カテゴリー「参加」の100件の記事

2011年12月27日 (火)

年賀状プラスワンの勧め

「自分の力が小さい」と諦めることを拒否する。
どんな国も小さな一人一人で成り立っている。
誰にでも「有権者」として出来ることは何か。
文面は一例です。
<ムダ削減の前に増税や揺るさん!>など何についてであれ、
政権に対する思いや怒りを表明することにご活用ください。
以下、転載歓迎! 

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年賀状プラスワンの勧め

ハガキ1枚から始める有権者運動。

「コンクリートから人へ」で投票して裏切られたアナタ。
「民主党政権うんざり」、「目を覚ませ、民主党」と

いつもよりも余計に1枚、年賀状を書きませんか?

<1億2千万枚>のハガキで日本を変えよう。

自分の選挙区の議員に
自分が何のために「投票」したのか「怒り」を年賀状で知らせよう。

◆ハガキ裏(例)

八ツ場ダムは前政権が地元住民に半世紀もの間
「ダム湖観光で生活再建」とウソをついて進めてきた
政官業の既得権益維持のための土木事業であり
利水事業は不要、治水効果も「ゼロ~わずか」でしかない。
由緒ある川原湯温泉を単なる工事現場に変えた政権に用はない。
2012年度予算から八ツ場ダム予算を削らない限り
もう民主党(or 今後も)には投票しない。

差出人住所・氏名

◆ハガキ表(宛名)

民主党議員(以下のリストは自治体議員も入っているので要注意)
http://www.dpj.or.jp/members
→自分のお住まいの都道府県名をクリック
→1区にお住まいの方は1区の議員をクリック、2区なら2区・・・
→自分が住んでいる場所の選挙区が分からない方は比例区議員をクリック
→議員会館の住所や、地元事務所住所の載った個々のウェブサイトが出ています。

◆投函!
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2011年12月20日 (火)

自治体がリードする「ダムにたよらない治水」(ECO JAPAN)

国のダメダメな検証と、
兵庫県、愛知県の先進例をECO JAPANで書きました。

2011年12月20日
自治体がリードする「ダムにたよらない治水」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20111216/110341/

是非3コマめ4コマメから、そのリンク先へ飛んでいってください。

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2011年8月26日 (金)

怒りを静めるときの前衛ロック(余談)

先日、メチャクチャ頭にきたが、瞬時に感情をコントロールするために、フィル・コリンズのいたジェネシスの、正式なタイトルは知らないが「Selling England by the Pound」(イングランドを量り売りします)という歌を歌いながら(サビのところしか歌詞知らないんだが・・・)霞ヶ関から新橋まで歩いて帰った。

日本も量り売りしたいぜっ、と思いながら。

仕事が一山、二山超えてやっと時間が出来たので、その件につき、再発防止を願って、今、「取材妨害に関する公開質問状」を書いて送った。返事が来るとは思わないが、再発防止は願いたい。

本日の一仕事が終わったら、先日のブログの続きも書く、書きたい、書かねば

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

国土交通省水管理・国土保全局
河川計画課長

                    取材妨害に関する公開質問状

 8月23日、国土交通省11階会議室にて18時から開催された「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」では一部有意義な議論と残念な結論が提示されました。不特定容量の確保を目的としてダムが作られることへの、これまでにも指摘されてきた疑問が再度指摘され、地下水の利用も組み込めるのではないかとの指摘も飛び出しました。水利権許可行政の不具合が浮き彫りになってきたと思われます。

 ところが言いっ放しで結論には反映されず、2つのダム事業継続の結論が出ました。厚幌ダム事業には「関係住民等の理解が得られるよう努力を続けることが重要」との附帯意見はつきましたが、理解が得られない間は継続すべきではないということなのか、地元に判断を丸投げするものなのかは、審議を聞いている限りは不明です。委員たちの間でもこのことについてのなんらかの共通認識が持たれたわけではないと思われました。

 そのような審議の仕方でよいのか? 結論に到っていないのではないか? 以前にもお話しを伺ったことのある委員の一人がエレベーターホールで待つ時間を利用して、この件につきぶら下がり取材を始めたところ、質問を受けて穏やかに応じ始めてくださった委員と私の間に、私の側に背中を向けて立ちはだかり、質問と会話を妨害する大男がおられました。

