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2011年2月23日 (水)

このブログの行方(6)何が必要か?

タイトル(5)を(6)に修正^^;(2011.2.24)

●何が必要か?
ここから先は、実は川辺川ダムとも共通している。淀川とも共通している。
ここからの問いは、八ツ場ダムと本質的には同じである。

成功したように見えるダム反対運動があっても
自治力がジワジワとあがってきても、
その現場で、相変わらず国交省が居座っているのは何故か?

突き詰めて言えば、
河川法第6条に基づく河川整備基本方針に「洪水調整施設」が位置づけられているからだ。それがある限りは、たとえ、いったん、河川整備計画からはずしたとしても復活のチャンスはある。「地方自治の賜」と「政治的に」止まっているという位置づけに留まる。

目下、ここから先の考え方は少なくとも二者ある。

・基本高水を神棚において無視する考え方と
・基本高水論争だ。

あえて足せば、もう一者。
前者が正解だが、ブラックボックスでアンタッチャブルだった基本高水が
鉛筆なめしている証拠があがれば後者もアリではないかという立場。

棚上げ論が楽。
それで勝てるなら、誰だってその道を選ぶだろう。
好きこのんで基本高水論争をする人はいない。
突き詰めて言えば、道は3つ。

1. ガチンコで基本高水論争をして河川整備基本方針に書き込まれた基本高水(実際には「計画高水」といって、基本高水から洪水調整(ダム)分を差し引いた値を表す文言が法律には書かれている)を変更させるか(ガチンコ基本高水論争派)

2. 河川整備計画でダム施設をはずさせ、基本高水を「死文化」していくか(神棚派)

3. 河川法という法律から、基本高水による治水概念(洪水を想定し、どう水位を下げるかという治水概念)を変える。

この三つの道のうち、通れる道を通るしかない。
また、登れる山ならすべての山に登るのがあらゆる住民運動に共通している。

川辺川ダムの場合、これ以外の「自治力」で止めている。
八ツ場ダムの場合も、ある意味、その途上でもある。
淀川の場合、2の筋で進んでいたのに、リビアのカダフィ大佐なみの近畿地方整備局の強引さで、歴史の時計が逆さに動いた。

このブログは上記「3」が目的である。
こうして結果的に、この6年(予想より長かった)で
このブログのサブタイトルである「河川法を改正しよう」の自問の答えが見えた。
このブログ「ダム日記2」がそのエンディングに向かっているのは、
そのためだ。答えは「ダムか否か」という問いの中にはない。

次は、地質へと戻りたい。

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