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2010年1月12日 (火)

続・ひもつき交付金

先日、書いた「ひもつき補助金」から「ひもつき交付金」に関係する読売記事「新・交付金 使いこなせ」をご紹介いただいた。こういう前向きな考えもアリだろうが、「今日のメシ」を考え、その交付金を我が懐へ抱え込みたい人々の存在は、まだもっと強く切実ではないか。

その後、ちょっと反応をいただいたので、次のように書きました。ちょっと差し引きしながら再現します。

@ @ @ @ @ @
この際、一番下に書いた点が重要なことではないかと思います。
~~~~~~~~~
10月13日に開かれた総務省政策会議で、原口総務大臣が「地域主権とは、地域で間違った首長を選べば、その失敗の責任は地域で負うという厳しいシステム」であると語っていた。http://www.soumu.go.jp/main_content/000041056.pdf それならば、そのシステムのセーフティネットとして、住民が監視、参加、介入できる仕組みを充実させ、住民参加、住民監査、住民訴訟、住民投票を機能できるようにしないと、国民は素手でその「厳しいシステム」と闘うことになってしまう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは、今回の「ひもつき交付金」の有無にかかわらず、以前から改善が必要だった点です。

釈迦に説法ですが、問題●と提案▼と合わせて言えば、
(書いていたら長くなってしまいましたので、●と▼だけでもお読みください)

●「住民投票」については、

・住民が苦労して署名を集めて直接請求しても議会がリジェクトできてしまうのは、おかしいし(間接民主主義の補完制度になっていない)

・厳しいハードルをクリアして実施しても拘束力がない

すると、努力に伴った結果が出ず、住民は無力感に襲われ、住民自治が育たず、お任せ市民以上の市民になる意味が見いだせない。「頑張ってもどうせダメ」の諦め社会になるのではないでしょうか。

▼だから、地方自治法74条の改正で住民パワーをアップする

●「住民監査」については
・監査委員に議員が含まれている。すると、一度議会で認めた予算や事業にNOとは言わないのではないか。議員は議会で予算や事業をチェックすべきだが、知る限り監査委員は議員が半分を占めていて、監査事務局の案通りにシャンシャンで済ませている。何重ものチェック機構として設けられているはずが、委員が重複していては意味がない(矛盾した制度)。

▼だから、地方自治法第196条を改正して、たとえば監査委員の公募を義務づけ、市民オンブズマンなどが応募できるようになれば、それだけで、緊張が走り、無駄遣いは激減するのではないかと思います。

●「住民訴訟」については

・権力の一角である司法に行政を訴えているのに、事業は執行停止すらされず訴えの利益がどんどん薄れていく。

・どうみても「最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」地方自治法2条14条違反を、「違法」と断言する勇気をもたない腰の引けた裁判官が「裁量の範囲」と「合法化」してしまう。(その「裁量」が政治的社会的に妥当かどうかは別の話であるにもかかわらず、「違法」であると主張する原告の訴えが却下されただけで、行政側は図に乗る)

▼だから、行政事件訴訟法第25条等の改正が必要
▼だから、行政訴訟にこそ裁判員制度の導入が必要で、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の大改正か新たな立法が必要

つまり、政治的利害や既得権益によって歪むことも往々にしてある間接民主主義を補完するために、住民が直接に参加して、これまでのように行政が「聞き置く」ではなく、「結果が出せる」仕組みに変えていくことをセットにすることが重要ではないでしょうか。

そうしなければ、「一括交付金」になったとしても、政治的利害や既得権益という見えない囲い込みによって、あいかわらず民意が反映されない、ハコモノ重視の公共事業のあり方も変わらない。住民は文句をいっても遠吠えに終わり、やる気をなくし、政権交代しても変わらない、と政治不信が深まり、投票行動にもつながらない。

逆に、こうした改正、つまり住民の力を信じる、間接民主主義の限界を謙虚に認めて、直接的な参加で補完してもらうチェック機構を充実させることによって、より民意に近い税金の使い方が実現して、たとえ、誰が政権をとっても一定の民主主義の水準を満たせる。

逆に言えば、これまでこうした改革がなされて来なかったのは、まさに、既得権者がその既得権や政権を維持するためだったのだとも思えます。正当な政党が選ばれ続けるためには、「正義」を信じて行動する市民を信じる制度を作ること、社会を担う役割を自分たちが囲い込むことではなく、役割を市民に十分果たしてもらえる制度を作っていくことではないでしょうか?

その意味で、「小鳩政権」の今のやり方は、社会を担う役割を、これまでの自民党以上に、民主党だけに囲い込もうとしているやり方にも思えます。

自民党に政権を渡すまいとするばかりに、前政権で手首を後ろ手に縛られてきた国民の縄を解くことと忘れたまま、自分たちだけが進もうとしている。しかし、これでは国民は、一緒に前に進もうと思っても、こけて地面に顔面を打ちつけるばかりで、ましてやとても一緒に走ってはいけない、そんな気がします。

