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2011年2月20日 (日)

ネアンデルタール人未満

最近のアウトプット

●週刊金曜日の特集
「祝島の島民はなぜ原発を拒否するのか」 2011年1月28日 832号
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/tokushu/tokushu_kiji.php?no=1711
で、飯田哲也さんにインタビューをさせていただいた。刺激を受けた。

●エコ&ピース月刊誌 Actio 2011年3月号で
『原発輸出ではなくオーフス条約の批准を!』
http://actio.gr.jp/latest
特集ははからずも「エネルギーは地産地消へ」 表紙がカワイイ

●ECO JAPAN 2011年2月18日(今だとトップページ)
風力発電の環境アセス、規模要件が焦点に
環境影響評価法・施行令改正へ
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110216/105882/ 

最近のインプットの方も関連して言うと、

日本で最初の高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地となった東洋町のケースを深く報じたことがある者として、2月13日の夕刻、ドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を渋谷に見に行った。世界初の高レベル放射性廃棄物最終処分場の建設を進めているフィンランドの「オンカロ」の世界初の記録、いや、10万年後の人類に向けたメッセージだ。

「公文書管理」に関心を持つ人々にも見てもらいたい。
多大なる刺激を受けるはずだ。(夏に一般公開らしい)

「原発ゴミ」の正式な呼称である「高レベル放射性廃棄物」は人体に悪影響を及ぼさないまでに放射能が下がるまでに10万年かかるのだが、10万年後の人間に対し、つまるところ、「危険、近づくな」ということをどうやって伝え続けるのか、そんな方法はあるのか?と問いかける映画なのだ。

「この石の裏側を見てはいけない」とルーン石碑に書いてあっても
考古学者はひっくり返して見るんだから、と。

たとえば、10万年前といえば、ネアンデルタール人が絶滅する前の時代である。
たかが1000年前に紫式部が書いた源氏物語だって現代人は四苦八苦するのに。
一体、どんな言語を喋っているのか分からない10万年後の生き物に
「放射能危険」「掘るな」とどう伝えるのか?

日本では、公文書管理法案の制定前にこの辺でしつこく書きましたが、公文書の管理の悪さといったらありませんでした。 

昨日、こちらで取り上げた問題ともつながっています。

記録とは行政のあり方そのものです。納税者への責任の取り方そのものです。
エネルギー事業も、ダム事業も、公文書を管理することこそが基本であり、
行政の仕事の妥当性を図る物差しであり、
また、行政に限らず、今を生きている人間の、未来に向けた人々への重要な責務。

未来の人々になんらかの影響を及ぼす可能性がある事業を行う場合、
その記録はつぶさに後世の検証のために残すべきで、
記録の残らない事業は、原発であれ、ダムであれ、
その無責任な体制が発覚した時点で大きな問題だと考えるべきだ。
いかなる事業も記録を残せる範囲で進め、未来世代に責任が取れない(=記録に残せない、残さない)事業は始めない、認めない。そんなことを考えさせられます。

言語も文字もコンピュータも発達した現代においても
未来の人間から見ればネアンデルタール人未満なのが、
日本の河川行政だと考えざるをえない・・・。

このブログのエンディングに近づき、地質にこだわっているのも
そういう発想からでもあります。

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