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2012年2月23日 (木)

番外編<エピローグその1>

2004年にこのブログを始めたとき、本当の意味でこのブログのテーマ達成に5年ぐらいかかるだろうか、と考えていた。1997年の河川法の改正が行われた時期に続き、私は国会の中で仕事をすることになった。ダムのことだけをフォローしていればいい立場ではなくなった。その間、メルマガ「国会攻略日記」を書いた。濃密な数年が経過した後、家族のためだけに使った8ヶ月を経て2004年に社会復帰したときには、河川法の運用についてフォローする人々の動きは完全に世の中に埋もれていた。

表向きには、長野における「脱ダム」というトップダウンの動き、熊本における川辺川ダムにおける農家の裁判勝訴、大阪における淀川水系流域委員会の画期的な参加のあり方が目立ち、日本も「脱ダム」をしたのだと勘違いした知識人が多かった。その間、実は、河川ムラでは着々と巻き返しが図られていた。

一方で、少数の一時的な成功の影に、1997年に取りこぼされた河川法の問題に対する社会的認知度はほとんどゼロになっていた。

問題を顕在化させ、社会全体の問題としてとらえられるようになるまでには、5年がかかるだろうと思った。ジャーナリスト業に復帰するかどうかも決めていなかった。人生の建て直しをしながら、できること、としてブログを始めた(当初はViva!さんが場所を提供してくれて、あとでここに引っ越しをした)。第一回目は、次のようなものだった。

「あの川」というモティベーション
http://dam-diary2.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_effe.html#more

メキシコ・チアパス州、ある町にほど近い山の中の
コミューンに、妙な縁で、居候することになりました。
そこには、シャワーもお風呂も水道もなく、
川がありました。

3日に一度、皆で川を渡り、森を抜け、泉にたどり着き、
水を汲んで帰り、手作りで建てた家のキッチンの大瓶を
満たしました。
おでこから背中にかけて重い物を運ぶコツを覚えました

清流を守りたいと叫ぶ日本の小さな村に出会ったとき、
あの川だ、と思いました。
川は違っても、目の前の川は私の一部!という感覚。
その感覚は、理屈ではない。
  私だって、命をかけて守るだろう。
汚い川しか知らずに育った。
でも、この国で、すべてが失われたわけではなかった。
この国には、まだ「あの川」が残っている。
「あの川」を持っている人がまだ、日本にはいる。
だとしたら、私も、それを守らなければならない。
「あの川」だから。そして…、

あの小さな村の大きなダムが中止になってから、
数年が経ちました。

川やダムを巡る状況も、かなり変わってきました。
法律も変わりました。「河川法」だけでなく、
司法制度や行政手続も変化しつつあります。
でもそれらは、誰にでも分かりやすく整理されている
わけではありません。

また、各地の現場ではまだまだドンパチと、
住民と国土交通省の闘いを、繰り広げられています。
そして、
闘いのルールは、圧倒的に計画の推進者に有利なままです。

そこで、かつて、小さな村の動きを、ただただひたすら
「こんな村があるよ」と「ダム日記」で伝えたように、
今度は、「ダム日記2」で、ただただひたすら、
「河川法を改正しようヨ」と、現場情報とルールを
整理しながら呼びかけていきたいと思います。
何かを始めると、「なぜ?」と聞かれることがあります。
だから、聞かれる前に書いておきました。

私の行動の原点は、
メキシコ・チアパス州を流れる、ある名もない川。
「どこ?」と聞かないでください。
誰にも教えません。私の川だから。
でも、あの川が、私を動かしていくのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2004年に「河川法を改正しようョ」と呼びかけて8年が経った。
焦ってはダメだと思ったが、それにしても寄り道をしすぎた。
昨年12月31日を区切りにこのブログの更新を止めた。
次の段階へ行く心の準備ができた。

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