カテゴリー「法律・制度」の67件の記事

2011年11月 5日 (土)

Bunch of Useless Meetings(3)

ここからの続き

【「関心がない」と言われた】
宮村氏には、ぶら下がりインタビューで、2つの点をまとめて質した。

1. 八ツ場ダムの根拠である2005年に定められた「利根川水系河川整備基本方針」の中に位置づけられる基本高水の定め方を国交省は変更した。河川法16条に基づく「社会資本整備審議会」の審議ではなく、内閣府の日本学術会議で議論させ、基本高水の決め方を変えた。「社会資本整備審議会」には報告させただけ。

2. 利根川水系河川整備計画は河川法16条2で策定し始めたけど、途中で止まって宙づりになって正式に定められていない。今回突然、河川整備計画「相当量」1.7万トンという数字が出てきたけれども、正式にはいまだに1997年河川法以前にできた「工事実施基本計画」しか存在せず、「1.7万トンを河川整備計画相当量」はオーソライズされていない。

今の「利根川水系河川整備基本方針」も「利根川水系河川整備計画」もまったくlegitimacyがないがどう思うか。今日の意見聴取の場も位置づけがはっきりしない。そういうところで議論させられたことを学者としてどう思うか?

その答えが「あ~それ、関心がないんだ」だった。

「関心がない?」と聞き返した。「うん」「関心がない?」「うん。」「関心がない?」「うん。」100回ぐらいそのまま頭の中で「関心がない」が回っている。

Bunch of Useless Meetingsというわけはいずれ。

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Bunch of Useless Meetings(2)

ここからの続き

【収斂しそびれたテーマ「水余り」】
多角的な議論が行われた中に「水余り」のテーマがあった。
8. 岡本雅美・元日本大学生物資源科学部教授は、水余りの批判がかまびすしいと指摘し、水需要予測については各自治体が皆、余裕をもって予測するから、全体としては過大となるというカラクリの一つを解説した。
9. 野呂法夫・株式会社中日新聞社 東京新聞特別報道部は何故自治体があげてきた過大な需要予測を国交省の側で査定しないのか(宮村司会に極端な意見をここでは言うなといなされた人)と質していた。
10. 岡本氏は野呂氏の指摘について、国交省には自治体があげてきた水需要予測を査定する権限はないのだ、と、制度としての問題点を指摘した。

これこそが、学識者同士が議論する意味だ。問題が指摘され、その問題は何故起きているのかを分析する意見が出る。何がおかしいと感じるかと世論を代弁する記者を入れ、制度(カラクリ)を知っている識者を一堂に会させる意味である。そして、それを集約してさらに意見を昇華させることが「できる」采配力を発揮することができるのが司会者の役割である。

直後、岡本氏に取材をした。別件で取材があったのだが、ついでに8.9.10の論点をさらに踏み込んでもらい、一つの結論に達した。「国交省には自治体があげてきた水需要予測を査定する権限はないというのは、これは『水道施設設計指針』を改訂しなければダメですね」と質問すると、「そうです。つまり水道法の問題ですよ。水道法に『豊富』に供給しなければならないとあるから、それに基づいて『水道施設設計指針』は作られているんですよ」と。1往復で済む議論であり、問題への解決策が一つ抽出できた。

水道法を見てみると確かに「豊富低廉な水の供給を図り(第一条)」とあるが、「適正かつ合理的な使用(第二条)」ともあるので、水道法改正しなくても小手先の『水道施設設計指針』改訂で、人口が増えない限りは、新しい水道施設(この場合ダム)を作る前に水利権の整理、融通、調整をする、水漏れ防止工事を行うなどの条件をいれればいい。水道法改正か、水道施設設計指針改訂か、そのどちらかで議論の余地があるにせよ、その場でネットにアクセスして、法令データベースで調べて、ここまで議論をしたとしてもさらに数分である。

