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2011年12月30日 (金)

前原誠司の敗北とその原因(敬称略)

2009年8月30日の総選挙後、政権交代直後に改革のためのキーストーンを書いた。ある議員に国交省に誰を起用すべきかを提案し、その反応に対し、すでに絶望を感じてこの日記を書いた。無血革命 2009年9月1日(火)
これが「無血革命」だったのかどうかは、1年後にはもうすでに一つの歴史となって見え始めているはず」と書いた。

●しかし、結果は政権交代後わずか10日で見えていた。(↓続きをクリック)

既得権者達が時計の針を戻そうとし、マスコミがそれを垂れ流したが、民主党はこれに対しなんの手も打っていないのが明白だったからだ。→政権交代と石原都知事 2009年9月9日(水)

危機感を覚えた市民団体から「記者会見を開く」と連絡を受け、2009年9月15日、私は本来は書く側の立場でありながら、非常手段として、5分もらえないかと頼み、この問題の先行取材者として役に立てればと、それまでにアウトプットした情報の一部を共有した。(ワードファイルです→ http://bit.ly/rWMjyr )

市民団体はこの日の記者会見の内容を9月22日「みんなの八ツ場パーフェクトガイド」(PDF)としてまとめて発表した。

●すでに人事に(当時私の目から見て)失敗していた民主党は、同時に既得権者達によるメディア戦略にも無策で負けていた。地方議会と行政ぐるみのヤラセがこの時も野放しとなり、3ヶ月後には完全に敗北していた(この間、丸一ヶ月、私は事業仕分けで忙殺された。これについては場所を変えて書く)。

長野原町は決して「中止撤回」が多数派ではなく、ヤラセが横行していることを「語り始めた住民と旧政権にしがみつくダム流域の自治体」(週刊金曜日2009年11月27日号) で書いたが、中止バッシングに走り始めていたマスメディアの大火事には焼け石に水状態だった。マスコミは旧体制の長野原町における失策を放置し、新政権のやり方だけを叩く一方、長野原町議会はほとんどノーマークだった。取材にいくと、町議のくせにまだやつばダムと読む町議もいる状態だった。それぐらいこの問題は長い間、ご当地においてすら放置されていた。この民主主義の殿堂である基礎自治体の町議会の模様はまるで報道されず、自分の土地から自分の土地へと移転し「生活再建」が終わっている町議が繰り返し「町民」としてテレビに登場し、お涙頂戴物語が展開された。

2009年12月3日、ついに取材者すら排除する自民党と同じやり方で、前原元大臣は私的諮問機関として今後の治水対策のあり方に関する有識者会議を開始した。本来、このようなことをやるなら、河川法に基づいて社会資本整備審議会河川分科会で行うべき議論(社整審ならば公開会議である)が、河川局長のさじ加減でどうにでもなる形で始まった。これの4コマ目「治水対策有識者会議開催  完全非公開、見えない審議」で河川局長の操り人形にすでになっていることを警告する記事を書き、記事はセッセと送ったが、問題にまったく気づいていなかったとしか思えない。この会議が始まった段階ですでに終わっていたと言ってもいい。

事業仕分けには環境行政改革フォーラム幹事として出たので、それを終えたばかりで今度は取材者の立場で霞ヶ関に突撃するのも気が引けたが、この分野で危機感を持っている取材者が少なかったので、シノゴノした考えは切り捨てた。つい先日まで完全公開でTVカメラにも一般傍聴にもインターネット中継にも曝された身で、皮肉にも今度は「河川事業利権」を象徴する会議にひたすら「公開」を求める1ライターとして大臣に訴えた。前日夜の日記と、国交省の議事録に残っている。

治水のあり方、有識者会議のあり方 2009年12月 3日 (木)
●2009年12月3日 第1回今後の治水対策のあり方に関する有識者会議
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/dai1kai/dai1kai_gijiroku.pdf
~~~P.6~~~~~~~~~~
記者】前原大臣、公開はしていただけないんでしょうか。非公開の理由を教えていただけないでしょうか。
【中原政策官】 ご質問は、後ほど会見の場でお願いします。議事の進行の妨害になりますので、ご退出、ご協力をお願いいたします。
(カメラ退室)

~~~~~~~~~~~~~~~
Photo

(写真は2009年12月3日、公開を3回要求した立ち位置から撮影)

実はこのとき、前原大臣(当時)が無視するので、私は同じことを3回繰り返したし、「非公開の理由を教えてください」と要求に近かった。記者達の誰一人としてこの要求に加勢するものがなかった。記者団はこうしたときに集団で公開を迫るべき存在ではないか。虚しさを抱え、エレベーターホールで待ち続けて大臣に食い下がり、公開しないのであれば「理由を教えてください」と叫んだが逃げられた。その構図ではあたかも私1人がヘンな人か、テロリストだが、私の感覚が一般国民の感覚だ私は自分がごく普通の人である自信がある。そこは譲れない。そこで今度は、直接きちんと問うことにして、大臣室に乗り込んだ。権力に毒されないメディアはまだ存在しているのだ。

インタビュー「コンクリートから人へ」をいかに実現するか
月刊「世界」2010年4月号
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/04/directory.html
――長野県の浅川ダム、香川県の内海ダム、長崎県の石木ダム等の駆け込み本体工事入札に歯止めがかけられていないことに対する批判も根強くある。
――ダムによらない治水を提案してきた有識者を委員に任命していないことや、非公開であることが疑問視されていますが。
――公開にすることが力の源泉になるのではないですか。

と、誌面ではこちらの質問は可能な限り削ったが、実際のインタビューでは、早口でこの10倍ぐらい問題を指摘した。記者の役割は、世の中の声を権力者に届けることにあると信じている。

前原元大臣の初動の誤りを尻ぬぐいするのは誰か 2011年8月27日 (土)
これは、菅直人首相から次の首相候補に前原現政策調査会長の名前が出たときに書いた。軌道修正の最後のチャンスだと考えた。

ちなみに、この中に「過去にはそれが審議される審議会で、水資源開発促進法の廃止自体が議論され、その議論が隠ぺいされたこともある」と書いた。なぜ知っているかと言うと、直接その議論をした「御用学者」から聞いたからである。「あなたを御用学者だと思っていた」と率直に面と向かって話をしたときに聞いた。この御用学者は、ある審議会で水資源開発促進法を廃止すべきだと語ったら、担当課長が飛んできて議事録からの削除を要求され、要求に応じたと語った。そのとき、この学者に取材として会ったわけではないので、いずれ改めて取材者として会い、実名を公表する。そのときまでに本人が自ら公言することを望む。

さて、そんなわけで、前原元大臣の敗北は、政権交代直後、法手続に疎く、人事がすべてであることに気づいていなかったことが原因だと私自身は取材者として実感している。官僚機構と闘うには法律と人、それ以上の武器は何一つ必要ないが、その二つがダメであれば何一つ上手くいくはずがない。その後で起きたことはすべて、その失敗が結果として出てきただけである。前原さんは今、民主党の政調会長であるわけで、本人がそのことをどこまで理解し、生まれ変わるかで、来年の民主党の運命は決まってくる。

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