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2010年8月 4日 (水)

ダム見直しの失敗(その30)14年間の繰り返し

過去のダムの見直し(ダム事業等審議委員会)の失敗【歴史編】の続きを書こうと思って、考えてみると、当時、一番に情報を集め、リアルタイムで記録していた(しようと努力していた)一人は自分ではないか!と気づいた。このブログの前身である「ダム日記」に書いたはずだと思い、過去にちはるさんにまとめてもらったダム日記資料室へいって探してみた。要するに14年前の自分の日記だ。

ビックリした。宮本博司さんとの最初の遭遇が記録されていたからだ。
1996年のことだ。

∞∞審議委員会1(変わる建設省)∞∞
http://www.korogary.com/dam/txt/1996053021.htm
∞∞審議委員会2(密室性)∞∞
http://www.korogary.com/dam/txt/1996053022.htm 
∞∞審議委員会3(公開性)∞∞
http://www.korogary.com/dam/txt/1996060722.htm 

当時、建設省本省は変わろうという姿勢を示しながら、
地方整備局(当時の地方建設局)や県がイケイケゴーゴーで、見直しの兆しがなく、
地元住民がワーワーと頑張って、頑張ったところは少し成果が出て・・・と
飽くなき戦いが繰り広げられていたのをちょこちょこレポートしていた。

その後、マスコミの報じ方が足りない!
これなら自分でなっちゃった方が早いんじゃない?
1997年1月1日にジャーナリストになります宣言をしたんだった。
その後、永田町で働くことになるとも思っていなかった頃だ。
やればなんとかなる、人生イケイケゴーゴーだった。・・・トシをとった。

上記と比べると、その後、以下の淀川水系流域委員会という
全面公開の新境地を切り開いた↓↓宮本さんの『進化』ぶりと比較できて、個人的に感慨深い。↓↓
流域委員会の設置にあたって 
http://www.yodoriver.org/about/toha.html#setti

それに比べて、国交省本省は、進化していない。

余談だが、1996年の日記を読んでみると、
建設省記者クラブとの未知との遭遇ぶりも書かれていた。

こんなことがあったことさえ覚えておらず、笑えた。
http://www.korogary.com/dam/txt/1996022301.htm 

記者クラブと私の関係も、今とさほどは変わっていない・・・・。
フリーランス記者として、オブザーブはできるようになったが、質問権はない。
こんなことも、記者クラブ所属記者に相談の上、
知恵をもらってやるだけやってみたが、
自主開放させることはできなかった。↓
なにげに報告する。「mlit_press_club.doc」をダウンロード
世の中、文句を言っていても仕方がない。常に努力、常に前進。

望んでいる到達地点よりも途中までしか世の中が変わらずに命が尽きてもいい。

くたびれたら休む。
歴史なんか繰り返すばかりで人が死んでいくとしても。

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