何よりも一番に後ろでに縛られた国民の手を解放する必要があると思うのです。

たとえば、行政府として上記のような改正に取り組んでくれてももちろんいい。
でも、国民からすれば隔靴掻痒。

市民提案による議員立法はこれまで数多く行われてきました。その多くを民主党は担ってきたと思います。それがなぜ、今、議員立法禁止なのか。今こそ、市民のための立法が可能であり、今しかなく・・・、

たしかに毒にも薬にもならない意味のない自己満足な議員立法も行われてきましたが、それも発展途上のプロセスとして社会としては許容すべき時代でもあったと思います。

今、なぜ、国会が持っている機能を、公党が国民の意見も聴かずに、勝手に禁止してしまうのか、理解ができません。政府提案の内閣法だけで、社会が成り立っているわけではありません。これまでも、省庁と対立したり省庁の利益に無関係な法律は、世論を土台に議員が主体になって作るしかありませんでした。いままで培ってきたその議員の力を削ぐことは(議員立法を禁止することは)国民の力を削ぐことになる。これは、民主党を利することにもならない。議員立法は禁止してはいけないし、してよいものではないと思います。

内閣法で提案されない法律はいつでも国会が出す、という緊張感があってはじめて市民のための法律案を出す政権が成り立つのではないでしょうか?

同様に、国会での官僚答弁を禁止することも間違っているとしか思えません。

国会が認めた予算で事務事業を執行する行政職員は、国民に対してアカウンタブルでなければ(説明ができなければ)ならない。3000事業とも言う事業のすべてを100人かそこらの政治家が管理監督することはできても、事務事業を執行するのは行政職員であり、それがきちんとなされたかどうかを国会でチェックする際には、管理監督者責任とは別に、執行者としてきちんとやったのかをどうかを、国会が問いただし(職員を矢面に立たせ)、たとえば、「大臣、こんなことでいいんですか?オタクの職員、ちゃんと仕事していませんよ」と対応を迫り、その答弁によっては、管理監督者たる大臣が改善を、国民の面前(国会)で部下に命じることを約束するという場面も必要なはずではないでしょうか。

そうやって「職員」答弁と管理監督者である「大臣」答弁を使い分けながら、国会質疑は行われ、民主主義の実現が遅々たる歩みでも進んできた。

大臣が答えなければならないと思うなら、その大臣は、好きなだけすべて答えればいい。それをわざわざ国会法で禁止するのは愚かではないでしょうか。なぜ、国会が持つ機能(官僚を引きずりだして説明を求める機能)を狭めてしまうことが、国会改革なのか。

官僚答弁を禁止したら、答弁する側の政治家はより一生懸命勉強をするかもしれないが、アカウンタブルであることを求められなくなるその部下たる行政職員は、自分が行う事務事業に対して責任と誇りを持つことができるのでしょうか?

●長くなりましたが、まとめますと
 
 官僚の国会答弁の禁止
 議員立法の禁止
 あわせて質問主意書の禁止
 さらには議員連盟の禁止?
 
は民主党の存在意義にかかわる愚かな決定ではないかと思います。
何かに心を奪われているあまりに(何なのかわかりませんが、例えば、自民党に議席を渡さないこと?自民党と自民党支持層を切り離すこと?)民主党を活用してよりよい社会にしようと考えていた国民が目に入っていないのではないか、何かを何かから防御するために、国民を遠ざけているのではないか。

たとえば、自民党政権に辟易して非自民に投票したことで誕生した政権なのに、いつの間にか、非自民政権なのに、民主党政権と勘違いしていないか?非自民に入れた国民(大半)が目に入っていないのでないかと。

自民党とその支持層を引き離して民主党政権を安定させようとする姿が目立つと、自民党のカテゴリーに民主党も入れられてしまい、国民が愛想をつかせた自民党を利することに結局はなります。その受け皿のフリをする次の党が誕生することになるんでしょう。(結局自分がしっかりしなきゃ、と国民ひとり一人が思うようになるのはいつのことでしょうか、と天唾ですが)

自民党?・・・野党になっても使えない
民主党?与党になったら使いにくいね、困ったね

そんな声は私の周辺で聞かれます。
これは必ずしも実態とイコールではなく、期待が強かっただけに「期待していたよりも使えないね」という心理が反映しているものと思います。いずれにせよ、「期待はずれ」というのは、「自民党政権だもん、こんなもんだよ」という政治への「諦め」よりも、もっと恐れるべきものではないかと思います。
@ @ @ @ @ @

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※10/31で更新停止していました拙ブログですが、以下の件にて勝手ながら緊急に更新させて頂きました※なお、下記の目的は、FAXやメールの送信ですが、この文例につき、姉妹サイトである「ガラス瓶に手紙を入れて」に公開しております。よろしくお願い申し上げます。◆◇◆以下は『水間条項』からの転載記事全文◆◇◆外国人参政権付与法案阻止が試される格好の選挙が告示されます。それは、大島など小笠原諸島を選�... [続きを読む]

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