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2011年11月16日 (水)

意見陳述(6)東京から

八ッ場ダム建設事業の検証に係る検討報告書(素案)に対する 都甲公子さんの意見です。以下の太字はこちらで勝手に太字にさせていただいたものです。少しお時間がある方は全文を、超多忙の方は太字だけでもお読み下さい。

「 私は、東京都多摩地域の一角に住まいしており、東京水道の水の消費者の一人です。八ツ場ダムができたら、その恩恵を受ける立場といわれております。

 地方の過疎化と東京への一極集中が両方ですすみ、人口が過密となった東京では、今後、私たちの使用する水が足りなくなるとして、遠くの水源に水を求め、八ツ場ダムは、そのためのダム計画でありました。

 私たちが使用する水を確保するために、美しい渓谷の自然を壊し、そこに住まう人々の生活を壊すダム計画を、この地域の人々に押し付けてしまったことを、首都圏の住民として、申し訳ない思いでいっぱいです。心優しい地域の人々は、煩悶しつつも首都圏の人々がそんなに困っているならしかたないと我慢をしてくださったのだと思います。

 しかし、そもそも、地方に犠牲を強いて、都市の人々がのうのうと水を奪ってよいはずはありません。今日、ようやく、この社会の持続可能性のために、温暖化防止や循環型社会の形成などの環境対策が不可欠であると認識されるようになり、大量消費、使い捨ての精神の見直しなど、都市に住む私たちも幾ばくかのことを学んできました。また、計画から長い年月がたって、社会情勢も変化してきました。それらを踏まえて、今回の検証では、今でも、今後ダムを作らなければ間に合わないほど本当に水が不足するのか、水需要が今以上に増えるのか、このことこそが、しっかりと見直しされるべきことでした。

 今回の検証では、利水の開発水量は、各水道事業者に確認した水需要を根拠として求めたとしていますが、利水の前提条件を正しく把握するためには、利水予定者の水需給計画を厳しく審査する必要があったのではないでしょうか。

 首都圏では、人口の減少、節水型トイレや洗濯機など節水機器の普及などにより、水道配水量は減少傾向にあります。東京都は、2003年以来水需要予測の見直しを行っておらず、2013年の一日最大配水量予測600万立方メートルに対して、実際の最大配水量は、500万立方メートルをとっくに割り込むなど、水需要は減少の一途をたどっており、予測と現実の水需要は大きく乖離してしまっているのです。

 私たちは、これを本来の姿に正すため、昨年、東京都議会に東京の水需要予測の見直しを求める請願を提出しました。昨年6月議会で、請願が採択されたにも関わらず、東京都水道局は、これを無視し、水需要予測の見直しをいまだに行っていません。

 東京と同様、他県の利水予定者も、水需要予測を少なくとも現状に合わせ見直し、利水計画に反映する必要があります。さらに政策転換を進める考え方に沿って見直すのであれば、今以上に節水の努力をし、現状よりも過小な水需要を条件とすることもあってよいのではないでしょうか。

 節水をさらにすすめることや、東京都の保有水源を評価し直すことで、開発水量は大きく異なってきます。検証には、東京都が現在汲み上げて水道水源として活用している多摩地域の地下水を故意に保有水源に入れていないことも問題です。この水源は架空のものではなく、私たち多摩地域に住む市民が、実際に毎日使っているもので、その量は、日量にして約40万立方メートルになります。

 また、この過大な開発水量を条件としたため、同等の水を他から持って来るにはどうするかということになり、静岡県の富士川から導水するという荒唐無稽な計画が、八ツ場ダムの代替案の一つとされました。
 大型公共事業によらない代替案を検討すべきであるのに、遠く他県からの導水案はダム案の代替案として認めることはできません。ダムに依存しない利水の代替案は、過大な水需要を他に求めることではないはずです。

 節水をさらに進めることや、東京都の保有水源を正しく評価し、守り、さらに地下水の涵養と保全に務めるなど、水循環の回復による水源自立をすすめる政策転換こそ、代替案とすべきと考えます。
 都市の人々が水を奪うために、山間の自然を壊し、人々の生活を根こそぎ奪ってしまうこともゆるされないことですが、そのことを必要のない水のために行なうとしたら、地域の人々の苦しみをさらに過酷なものとすることになるでしょう。