国交省に重用されてきた河川工学者である宮村忠氏は、厚労省所管の『水道施設設計指針』の存在を知らなかったのか。それとも知っていて司会力を発揮しなかったのだろうか。

今だから「ほじくり返す」必要のある制度はたくさんある。八ツ場ダムが本当に必要であれば作ればいい。私は本当にそう思っている。だが、制度が劣化しているから不要なものができるのは間違いだ。時代遅れになっている(かつては、水道施設(ダム)を急いで設計し整備しなければ経済発展や人口増加に間に合わなかったわけだが、今はそんな時代ではない)がために、時代遅れで必要性がない施設を、制度の見直しができないからといって、いや、制度の見直しにつなげることのできない議論しかできない会議(Bunch of Useless Meetings)しかできずに、単に未来世代にお荷物になる施設を追加して残して死んでいくべきではないと思っている。使命感をもった合理的な議論をして欲しいのだが・・・。

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Bunch of Useless Meetings(1)

昨日行われた「八ッ場ダム建設事業に係る検討報告書(素案)に対する学識経験を有する者の意見聴取の場」 へ取材にいった。司会があまりにもひどかった。今日中に仕上げないといけないことが諸々があるので、大きく括った3つのことだけ、記録しておく。

【司会の役割】
単なる「意見聴取の場」ではあっても、司会の役割はあるのではないか。
1. 学識者に言われた意見を事業者がきちんと正しく理解したか、
2. 意見を言った者の意見から言われた側の理解に漏れがないか、
3. 対面で意見聴取をする意味:意見を言われた事業者としてどう思うか
4. そのレスポンスに対して、さらなる追加意見があるかどうか。
司会としてそれを確認しなければ、単なる「公聴会」の司会でしかない。それがないなら、学識経験の枠を設けた意味がない手弁当で出かけていって喋る一般流域住民と何も変わらないから謝礼を返してくださいという話である。

ところが昨日の司会者(宮村忠・関東学院大学名誉教授)が司会中に采配したことは3つ。
5. 国交省に対して、「今の(学識者の意見)は意見として収めておいてください」とつないだこと。
6. 学識者に対して、「今のは意見ということでいいですね」と質問まじりの意見を抑制し、「極端な意見はここでは言わないでください」といなしたこと。
7. 検証検討について「現地の人々のことを考えれば、いまさらほじくり返すべきではない」との個人的な意見を、会議の締めくくりで
述べたこと。そういう立ち位置で5.6のような采配を行ったわけだった。

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2011年8月27日 (土)

前原元大臣の初動の誤りを尻ぬぐいするのは誰か

八ッ場ダム「国交相継続なら中止した」と前原氏(2011年8月26日09時25分  読売新聞)を読んで、そりゃ、違うだろうと思った。

2009年9月、「八ツ場ダムは中止する」と言いながらマスコミバッシングを受けた途端、「関係者の理解を得るまでは中止の手続きはしない」と言った時点で、彼は河川官僚の手のひらに乗ったも同然だった。ダム事業の中止は、法律に書き込まれた大臣の「権限」を行使することに他ならない。それは選挙という最も民主的な手続を経て、その手続に裏打ちされた「権力者」だけが行使できる、最も民主的かつ不可逆的な政策転換の手法だった

少なくとも彼は当時、法律を運用するとはいかなることを知らなかった、と言わざるを得ない。政治主導ということも政治家の結果責任ということも、実態としてどういうことなのかを知らなかったと言わざるを得ない。既得権益を脅かすことであり、反発を受け、恨みを買いながら、意見調整をしていくことに他ならない。弱者がその変化の中で虐げられることがないよう配慮し、気遣いをし、そのための人事を行うこと、その誠意を尽くせる人員配置を行うことだった。前原元大臣は、2009年の政権交代時に、この政策変換にとって最も重要な法手続と人事を誤った。

