルネット20086月(211号)

から許可を得て、転載します。

小豆島の風景を掻き乱す内海ダム

                           ジャーナリスト・まさのあつこ

「二十四の瞳」やオリーブで有名になった瀬戸内海の小豆島(香川県)には、他にも観光資源がある。名勝「寒霞渓」だ。ところがこの寒霞渓から瀬戸内海国立公園を見下ろす景色の真ん中に進行中のダム計画がある。貯水量14万トンの小型の内海(るび:うちのみ)ダムが、その7倍の規模に再開発される計画だ。

46年前の越流の記憶

「ナイアガラの滝のようでした」と現在のダムが1961年の大雨で越流したときのことを、ダム直下の北区地区に暮らす「寒霞渓の自然を守る会連合会」の山西克明会長は語る。「洪水吐ゲートを操作すべき職員が不在でした。あのダムの壁は石段のようにデコボコで見栄えの悪さを隠すために壁に石やドロを詰めていた。それが越流した水もろとも下流に流れてきて、田んぼや畑や家が浸かりました」と言う。見たこともない光景にダム決壊を恐れ、住民が「決死隊」を組織して命綱として腰ひもを巻いてゲート操作に行った。「住民は怯え、ダムを改修して欲しいと町を通じて県にお願いをしたんです」。それが今回の新しいダム事業の発端ではある。

当時を間接的に知るだけの香川県職員(内海ダム再開発建設事務所)は、「見栄えというより、水道専用ダムとして作ったものを治水ダムに嵩上げをしたときに、ダム下流側に補強のために盛土をしたのが下流に流れた」と言うからなお恐ろしい。「ゲート操作が間に合わず、急峻なのですぐにあふれたと聞いている」と、「不在」を「間に合わなかった」と言い換えて、暢気な調子で46年前の話が後任者に語り継がれている。

問題は、恐怖体験に基づく改修の要請を、県がこの後1996年まで放置したことだ。理由を現在の県担当者に聞けば、「完成後わずか2年だった。まだダムのないところを作るのが優先だった」と平然と言う。

ところが、県のダム推進のパンフレットには「内海ダムの上端から水があふれ、ダム斜面が崩壊する被害」に会い、「地元住民は抜本的な治水対策を強く望んでいます」とちゃっかり越流事件を持ち出して利用している。しかし崩壊が人災だったことも放置の事実にも触れていない。また、現職員は「1976年に5箇所の堤防が切れて床上浸水436戸、床下浸水273戸の被害があった」と別の根拠も持ち出すが、その時点からですら「ダムは安全」と言われ、20年放置された。住民はそれを忘れていない。

●河川法改正後も住民にウソ

改修話は阪神淡路大震災の翌年に来た。199611月に内海町(現在は小豆島町)議会に内海ダム特別委員会が設置された。山西さんは「地区の委員をしていた私のところに、当時の町長と議長、それに特別委員会の委員長になった森口さん(森口達夫元町議)がやってきて『県が修理をしませんか』と言ってきたがどうするかと言う。住民に話をすると、『今まで放っておいて何を言う。もう触らんとってくれ』と。しかし、ダムの位置も規模も決まっていない、合意ができるまで強行に工事をするようなことはしないと言うから、と取りなしたんです」と思い出す。

ところがこれは裏目に出る。取りなしで開催された「ダム説明会」では、確かに「位置も規模も決まっていない」とされたのだが、結果的にウソだった。ボーリング調査を進めるための既成事実化を目指した言い回しだったのだ。

以下は、細かい話ではあるが記録をしておきたい。

筆者の取材に対し、県の内海ダム再開発建設事務所は1996年の段階で平然と「位置も規模も決まっていた」と認めた。ただし数時間後に「訂正があります」と電話があり、「1996年に90tと決まっていましたが、これは県内部で内々に決めていたことです。町には内海ダム特別委員会がありましたが、事務局側だけが知っていました。1997年に実施計画調査を行い、正式に106tと決まったのは1999年です」と言う。 

森口元町議は「後々考えると、最初から決まっておったんでしょう。90t106tになったのは単なる数字遭わせでしょう。私は真鍋知事と一緒に国に陳情に行ったこともある。分厚い封筒を持っていっとった。中身は見せてもくれなかったし、見せろとも言わなかった。特別委員会は非公開でボーリングの場所を示したスケッチを見せてくれることはあったが回収された。後で考えれば、ボーリングの場所を結んだ線がダムの位置だった」と振り返る。

後に、町長と議長(各当時)は「当初から(1996年に)分かっていた」と公言するようになるが、森口元議員は「町長も議長も皆騙されていた」とまで言う。19998月の町議会の時点ですら「地元住民としては補修改修であれば、納得すると思う」という質問に対し、「ダム本体の位置や規模、道路計画などについて、近々に建設省のダム基本検討委員会等で決定される予定です」と町長自身が言い張っていたことが議事録に残っている。県が規模や位置を含めてダム計画を発表したのはその4ヶ月後だ。

確かなことは当局が、住民には「改修」と説明しながら、粛々と巨大なダム計画を進めていたことだ。そんなことが、1997年に河川法が「住民の意見を聴く」と改正された後も行われていた。

●尾根をまたぐ平べったいダム

この巨大ダム計画は前代未聞の要素を含んでいる。

「寒霞渓」(標高671m)から流れ出る全長たった4kmの別当川のど真ん中、2km地点に現在のダムを沈めるという計画だ。堰堤の高さ42mに対し、横幅は10倍の423m、しかも尾根をまたぐ変形ダムとなる。通常のダムは一つの谷間を堰き止めるが、内海ダムは二つの谷にまたがるのだ。直下に3つの断層が走るとされている。

住民の気持ちが受け止められる様子がないまま、03年1月、様々な地区の住民で構成される「ダム対策協議会」でダム直下の代表9名のうち5名が反対する中、強引に「合意」が形作られた。山西さんたちは真鍋知事に「感情的になっている」と言われ、042月に反対の科学的論拠を提出したが、県知事からの応答は現在に至るまでない。

県は現在、2011年の完成を目指し、ダム直下の住民が持つ土地を強制収用するべく、土地収用法に基づく事業認定を申請中だ。「完全同意」という約束をほごにし、高齢化する住民をさらに苦しめていく。事業認定申請に伴う公聴会が627日と29日に行われる予定だ。

053月、「内海ダム景観検討委員会」は事業の基本理念を「人と水と緑がつくる安らぎとふれあいとにぎわいのあるダム」と定めた。しかし、この島の片隅で半世紀に渡って起きたのは、住民不安の放置、ウソ、そして強制収用という真逆のできごとだ。

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