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2010年7月 8日 (木)

ダム見直しの失敗(その13)

さて、第二の教訓 【これまでの利水】です。

利水とは何か?長い話をおおざっぱに一言でいうと、川の水を持続的に利用しようと思ったら、新たに水源開発施設(つまりダム)を建設しなければならない、と考えられている仕組みです。

たとえばですが、すぐ目の前を豊かに川が流れていても、遠く離れた山の中にダムを作らなければ、水を取る許可を得られない、と考えられている。逆に、「ダムを作ります」と言えば、まだダムを作っていなくても「暫定的」に水を取ることができる、と考えられている。この仕組みによって、うまく調整すれば、本当は必要ではないかもしれないダムが、仕組み上、必要であると考えられてしまっている場合がある。

なぜ、こんなにしつこく「考えられている」と繰り返すのかと言えば、実は、私も今日まで、そう考えていたからだ。川の水を持続的に利用しようと思ったら、新たに水源開発施設(つまりダム)を建設しなければならない、と思いこんでいた。例えば、八ツ場ダムを作ることを前提に、埼玉県や群馬県は、暫定的に水を使う許可を得ている。これは八ツ場ダムを作ることが前提条件になっていると考えていた。

実際そうではあるのだが、ところが、法律上はそう書かれていなかった。実は、私自身、そのような法令に出会ったことがないことにハタと気づき、今日、改めて、そのような法令(つまりそれに従わなければ違法であることになるルール)がないことを確かめようと、国土交通省に問い合わせをして分かった。

果たしてやっぱり。そもそも、水を使う許可、つまり、水利権について定めた河川法の条文は一つしかないのだ。

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(流水の占用の許可)第二十三条  河川の流水を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。
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その他の、上記のように考えられているルールは、単に国交省内の「通達」によって定められていただけだった。単純な言い方をすれば、官僚の裁量である。

国土交通省の担当者に質問しながら教えてもらったことと、ここに書かれている説明
を合わせて言えば、水を使う許可は、大きくわけて3通りある。その3通りが、いわば官僚の胸先三寸で、場面場面で状況に応じて運用されてきた。

ゆっくり消化して欲しいので、今日はここまでにします。

ただ、もう一つだけ言うと、水を使う許可を河川管理者(国や自治体)に申請して得ることを「水利権」を得るという言い方をするけれど、「水利権」というのも法律に書かれている言葉ではない。河川法ではこれに関して、次のようなくだりがある。
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(河川管理の原則等) 第二条  河川は、公共用物であつて、その保全、利用その他の管理は、前条の目的が達成されるように適正に行なわれなければならない。
2  河川の流水は、私権の目的となることができない。
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つまり、川は公のものという意味だが、「公」というのは、残念ながら「みんなのもの」という意味ではない。事実上、河川管理者のものであるととらえ、だから、川の水を使う「権利」は河川管理者が与える、という考え方に立っているように読める(これは私の読み方ですが、おそらく従来の河川管理者の考え方もそうではないかと思えます)。

ちなみに、水利権の許可は、河川管理者(国交省や自治体)の胸先三寸だったのだ!と最終的に私が気づき始めたのはやっと去年です。『都市問題』2009年12月号の「ダム建設の是非を考える」特集に向けた取材で、かつて、国直轄事業として進められ、一度は当時の与党による政治決断がきっかけで中止になった「木曽川導水事業」(今は似た名前の違う導水事業が宙ぶらりんだが存在する)を、念のために国土交通省中部地方整備局に取材した時のこと。

その事業は、名古屋市の堀川を浄化するために、木曽川の水を引いてくるというものだった。中止になったのだとばかり思っていたら、さにあらず。「社会実験」の名で復活していた。名古屋市が水路を作り、国交省が「社会実験」と称して木曽川から取水していた。その取水の根拠は何かと尋ねれば、「徳山ダムによる導水や長良川河口堰、味噌川ダム、岩屋ダムに参加している。そういう名古屋市の姿勢を見て許可している」(国土交通省中部地方整備局)というもので、「なに~~?姿勢?姿勢を見て許可~~?」と、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。それはそれで、そのまま淡々と原稿に入れたが、実は余りにショックで、その根拠のことを消化しきれていなかった。

しかし、今度こそ、意を決して勉強をし直すと、その「姿勢を見て許可」できる水利権というのは、つまり、国交省に優しい言い方をすれば「良心的な柔軟運用」、厳しい言い方をすればやっぱり「胸先三寸」ではないかと、ようやく分かった。これには3つのパターンがあるので、それは次のコマで書くことにしますが・・・。

水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之さんが埼玉県の資料で調べたことによれば、埼玉では、こうやって、国交省による良心的な柔軟運用=胸先三寸で、長いところで1972年から37年間にわたって、暫定的に水を取る許可を取り続けている。しかし、これは、また同時に、やりようによっては、国交省による良心的な柔軟運用=胸先三寸で何時までも暫定的な水利権である必要もないことを意味しているのではないか。

何せ、存在している法律は
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(流水の占用の許可)第二十三条  河川の流水を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。
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だけで、具体的なルールは、通達(=国交省による良心的な柔軟運用=胸先三寸)で定めているだけだからだ。

気が急く人はここをじっくり読んでみてください。

そして「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」 の中間とりまとめ(タタキ台)  では、こうした、水利権の許可のあり方にきちんと向き合って、新しい考え方が示されているかと言えば、何もありません。従来通りのダム計画に参画するときの手続の流れを踏襲する範囲(P.44~)で書かれているだけでした。

分かりにくかったかもしれないけれど、ここまで忍耐強く読んでくださった方、本当に有難うございます。(続く)

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コメント

いつもながら鋭い指摘を読ませていただいています。
ところで、お忙しいところ恐縮ですが、河川の水質保全について、僕なりにPCなどで調べてみましたが、”河川管理者がダムを造って水質を悪化させてもかまわない”のか、どこにもそのことに触れた法的記述が見つかりません。地方自治体などには「水質保全条例」なるものはありますが、

日本の世界的魚類「鮎」が絶滅の危機にあります。人びとが川に近づかなくなった最大の要因は「濁っている」からです。国であっても川を汚せば罰せられる法律がありませんか?

投稿: 森口玄七(玄さん) | 2010年7月 9日 (金) 11時42分

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