丸一年前の2010年9月に、弁護士さんたちで構成されている日本環境法律家連盟のニュースレターに、このことを書いた。ブログでの再掲に了解を得たがまだ載せていなかったので、これを機に載せる。前原元大臣の失敗の尻ぬぐいを、馬淵前大臣が行う形で、その後、基本高水のインチキが明らかになってきたが、そもそも前原元大臣が、選挙を通じて政権交代を果たした初代大臣に与えられた権力そのものである「法執行」を迅速に行い、自民党政権時代に隠し通した情報の公開と、政権交代に相応しい適材適所の人事を行っていれば、今ごろ、水没予定地に暮らし翻弄された人々も新しい生活に向かうことができていただろうと思う。

その失敗を仕切直すことができるのかどうか。誰が首相になるのであれ、前原元国土交通大臣の初動の誤りを軌道修正する仕事は、2年前の政権交代後の政策変更よりもさらに難しく複雑になっている。前原さんには、首相になろうがなるまいが、ご自身が放置してきた失敗の尻ぬぐいをしてもらわなければ困る。それ以外の人がなった場合は、この問題の放置ではなく、尻ぬぐいをできる人でなければならない。

以下、2010年9月に日本環境法律家連盟向けに書いた原稿です。

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政権交代後のダム政策
本当に変わるか~永田町に新しい動きは期待できるか 
まさのあつこ ジャーナリスト

政権交代後、ダム政策は変わったか?一言で言えば「変わらない」。何故か?治水の理念が法律上は変わっていないからだ。率直に言えば、すでに事実上死んでいた事業を成仏させることは可能かもしれない。しかし、既得構造を維持するために必要な事業は、継ぎ接ぎだらけでも巧みに生き続ける。何故か?

前原誠司前国土交通大臣は、2つのダム政策変換の兆しを見せた。一つは大臣就任決定直後の「八ツ場ダム中止宣言」。一つは私的諮問機関である「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の開催。しかし、それらがダム政策の転換かと言えば、おそらく大臣本人が自信満々に見せているほどではない。内心、失敗したと後悔しているのであれば挽回が可能だが、そうでなければダム政策転換の千載一遇のチャンスを逃し、次の機会は何時かと首を長くする話になってしまう。

八ツ場ダム中止の決断はヨシ
「マニフェストに書いているので八ツ場ダムを中止する」との中止理由がいい加減だと批判を浴びたが、それ自体は悪いことではない。水需要を満たし、洪水を防ぐと言いながら、何もせずに約半世紀も過ぎた事業に合理性はなく、従来の推進理由の方がよほどいい加減だ。利水、治水面からだけでなく、前原大臣が挙げた「財政逼迫」「人口減少」「維持管理」などいかなる理由からも、中止する理由は十分ある。「要するに鉛筆なめであり、ダムはいかなる理由をつけてでも推進できる」と官僚や元官僚なら知っている。その逆で、いかなる理由でも止められる裁量の余地が、関係法律にはある。

重要なのは、治水上の理由などで本当に止めてはいけないものまでが「行政裁量」や「政治判断」と思われる理由で中止にならないようにすることだ。その意味で、前原大臣が八ッ場ダムに関し、本来、取るべき道は一つだった。特定多目的ダム法に基づく基本計画の廃止手続に則り、継続したい理由を関係都県知事(議会の議決を経た後)から聞けばよかった。「中止の理由を説明しろ」と批判をしている知事たちの主張を聞けば、実は「推進の理由」こそ妥当性に欠けている。

例えば、八ツ場ダム推進の姿勢を固持する石原都知事。8月6日の定例記者会で、議会が採択した請願通りに水需要予測を見直すべきではないかと筆者が問うた時のこと。途中から八ッ場ダムにかかわる質問だと気づいた知事は、やにわに八ッ場ダムが必要な理由を言い始めた。ビール工場の生産が止まり、プールで泳げなくなったというお決まりの渇水話である。そこで、取材をしてもそんなビール会社はなかった、プールで泳げなくても人命は失われないと反論したところ、知事は利水では形勢悪しと見て治水に話を移して次のように語った。

