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2011年9月24日 (土)

シンポジウムを終えて思うこと

過大であると言われ続けてきた「水需要予測」や「洪水予測」。

●しかし、実際には、ダム完成後に水余りで水道料金があがり
(ex神奈川県/宮ヶ瀬ダム・相模大堰)
買い手がなかった工業用水分の負担を自治体がかぶってきた。
(ex三重県/長良川河口堰)

それを見越して、無駄遣いになるから止めてくれと
住民訴訟が提起されても、訴訟の最中にダム工事が進み、
完成した頃に判決が出るが、「行政の裁量」が認められて住民側が敗訴する・・・。先進国でありながら、これだけ形骸化した司法もないと思うが。

でもやがて、住民が指摘したとおり、
水の使い道や買い手がなかったことがバレる。
誰も責任を取らない。税金が足りず、国と自治体の借金になる。
ハズレだらけだったのが「水需要予測」だ。

●「洪水予測」のハズレはもっとひどい。
洪水予測を大きくすればするほどダムが作れる便利な理屈だ。
ダムをたくさん造りたければ、洪水予測を大きくすればいい。

しかし、実際に重要なのは洪水予測が正しいかどうかではない。

過大な洪水予測をしておいてダム建設の根拠につかっていることは正されなければならないにしても、その先がある。

ダムが貯められる量には限度があるということだ。
そのダムにとっての貯水量の限界がくれば、
「ただし書き操作」によって入ってきた量だけ放流することができる。
中小の雨ならそもそもダムは要らないし、
ほんとうに大規模な洪水にはダムは役に立たない。
ダムに収まるだけのピッタリした場所にピッタリした雨が
降ってくれるわけではない。

しかも、ダムにおあつらえむきの洪水が来ても
実は効果は薄く水位の低下が10数㎝だったりする。
でもダムとはその程度のものだということを
河川管理者は自分の口からは言いたがらない。
時々「数㎝でもいいから水位を下げたい」と感情論でダムの必要性を訴える河川官僚がいるが、実際のところは数㎝しか下がらない程度のものだとよく分かっている。でもその言葉のトリックで、住民はもっとうんと水位が下がると思いこまされている

ダムは安全神話に守られているが
住民はすべての洪水に対してダムに守られているわけではない。
ところがそれを知らされるのは、ダムが役に立たずに被害にあったあとだ。

「八ツ場ダム」だけではなく、見直しにかけられている83のダムが
その「安全神話」に守られたままだ
自治体も国の安全神話に騙されたふりしている。

今後の治水対策のあり方に関する有識者会議での議論も
日本学術会議での議論も

この「洪水予測&ダム」神話を問い直す議論はできていない。
昨日のシンポジウムの第一部の私の反省点は、数多くの不手際は別としても
(いやはや開始直前にギックリ腰が再発したことも含め、多々ある(滝汗^^;)
その点をもう少し強調できなかったところかもしれない。

安全神話をうち破る一番の近道は「自治」なんだろうと
別に国を見限るわけではないが、最近そう考えている。

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コメント

河川工学の最大の神話は、「xxx年確率流量」には科学的根拠がある、です。実際には経験に基づく仮説であり、成立しない事例(長崎豪雨、東海豪雨など)も報告されています。
この仮説を採用するのであれば、ダムの治水効果が計画通り発揮される確率も評価すべきです。八ッ場ダム堤体地点で八ッ場ダムの計画洪水が発生する確率は?

投稿: | 2011年9月24日 (土) 16時44分

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