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2009年4月21日 (火)

オーラルヒストリーと公文書

友人の山本まりさんが「公文書」とは全然関係のない
メーリングリストでこんな考えを書き込んでくれた。
 彼女が読んだ2つの書き物
  オーラルヒストリーの本と
私が週刊ダイヤモンドで先日書かせてもらった
 「官僚による隠蔽、改ざんが横行!知られざる日本の恥部
 「公文書管理」が危ない」
を読んでの感想です。
とても興味深いので転載許可をもらった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨日、「オーラルヒストリー」中公新書 御厨貴著
を読み終えて、今日、週刊ダイヤモンドのまさのさん
の書かれた記事を読みました。

御厨氏はオーラルヒストリーを「公人の、専門家による
万民のための口述記録」と定義していて、もっぱら、
官僚や政治家を対象にしたオーラルヒストリーの実施
と蓄積を組織的に行っているということです。

御厨氏の経験談として、オーラルヒストリーを依頼して
もガンとして受け付けない官僚の話が出てきます。 
「自分は言わず語らずで死ぬつもりだ。自分が持っ
ていた在職中の資料はほとんど焼却してしまった。今なお
持っているものについても、自分が死んだら即焼却して
もらう手筈になっている」 と徹底して自分の足跡を
消すことにこだわりをもっている官僚もいる、という
ことです。 そういう官僚にとっては、公文書の管理
を第三者に委ねるなどということは耐えがたいことなの
だろうと思います。 こういう人が今のところ日本の
官僚では多数派なのだろうな、と思いました。

結局政権交代を経験してないということの弊害という
ことになるのでしょうか? 欧米のような訴訟社会では
文書は裁判の行方を左右する重要な材料だから、
中立的な立場の機関に文書を管理してもらうという
ことにエネルギーを注ぐのは公正さを確保するために
必要不可欠なんだ、と思いますが、日本の
すべて自分が抱え込んで黙って死ぬことで、誰にも
迷惑をかけないようにすることが組織人としての美学。
みたいな文化の元では、文書管理を公正に・・・と言って
もなかなか難しい所があるのだと思いました。

こういうエリート意識に裏打ちされた美学?に凝り固まって
いる人に、「説明責任」とか「健全な民主主義のための
情報公開」とか言ってもなかなか素直にコトは運ばない
でしょうね。 

オーラルヒストリーはこれまで、公文書として残されて
こなかった、様々な政策の決定過程などを関係者に対す
る組織的なインタビューという形で残して行こうとして
いるわけで、行政文書の管理の問題とは密接に関連して 
いる分野と言えそうです。
オーラルヒストリーの場合は、内容の公開の可否や
時間的な制約を語り手自身が決めるわけで、
全てを全面的に最初から公開。というわけにいかない
ことが多いようですが、タイムカプセルに入れてしまう
にしろ、後世に残すことができること、
一人が語ることを拒んでも、他の関係者が応じればある程度コトの経緯
を再構成することが可能な場合もある。というのが救いと言えるのでは
ないかと思いました。

それにしても、「官僚の恣意」をどうコントロールする
のかって、難しい問題ですね。
                     やまもと
===

以上転載でした。まさのあつこ

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