 実際、計画が持ち上がってから半世紀、ダム計画に翻弄され続けてきた、現地の人々の苦しみは、察するにあまりあります。いったん失われた自然、壊された生活、くじかれた希望を取り戻すことこそ、多くの代償を必要とするものです。いいえ、多大なコストをかけても取り戻すなどできないでしょう。今回の検証では、このダム事業のこのような負の遺産性を評価の中に加えていないといわざるを得ず、このことも、納得できない理由の一つです。

 さて、計画から、事業開始、共用までに長い年月を要する大型公共事業では、その間の社会情勢の変化などに応じて、計画変更や廃止など柔軟な対応が必要であるとして、いわゆる時のアセスなどの必要性が、これまでも指摘されてきました。しかし、実際は、政官財の癒着の構造から、一旦決まったら、見直すことはまずできないと思われてきました。しかし、2009年の政権交代により、民主党政権が、無駄な公共事業の見直し、「コンクリートから人へ」と掲げて誕生し、早速に当時の前原国土交通大臣が八ツ場ダムの見直しを表明し、今度こそ、変わるかも知れない、不要なダムによって山間の自然を今以上に壊すことを止めることができるかも知れないと、私たちはおおいに期待を寄せました。

 今回の検証も、「できるだけダムにたよらない治水への政策転換を進めるとの考え」に添って、ダム計画が利にかなっているかを見直すことが目的であったはずです。人口減少や水あまりなど社会情勢の変化や、治水についての知見の深まり・技術の進歩などから、ダム計画の利水上、治水上、その他の効果の評価の見直しがまずされるべきであったと思います。その意味で、本当に、このダムが必要なのかどうかという根本的な問いに、この検証は答えていないと思います。

 私たち市民は、大型公共事業、いわゆるコンクリートによる効果について、以前から不信を抱いており、民主党新政権の「コンクリートから人へ」というスローガンに、おおいに共感したものです。さらに、東日本大震災によって、私たちは、これまでのコンクリートが人々の安全を守ってくれるという神話が、いかに脆いものであったかを思い知らされました。私たちは、巨大開発行為によって自然をねじ伏せて、エネルギーを得たり、災害を防いだりできるということは、もはや幻想に過ぎないと悟るにいたりました。洪水を防いだのは、ダムではなく、保水力を秘めた雑木の森でした。津波を防いだのは、堤防ではなく、これ以上海よりにまちをつくってはいけないという古の経験からの教えだったのです。大震災を経た今、堤防が津波を防いでくれる、ダムが洪水を防いでくれるということを市民は信じていません。「治水のためにダムが必要」というダムの効果の評価は、今こそ市民の納得のいく見直しがされるべきと考えます。

 今、私が申し上げたことは、素人の根拠なき不信感に基くものにすぎないといわれるかもしれません。しかし、私たち市民が直感的に感じたと同様、今回の検証に対し、多くの学者の先生方も、異を唱える声明を出されました。声明文は、検証結果について科学性、客観性が欠如していると断じています。先に私が述べたと同じく、利水について、水需要予測の減少傾向を無視していることもその理由の一つに上げられています。その他、治水において、ダムの洪水調整効果を過大評価していることや、災害に対する対策が欠如していることなどが問題ありと指摘されています。

 京都大学名誉教授、今本先生をはじめ、80人もの多くの先生方が指摘するとおり、今回の検証報告書は、ダムを推進してきた国土交通省が、一方に偏った考えの人たちだけでまとめたものではないかとの懸念を、私たち市民も感じています。
 ぜひとも、国土交通省の外に第三者機関を設置し、これまでの河川行政やダム建設に批判的な専門家も加えた公開の場での検証のやり直し、すなわち真に予断なき検証を、切に求めるものです
(都甲公子 東京の会/多摩の地下水を守る会/東京・生活者ネットワーク)」

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