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2009年7月 1日 (水)

八ツ場ダム行政訴訟と裁判員制度

6月30日、茨城の水戸地方裁判所での八ツ場ダム判決も住民敗訴。
八ッ場ダム訴訟 群馬も住民敗訴2009年6月26日東京新聞夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009062602000219.html?ref=rank
改めて「行政訴訟への国民参加」が必要だな、と実感。

そこで、5月21日から始まっている裁判員制度を改めて調べてみることにした。
http://www.saibanin.courts.go.jp/
根拠法は・・・と調べて、ビックリ。

●まず「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」という法律名でビックリ。
迂闊だった。そもそも「刑事裁判」限定の制度か!と初めて気づいた。

●対象事件を見てビックリ。
http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/01.pdf
原則
①死刑又は無期の懲役・禁錮にあたる罪に係る事件
②法定合議事件であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係わるもの
とある。
この書き方・・・最初から有罪が決まっているようにしか読めない。
法律にもそのままそう書いてある。
裁判制度を誤解させないだろうか。

「日本は起訴されると99.9%が有罪になるんでしょ?」と先日海外の方に聞かれ、
日本の裁判制度の異常さが国際社会にとどろいていることを知ったわけだが
そもそも裁判とは、犯してもいない罪で人が裁かれるようなことがないようという軸足が重要ではないのだろうか。犯してもいない罪で17年も自由を奪われた菅谷さんの足利事件は裁判所にこの上ない教訓を与えたと思うのだが。

●法律そのものを1条から読んでビックリ。
http://www.saibanin.courts.go.jp/shiryo/pdf/02.pdf
その目的に「公正な裁判」という言葉が一つもない。
そもそも「趣旨」としか書かれていない。

「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ」(第一条)とある。原告や被告のための公正な裁判のためにあるのではなく、「司法に対する国民の理解の増進」と「信頼の向上」にある。

これ問題じゃないだろうか?いかなる裁判もそれに関する制度も、原告(被害者)と被告のための「公正な裁判」にあるべきじゃないの?国民の参加なんて、一手段に過ぎない。決めつけを排除して何が真実かを見つけだすのが裁判では?

これでは司法に対する「理解の増進」も「信頼の向上」は無理では?

たとえば、「誰が見ても水が明らかに余っている。将来はもっと余る」のに茨城県の主張を「著しく不合理とは言えない」と認めてしまうような判決を行政訴訟で出し、「誰が考えても冤罪でしょ」と分かったはずの足利事件の有罪判決を何年も放置し、その体質を顧みることもなく?「死刑にあたる罪」と決めつけた書き方で臨む刑事裁判のあり方に参加しろというのは、司法に対する「誤解の増進」につながらないだろうか。

というわけで、「行政訴訟への国民参加」以前の問題に愕然とした。何か問題解決をしようと思うと、問題解決のはるか遙か手前に別の問題がはだかっていて気が遠くなる。社会問題のセーフティネットがない。

誰だ、こんな国にしたのは?と思うが、通常国会終盤のこの期に及んで、閣僚を今から選挙態勢強化のために拡充するとか言っている「問題外」の首相も変(選挙のために閣僚?閣僚は選挙のため?私物化?国会審議に使わなかったトッピングを今から飾りつけ?そのアイスクリーム、もう溶けているよ)、それを垂れ流し報道しているマスコミも変。

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