「埼玉(県知事)の上田(清司)君の話なんか聞いたらいいと思うけれども、堤防が非常に老朽化して、どうどうと浸水してきて、結局、それに対する対策というのは、堤防をつくり直すということで、べらぼうにお金がかかるから、その度に、地元の消防団が出て、ここはまずい、危ないということで土嚢を積んだりなんかしているらしいけれども、堤防の決壊もさることながら、前提となる浸水というのでしょうか、それが堤防の反対側に、わき上がってくるような状況というのはあるみたいだから

これを聞けば治水対策として優先すべきは、老朽化した堤防の強化だと誰でも判断ができる。しかし、知事はそう語ったあと、「これまた八ツ場について考える1つの条件じゃないでしょうか」と続けた。

このような説明でも、前政権下では事業を執行できたのである。だからこそ、前大臣は、特定多目的ダム法に基づき、議会の議決を経た知事意見を聞いた上で、最終的に国土交通大臣として合理的な判断を下して、八ツ場ダムの基本計画を廃止すればよかったのだ。知事が推進意見を出したとしても、事業主体として、それに勝る合理的な決断と説明を行い、その結果責任を政治家がとればいい政治主導には結果責任が伴うものであり、それが国民が望んだ政権交代の姿ではないか。無駄なものを作っても誰も責任を持たない官僚主導のダム政策からの脱却である

法執行を決断できなかったのは致命的
ところが、法の執行をせずに、生活再建事業だけは続けるという。前大臣が現実にとった選択は最悪だ。生活再建事業とはダムを前提とした道路や下水道などの附帯工事であり、それらはダムを止めにくくし、本来の生活再建が後回しにされる

一方で、中止宣言とともに法手続に移っていれば、「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」など開催しなくても、ダム政策は変わり、今頃は河川法の抜本改正に向けた議論が展開していただろう。

何故なら、基本計画を廃止すれば、次なる手続きへ進むことになるからだ。一つはダム事業で翻弄されてきた人々の真の生活再建。一つは水資源開発促進法に基づいて特定の7水系で策定されたうちの、利根川水系の水資源開発基本計画(フルプラン)から八ッ場ダムを削除することだ。

後者は、フルプランを後ろ盾してきた「水需要予測」がいい加減であったことを認めることにつながる。水需要予測が「鉛筆なめ」であることはそれをオーソライズする御用学者でさえ知っており、過去にはそれが審議される審議会で、水資源開発促進法の廃止自体が議論され、その議論が隠ぺいされたこともある。政権交代した今、高度成長が見込まれた7水系でダム建設をするために作られたスキームは役割を終えたと与党政府が認めれば、過去の判断ミスも認めた上で、今後のムダな事業も止められる。

利根川水系では八ッ場ダムをフルプランから外す際、同時に現在進行中の思川開発事業もフルプランから外せない理由を出させ、妥当性がなければ外せばいい。

木曽川水系でも、1滴の工業用水も使われていない長良川河口堰、その後にできた徳山ダムも不要だったことを現政権なら認めることができるだろう。どちらもフルプランに位置づけられた事業だった。そして徳山ダムを通過して流れる揖斐川から、長良川経由で木曽川へ渇水時に導水するというナンセンスな木曽川導水事業も「要らない」と主張している名古屋市長の言う通りに「要らない」事業であることが認識されるだろう。

淀川水系でもしかり。丹生ダムは、北斗の拳のケンシロウがいれば「お前はすでに死んでいる」と2回は言われている事業だ。その利水分はフルプランから外され、河川法に基づく淀川水系河川整備計画からも外された。それでもいまだに独立行政法人水資源機構事業として諸経費を浪費している。

こうしてこの政策の実行部隊である独立行政法人(旧特殊法人)のダム事業がゼロになり、維持管理だけとなれば、水資源開発促進法の廃止および実行部隊である独立行政法人水資源機構の解体にもつながる。

国の直轄事業であっても、八ッ場ダムの中止はドミノ的にそこまでの波及力を持つからこそ、河川官僚は身体を張って過剰防衛するはずなのである。

それだけではない。ひとたび、全7水系における水需要予測が「鉛筆なめ」で、それが既得権益構造を維持するキーストーンだったと明らかになれば、今度は、洪水想定もまた「鉛筆なめ」で、ダム事業の必要性を作り出すものであり、真の治水とは違うことも認めざるを得なくなることへとつながっていく。

