番外編<エピローグその2>
このブログを止めると決めてから丸3ヶ月半、「次の段階へ行く心の準備ができた」と番外編<エピローグその2>で書いて1ヶ月半。最後の締めくくりに載せておきたかった心残り、現状の「ダム行政」を如実に表す一連の写真の幾つかを載せておきます(やっと)。
2012年4月15日現在、未だにこちらに掲載されませんが、2月22日に第22回今後の治水のあり方に関する有識者会議が開催されました。この日、予定された2時間の会議の議題は、石木(いしき)ダム、安威川(あいがわ )ダム、内ヶ谷(うちがたに )ダム、タイ原(たいばる)ダムの4つでした。
この日、石木ダムによって生活を奪われる住民――もし、この日、事業者(長崎県)が出した結論をこの“有識者”会議が追認した場合は、新たな水需要などありえもしないダム建設によって土地が強制収用されてしまう地権者――が傍聴を求めて訪れました(現在はマスコミのみ(フリーを含む)公開)。そのときの写真です。
しかし押し戻される。(押し戻しの瞬間、手前で河川官僚のお姉さんが突き飛ばされきたがここでは略)
訴える地権者を「見ざる↑、言わざる↑、聴かざる↑」の河川官僚。
別のドアから時間通りに来て着席した“有識者”に視線を送ったり、
着席しただけで、他人事のように無反応な“有識者”を前に、相談したり
相談するだけで思考停止する河川官僚は、SPEEDIでも北朝鮮ミサイルでもそうだった霞ヶ関の氷山の一角。
相談はさらに続く間に、河川官僚席にがドンドン増える。半分傍聴席に譲ればいいだけなのにね。
そして、ふとドアの外を見ると、警備員さんが助けに来た?でも、誰を?
ゾンビから国民をかと思ったら、違った。ゾンビが二段構えに増えたよ。
ゾンビ、傍聴を求める人、ゾンビから国民を守らない警備員さん。中央奥に家政婦のミタさんみたいに無表情な河川官僚お姉さん(余談)。
打開策を求めて、奥田建副大臣や津川祥吾政務官の背中に声をかけてみたが、無策、無言。無意識者会議もますます無意識、無言。政務三役の後ろで何やらまた相談。(余談:相談されているメガネの人は渋谷・前八ツ場ダム工事事務所長。栄転して本省に来たようだ)。
そして流会宣言。“有識者”会議なのに出番がなかった“有識者”。傍聴希望者たちの訴えの取扱いを判断したのはどう見ても、ゾンビ河川官僚たちの判断にしか見えなかった。Who are these people? Why ARE they?
国民に背を向けて、「治水」が成り立つわけがない。しかし、たった数人の傍聴席を作ることもなく、河川官僚のみで、「ダムにたよらない治水」を自由闊達にご議論をと“有識者”を取り囲む。
「本当に自由闊達に議論してもらいたいなら、河川官僚に非公開にすればいい」という人がいる。いや、ホント。
国民の議論をサポートすべき河川官僚が国民に背中しか見せないなら、「治水」なんかできない。しかし、彼らは「ダムにたよらない治水」を掲げた政権に交代した後でなお、巻き返しを図り、“有識者”会議を隠れ蓑にして、完全非公開で83のダム事業のほとんどを温存させるスキームを丸1年かけて作った。
準備が完了したところでマスコミにだけ審議を公開し、地方においてそのスキーム通りに議論されたことだけを確認し、やっぱりダムが最適です!と容認させる儀式が始まったのが2011年3月1日(第13回) “有識者”会議だ。
その10日後の3月11日以後、専門家と言われる人々の倫理が問われ続けている。しかし、倫理のかけらすらなくても専門家でいられるのが日本の専門家らしい。
会議終了後、座長に取材しようとするとゾンビが邪魔をする。どこまで座長をガードするつもりだろうかと思ったら、地下鉄の駅までついてきたことがある。河川官僚を前に「参加」ができないのは国民だけではない、「有識者」にすら言論の自由がない。そして政務三役は操り人情と化して、コロコロとかわる。河川官僚のコントロール、マネジメントもできずに、河川管理なんて100年早いといったところだろうか。それをせめてあと2年ぐらいに縮めたいものである。このブログはここで終わりです。
関連メディア・報道
画像「今後の治水のあり方に関する有識者会議 石木ダム他 2012/02/22」
http://www.youtube.com/watch?v=V-5OfmQEvFU
(地権者の訴えは14:30~) ← 忙しい方はこの部分だけでも。
50年前の長崎県石木ダム建設計画に税金投入
日刊SPA! (2011.11.1)
政務三役や有識者も操る国交官僚――ダム予定地住民の傍聴退け会議を流会
週刊金曜日(2012.3.2)
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