博士論文が八ツ場ダム住民訴訟で物語った真実
毎度ですが、環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から、編集部の了解を得て転載させていただきます。
グローバルネット2008年9月(214号)
川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験 第23回/
博士論文が八ツ場ダム住民訴訟で物語った真実
(まさの あつこ/ジャーナリスト)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2008/200809.html
「ダムというのは、川を遮断してしまいますから、川の生態系に大きな影響を与えます。(略)100年後か200年後か、あるいは300年後か分かりませんけれども、ダムが土砂で満杯になってしまえば、治水効果はゼロになります。我々の子孫に対して、そういう治水方法を残していくのは問題があると考えておりまして、私はできるだけ、ダムに頼らない治水をやるべきだと主張しております」
7月29日、水戸地方裁判所の302号法廷に河川工学者の声が静かに響いた。1974年に「利根川における治水の変遷と水害に関する実証的調査研究」と題する博士論文を東京大学大学院で発表した大熊孝・新潟大学名誉教授だ。34年前はまさか八ツ場ダムへの支出を差し止める住民訴訟で、原告側の「証拠」としてその論文が裁判所に提出されることになるとは思ってもみなかっただろう。それを元に意見書を提出し、原告側証人として国の治水計画のおかしさを立証することになるとも想像していなかったに違いない。
約80分に渡るその証言を一言で要約すれば、大熊名誉教授は、八ツ場ダムを必要とする根拠となった洪水の推定値が過大であると論証したことになる。
●推定された復元流量の誤り
大熊氏の調査手法は徹底した現地調査によるものだった。
当時、5年間で合計約200日、毎週土日に利根川沿岸を尋ね歩き、1947年(昭和22年)9月のカスリーン台風当時の状況を現地の住民から聞きとった。約3ヶ月は利根川上流ダム統合管理事務所のもとで実習し、そのほとんどが利根川の調査についやされた。
この調査結果は、結果的に複数の行政文書を否定することになった。一つは1969年3月に建設省関東地方整備局の「利根川上流域洪水調節計画に関する検討」。一つは1970年に利根川ダム総合管理事務所が出した行政文書「利根川上流域における昭和22年9月洪水(カスリーン台風)の実態と解析」だ。
現在の利根川の治水計画は、カスリーン台風被害を契機にできたと言っても過言ではない。当時川を流れた水量を元に基本高水(洪水の想定量)がはじき出され、2年後の1949年に作られた利根川根川改修改定計画の一環として調査が始まったのが八ツ場ダムだ。
現在の国交省の説明は、計算をもとにはじいた毎秒2万2千トンの基本高水(基準点は八斗島)のうち毎秒5500トン分をカットする上流ダム群が必要で、そのうち約毎秒1600トン分が既設6ダムと八ツ場ダムによるカット分だというものだ(残りの毎秒3900トン分のカットにはもっとたくさんのダムを造らねばならないことになる)。最初の数値が間違っていれば、この治水計画全体が誤りとなる。
ところが、先述した二つの行政文書には弱点があった。
カスリーン台風当時、基準点の上流で川が溢れたために、その溢れた流量については「推定」をしたに過ぎない。つまり治水計画のもとである最初の数値が「実測値」ではなく溢れた水量を推定して合成・復元した「推定値」であることが弱点なのだ。
証言で大熊氏は、その推定値が正確ではありえないことを現地踏査に基づく経験から淡々と主張した。その行政文書が推定する復元流量(当時は毎秒2万6900トン)が実績流量の毎秒17000トン〈これも実測流量がなく推定値である〉になるには、約2億トンの水量が八斗島上流で氾濫する必要があり、そのためには「約2メートルの浸水があったとすると1万ヘクタール、1メートルくらいの浸水だとすると2万ヘクタールの氾濫面積が必要」(大熊氏証言)となる。