そうやって初めて、合理的で確実性の高い治水、すなわち人命や財産を洪水から守るにはどうすべきなのかが出発点でゴールでもある治水のあり方へとつながっていったことだろう。そのチャンスを逃したという意味で、八ツ場ダム中止の手法は最悪の道筋を辿っている。

どこから見ても官僚主導
一方で、昨年11月に前原大臣が設置した「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」は、いまどき審議を公開しない審議会すらない中、ダムを推進してきた人と河川行政を専門としない学者だけを集めて非公開で行うという理解不能な会議となった。「できるだけダムにたよらない治水」へ政策転換するとの開催趣旨は間違っていないが、その方針に河川官僚が従わず、それが実現できない道へと官僚が誘導していることは、この会議が出してきた政策文書から明らかだ。

河川法に基づく法定の審議会がありながら、私的諮問機関として「治水対策のあり方」を議論しても、大臣や政権が変われば、本家本元の河川法も審議会も、それらがオーソライズしたダム事業も無傷で復活できる。有識者会議がまとめたことになっている河川官僚の作文であろう政策文書「中間とりまとめ(案)」では、「治水目標と河川整備の進め方」として、「河川整備の長期的な目標としては、河川整備基本方針において計画高水流量等が設定されているが、その長期的な目標が達成されるまでの具体的な事業に関しては、河川整備基本方針と整合性のとれた中期的な整備目標を持つ河川整備計画が定められ、その目標に対する治水安全度の確保と災害軽減を図るための事業が実施される」と、現状と変わらない考え方が明記されていることがその査証だ。この後に、いかなる「代替案」が示され検証されようとも、彼らのキーストーンはこの数行である。政策を変換する気はないのだ。

従って、ダム政策の転換、第一ラウンド目は、政治側の負けである。

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2010年9月14日 (火)

基本高水論争の終結

そして次はどこへ向かうべきか。

それを書きたいと思っていますが
やるべき仕事が詰まっているので
先にキーワードを挙げておきたいと思います。

河川法改正の理念 ~戦争から創造へ~
○水位を下げる治水から人の命を守る治水へ
○泳げる川へ
○権利の確保から譲り合う利水へ 
○一つの答えから合意形成へ
○断絶分断から、山から海、海から山をつなぐ川へ

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2010年8月21日 (土)

「請願」ってなんだろう?石原知事に問う

前回の石原都知事定例記者会見後、
必要な人々に取材をした結果を念頭に
二度目の質問に挑んだ。

私が考える限り、
「請願」(*)が議会(委員会および本会議)で採択されるということは
重大な意味を持つ。

一度は議会人であった石原都知事ならば
その重みを知っているはずであると思い、

「単なる執行機関」である行政が
議会の多数によって採択された要請を疎かに扱い
「単なる執行機関」である行政が
政治的意志を持ち「行政裁量」でそれを無視すること

それは問題だと考えるのではないかと思い、問うた。

これは「八ツ場ダム」という問題の切り口から出てきた
「政治と行政の関係」の膿だ。

それを正すこともまた、行政トップの役割ではないかと思った。

間接民主主義制度の中で、
国民や都民の一票で選ばれた政治家が、
その補完措置としてさまざま設けられている制度を活かさずして
民主主義は理想に近づかない。

しかし、石原知事の認識は、私の予想以上に浅く、愕然とした。
「『政治』と『行政』の役割について伺いたい」と問うと
「行政ってのは政治じゃないの?」と聞き返されたのだ。

多くのマスコミ(ニュース・キャスターなど)が
「行政」と「政治」を混同し、区別すらできていない。
また、「行政」が「政治的」に振る舞うことも日常茶飯事だ。

そして、それを正すことができるのは「政治家」でなければならないはずだが、
「都知事」という立場に上り詰めた人でも
その2つを混同しているという、とてつもない事実に直面し、
ただただ、呆然とするばかりだ。

これではどんな事業であっても(八ツ場ダムはその一つでしかない)
冷静に見直すことなど無理だろう。

石原知事記者会見
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako22.htm 
→2010/8/20 録画映像 開始後12分あたりから約8分間をご覧いただければ幸い。

ちなみに8月24日はタケコプターが必要なくなった。
代表選によって前原大臣を含めてどうなるかが分からないので
八ツ場ダム関係知事の集いは延期するそうだ。

まさのあつこ

*請願
=========================
日本国憲法 第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
=========================

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2010年2月22日 (月)

治水のインフォームド・ディシジョン

「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」が第5回まで開催されている。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/index.html

パブコメがすでに行われ、19日の締め切りに間に合うよう、
http://www.mlit.go.jp/report/press/river03_hh_000215.html 
書式にそって私も書いて出した。
書式外の意見については、「その他の意見」として出した。

コンセプトは二つ。

一つは、医学の世界で使う言葉を使っていうなら、
「インフォームド・コンセント」(知らせた上での合意)の上の
「治水のインフォームド・ディシジョン」(知らせた上での決定)
もっといえば、情報を与えられた上での自己決定だ。

もう一つは、自然災害に対し、人間や机上の想定や人間が設計する構造物には限界があることを前提とすること。
だから
守れるフリをして被害を拡大させたり、
被害がでると「想定外」でしたと言い逃れたりするのではなく
リスクを開示・共有した上で、
国民全体で自然災害に備える社会がもっとも健全ではないか。
基本的なインフラが整った今、
治水のパターナリズムを止めて、自己決定を促すことが
台風であれ、気候変動であれ、ゲリラ豪雨であれ、大事ではないか?

~私の出したパブコメ~~~~~~~~~~~~~~~

1)幅広い治水対策案の具体的提案について

・国は「ダムに頼らない治水」、すなわち今後は新規ダムを作らない政策変更を行ったことを、都道府県知事の協力を得て、国民に周知徹底する。

・国は、現状の治水施設を前提に、対策が必要な洪水想定をもとに、ハザードマップを作成し、都道府県知事の協力を得て、国民に周知徹底する。(ハザードマップには住民、保険会社、自治会等の意見も反映させる工夫をする。異議申立ても可能にし、可能な限り誰もが不公平感を抱かない工夫を行う)

・ハザードマップが示す災害リスクに応じた災害保険(災害リスクが高ければ保険金も高い、リスクが低ければ保険金も低い)を創設する。

・基礎自治体は緊急対応のための水防活動計画を地域住民が作る支援を行う。

・国等は地域住民が建築構造物等をかさ上げまたは移転するための助成制度を創設する。

・国民(土地・建築構造物等所有者)は次の選択肢を持つ。
 ①ハザードマップを参考に保険に入る。
 ②建築構造物等のかさ上げを行う。
 ③賃貸物件居住者は①⑤を選択するか、②を所有者と相談する
 ④リスクの低い土地への移転。
 ⑤その他の自主的な方策により被害にあった場合は自己責任。

・国は、堤防決壊による人命等を奪う壊滅的被害を回避するために、堤防強化を行う。もしくは農家への直接所得補償制度を検討する際、緊急時の農地の遊水地化について、河川管理者と必要な措置を検討し、住民の意見を反映して決定する。

2)新たな評価軸の具体的提案について
・地すべり対策で費用や工期が増大した(ている)事業をすべて把握し、不適切な地盤・地質等の傾向を明らかにし、リスク回避のため、同様の傾向を持つダム計画事業は(本体着工をしていても)中止しなければならない。

・堆砂が計画よりも早く起きている既存のダム(二風谷ダムなど)をすべて把握し、それをもとに、計画中および工事中の堆砂計画容量の是正、ダムの寿命の想定を行い、B/Cの再検討を行い、中止の判断基準とする。