ところが、聴き取り調査で歩いた結果、それだけの面積に氾濫していないし、氾濫できるだけの場所がないことが明らかだった。
これは当時の建設省にとっては失態だ。このことを明らかにしてしまった大熊氏の論文は倉庫で「極秘」と判が押され封印されていたことがそれを物語る。また今となっては、毎秒2万6900トンが流れたと推計をして大熊氏に論駁された行政文書の存在までが、省内で消されていたことも裁判で明らかになった。敵性証人(原告側が呼び出す被告側の立場の証人)として出廷した国土交通省関東地方整備局の河﨑和明・元河川部長は、この文書の存在も、毎秒2万6900トンのという推定値がかつてあったことも「知らない」と述べたのだ。
●追いやられる行政文書
さらには、同じ推計でも、より小さな推定値(つまり八ツ場ダムが不要となりかねない数値)を出した政府関係者による文書が存在し、それらも同様に影に追いやられていたことが原告と被告による証言で浮かび上がった。1)末松栄・元関東地方建設局長が九州大学で博士論文として発表した「利根川の解析」、2)群馬県作成の「カスリーン台風の研究」、3)利根川増補計画の立案の中心人物だった富永正義・内務省技官が「河川」という雑誌で発表してきた「利根川に於ける重要課題(上)、(中)、(下)」(昭和41年4,6,7月号)などである。
大熊氏の証言に対する被告からの反対尋問は一切なかった。
そして、この証言が被告に与えた打撃の強さは、思わぬ形で判明する。水戸地裁で行われたこの証人尋問後、8月26日に千葉地裁で行われた治水に関する証人尋問で、被告側が「八ツ場ダムにカスリーン台風は関係ない」と言い出したのだ。「よくそんな嘘が言えるなと、びっくりしましたよ」と感想を述べたのは、原告側証人として証言した大野博美千葉県議だ。カスリーン台風被害を錦の御旗に進めてきたにもかかわらず、火の粉を払うように「カスリーン台風は関係ない」と言わざるをえなくなった威力が、「極秘」とされた大熊氏の博士論文にあったとしか思えない。
●水需要の過大予測/保有水源の過小評価
専門家としての誇りを証言台で遺憾なく発揮したのは大熊名誉教授だけではない。東京地裁では、都が主張する利水を不要であるとの立場で二人が原告側証人となった。
6月20日、東京地裁の証言台に立った元東京都職員の嶋津暉之氏は、訥々と利水の観点から八ツ場ダムの不要性を訴えた。水余りが明らかなのにもかかわらず、いまだに都が八ツ場ダムを必要だと主張できるカラクリを明らかにしたのだ。1)節水意識や節水機器が普及したにもかかわらず一人あたりの水使用量を他の自治体と比較して過大に設定し、一方で、2)多摩地域の地下水や多摩川上流で持っている小水源を算入せず、浄水場の漏水量を過大に差し引くことで、保有水源を過小評価して、新しい水資源が必要であることを演出しているという。同日、元都水道局職員の遠藤保男氏もまた、3)砧浄水場では水利権の3分の1しか取水していないこと、4)かつて汚染で取水を中止した玉川浄水場での取水再開も可能であること、5)毎年夏に一日最大配水量を人為的に作り出す日があったことをあげ、それらはすべてダム参画のための操作だったと感じていたと敢然と告発した。
八ツ場ダム住民訴訟は、国交省が進める八ツ場ダムの事業費を、水需要も税収も増加しないとすでに明らかだった2003年に、2110億円から4600億円に増額したときに始まった。1都5県(東京、埼玉、千葉、群馬、栃木、茨城)の負担金計2679億円の支出差し止めを求めている。各都県での審理はもちろん、共有する論点(治水計画、環境アセスメント、八ツ場ダム湛水域斜面の地すべり、公共事業が止まらない組織構造)については、それぞれの専門家が各地裁に共通の意見書を提出して審理を進めている。ここに記したのは、4年に渡る原告とその証人たちによる審理のほんの一コマでしかない。(すべての裁判資料は八ツ場ダム訴訟ウェブサイトhttp://www.yamba.jpn.org/で見ることができる。)
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