・熊本県営荒瀬ダムの例を鑑み、撤去費用を、B/Cのコストに算入し、計画中お
よび工事中のダム中止の判断基準とする。

・神奈川県はダムと海岸侵食の因果関係を認めている。海岸侵食対策費をB/Cの
コストとして算入し、ダム中止の判断基準とする。

・ダムにより失われる自然環境・社会環境・文化・風景・景観を、数値ではな
く、人々の言葉・情感・記憶・記録で表して評価する。

~~~~~~~

その他の意見(有識者会議について)

・「これまでの「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」の開催状況に
つきましては、http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/tisuinoarikata/index.html
を御参照ください。」とあるが、2ヶ月前に開催された第一回会議の議事録が2ヶ
月後に出てくるペースで、その他の状況は資料を通してしか分かりません。

・非公開な上に、議事録が2ヶ月経たなければ出てこないのであれば、参加意欲
のある国民の関心をそぎ、議事録公開の意味(住民参加)はないに等しいといえ
ます。

・全国津々浦々、ダムに依存した河川行政を行ってきたところから「ダムに頼
らない治水」に変更するのであれば、この会議を公開し、国民の意識変換、事業
者の意識転換、ゼネコンなど業者の意識転換(業態変更への備えを含め)を促す
ためにも、公開してリアルタイムでその議論の内容を知らせていくべきではない
でしょうか。

・国民の意識変換にはたいそう時間がかかるものであり、国交省や一握りの有
識者や、一握りの意識の高い国民の意識が変わればいいというものではありませ
ん。国の政策を変えるということはそれほど生易しいものではないはずです。

・以上のことから、この会議は公開すべきです。

・今回、このようなパブリックコメントをおこなったことは評価できます。会
議のメンバー以外から寄せられた重要な提案については、この会議に呼び、公開
で改めて提案を受け、質疑、議論を公開で行うべきではないでしょうか。

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2010年2月15日 (月)

環境アセス法改正に向けたパブコメ

帰国から24時間以上経過したが、時差ボケが解消せず。
今日(2月15日月曜日)が締め切りのパブコメを案内します。

環境大臣の諮問機関である中央環境審議会総合政策部会の
環境影響評価制度の専門委員会報告(案)に対する意見募集。

実質、この通常国会に出てくる環境アセス法の改正法案の素になるもの。
通常なら、何が起きてもこの案以上によい法律案は出てこない。
民主党連立政権であれば、その上を行く法律案も期待したいところだ。

●このパブコメのお知らせ、意見提出様式や提出先はこちらに↓
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=12041
●環境影響評価制度専門委員会報告(案)
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=14941&hou_id=12041 

要は、この報告案には欠けている点を含め、
環境アセス法をどう改正すべきなのかという意見を送るべし。

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2009年8月11日 (火)

国と県、県と住民

前回の続きが尻切れトンボになっていたが、
7月29日付けて、その翌週、再び大阪府からリリースが届いた。
もうさんざんマスコミで報道されているから、ここでは詳しく書かないが、
国と自治体の協議機関を設置するスキームが工程表とともに提案されていた。

田中康夫さんや片山元鳥取県知事は、
全国知事会は所詮、「総務省の天下り団体」だから
そんな圧力団体と国が協議する場を法制化することは、
総務省による中央集権化だという意見を開陳している。

そうだそうだ。
知事達の言論が活発になるのはいいとして
確かに、天下り団体としての全国知事会の側面を忘れてはいけなかった。

ついでに言えば、たとえば、どんな事業でも、国が一方的に決めてきたわけではない。
照会やら協議やら、事業によって差はあるが
知事は市町村長などに比べると確実に、国に対して直接意見を言ったり協議をしたりする機会(法的権限)がある。
「言いなり」「おつき合い」で長いものに巻かれてきた都道府県の責任は大きい。

もっと言えば、都道府県や市町村議会の議員たちの中には土木業者もいて、
明らかに利益相反問題を抱えている人だっている。
そういう構造を一掃する責任は自治体にあり、
それなしには、既得権益集団のためのピラミッド構造により
地方が国が変わる力を削ぐことにもなりかねない。

無駄な事業ではないかと住民投票を住民が提起しても、
間接民主主義にこだわることを方便に、
首長も議会もこぞって住民投票は必要ないとはねつけた例は山のようにある。

自治体は国との関係を変えていくのと同時に、
納税者との関係も振り返って変えていくべきではないか。

●ダム事業で言えば、大阪府のダムみならず、
1.石川県の辰巳ダムや
2.香川県小豆島の内海ダム
3.長崎県と佐世保市の石木ダム
では、今どき、ありか?という「強制収用」へとひた走ろうとしている。
1.2.はすでに土地収用法に基づく事業認定がなされている。
これは、国が「この事業には公共性がある」と判断する行政手続で、
土地所有者から合意が得られない場合に、事業者が国に「事業認定申請」を行ってお墨付きをもらう。
3ではこれからその手続に向かおうとしているようだ。

時代錯誤だ。
最近の雨の降り方を見ても、防災の解決策はダムではないのではないかと
問い直しが行われなければおかしい。

参加したくない、合理性はない、と思う事業に、
都道府県が国から法律で抑え込まれて強制されたらとんでもないと思うのと同様、
住民と県の間で、ダム事業について強制収用というのは、特に今の時代、あってはないらない選択肢ではないか?

●辰巳ダムに関しては、金沢から、宮本博司さん講演You Tube、届いています。
http://blog.goo.ne.jp/stoptatsumidam/e/632b20aa611207ee08441f79de358f73

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2009年8月 2日 (日)

橋下知事、まだ削れますよ

この辺や、この辺の続きですが、
橋下知事が訪れて確かめたほうがよいだろうなと思う場所について。
実はまだ私も行けていないが、
川上ダム予定地(三重県)を訪れて出会った方から情報が送られてきた。
(詳しくは、ここで見ていただいた方がよいですが)
↓大阪府営の槇尾川ダム予定地
http://www7b.biglobe.ne.jp/~makiosan/
「槇尾川ダムの見直しを求める連絡会」のページ

なかなかゴロのいいフレーズを発見!
「ダムやめて福祉にまわせ100億円」

「槇尾川ダムの見直しを求める連絡会」が、槇尾川ダムについて
次のように知事に呼びかけている。↓
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ダム事業費は当初97億円とされていましたが2003年現在128億円に増額されました。同じ大阪府のダム事業で安威川ダムの例では、当初事業費380億円(1971年)が836億円(1987年)となり、さらに2003年に1400億円に膨れ上がっており、槇尾川ダムの場合も今後も事業費増大の可能性は大きいと考えます。5兆円もの負債を抱かえ最悪の財政状況の大阪府が福祉や教育事業をばっさり切り捨て、無駄なダムなどの公共事には大盤振る舞い。知事の姿勢が問われています。
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知事は、現場にいき、反対している府民は何故、反対をしているのか、耳をじっくり傾けるべきだと思う。

●ついでの話ですが、
米国になんでも20年から半世紀、遅れるのが当然になっている日本ですが、
ジミー・カーターが1976年の大統領選で民主党の候補者だったとき、「無駄でかつ危険な事業を止め、環境を保全する」と公約して(『カリフォルニアの水資源史』鹿島出版会 、1999年 中沢 弌仁 (著)より)当選。就任までに「移行チーム」を作り、問題ある60事業を拾いだし、最終的に19事業の予算削除を決定し、それは「カーターのヒットリスト」と呼ばれている。

「ダム建設の時代は終わった」で一世を風靡したダニエル・ビアードさんが登場するのはそれからさらに20年を要したんですね。

今、民主党の鳩山さんが、止めるべきダム事業について言及し、それゆえにまたさらに新たな期待も高まっているように思う。自民党(とそれを支えていた既得権益を持つ人々)が止めていた時計の針を動かすのは、国だけではなく地方だけではなく、その双方と、諦めの中で生きてきたサイレントマジョリティの国民。

睡魔が襲ってきたので日本語が変かもしれないけれどこれにて。

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