 非常識な対応であると考え、私の名前を申し上げた上で、この大男のお名前を伺ったところ、「水管理・国土保全局の者です」と、2度、3度お尋ねしてようやくお名前を伺いました。河川計画課の河川経済調査官であられるようです。その場で、「非常識ではないか、失礼ではないか、邪魔することが職務として命ぜられているのか」と尋ねたところ、「いえいえいえ。委員がお急ぎなので、早く帰りたいと頼まれていた」とお答えになりました。「エレベータを待つ間に聞いているのに何故か」と聞いても「いえいえいえ」と意味をなさない回答しか得ることができませんでした。話をしている二人の間に無言で片方に背中を向けて突然立ちはだかるという人間として非常識かつ不快な行動に対し、再発防止のために公開質問状を送ります。

1.「山田」さんは、「取材妨害」をするよう職務として命ぜられていたのでしょうか?
2.何のために、取材者と委員の間に、取材者に背を向けて立ちはだかったのでしょうか?
3.「委員がご迷惑であれば委員にもお口は一つ付いている」と尋ねたところ「いえいえいえ」と言われましたがどういう意味でしょうか?

 以上につき、「山田」さんから誠実なお答えをいただけますよう、上司である河川計画課長から命じてくださいますよう宜しくお願い致します。

2011年8月26日
まさのあつこ(ジャーナリスト)住所電話ここでは省略
~質問状終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで、批判を受けている原子力ムラの「原子力安全委員会」でさえ、取材者も傍聴者にも平等に公開し、会議の記者会見を必ず受けている。

ところが、上記会議は、「傍聴」すら認めていない。
そして、正式に登録した「取材者」でも上記のような扱いを受ける。

河川ムラは、なにが楽しくて、原子力ムラよりも閉鎖的なんでしょうか。

以下は河川ムラよりも「透明性の高い」原子力ムラに関する記事で、今日出ます。

 週刊金曜日 2011年8月26日 860号 特集放射能とコメ
  焼却灰から高濃度のセシウム検出
   処理後も、封じ込めさえできぬ放射性物質
http://www.kinyobi.co.jp/consider/consider_newest.php 

●その意味で、傍聴者でも発言ができる愛知県の長良川河口堰検証の試みは、淀川流域委員会の流れをくんだ新しい健全な一歩だと思います。
取材にいく時間がとれませんが、応援しています。
長良川河口堰検証アーカイブ by 環境テレビ・中部
http://www.ustream.tv/channel/%E7%92%B0%E5%A2%83%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93-%E4%B8%AD%E9%83%A8

再びSelling England by the Poundをうたって次の作業だっ。 

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2011年8月 2日 (火)

再掲 「検証」から考える治水のあり方シフト

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  日本学術会議河川流出モデル・基本高水
   評価等検討分科会による「検証」を検証する

「検証」から考える治水のあり方シフト
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日時:  2011年8月2日(火)18:00~19:00(*)
場所:  参議院議員会館 地下1階B104会議室

ユーストリーム中継の予定です(http://t.co/1JeYVdJ
お手伝いしてくれる方がいてちょっと頼もしい。

基本高水の問題点を整理し、あるべき治水対策を考える
               嶋津暉之 水源開発問題全国連絡会
▼ミニ報告:そのまちづくりは自然の流れに逆らっていないか?
               まさのあつこ ジャーナリスト
2005年資料での飽和雨量、2011年作成氾濫想定図が捏造であることへの反論
               国交省水管理・国土保全局河川計画課(交渉中)
検証をどう見るか
               塩川鉄也 衆議院議員 他

日本学術会議分科会は、利根川の基本高水検証において、これまでと同様の流量を容認しました。しかし、計算に使われた「定数」であるはずの飽和雨量はコロコロと変化してきました。
 
2005年社会資本整備審議会では、国土交通省は、その数値を開示することなくグラフ言葉で再現性のある一律の数値であると委員達に思わせました。

2008年八ツ場ダム住民訴訟(一審)には一律48ミリだったと提出しました。

2010年国会では31.77mm(1958年)、65mm(1959年)、115mm(1982年)、125mm(1998年)だったとの答弁がありました。

2011年学術会議の検証の場には流域毎に違うとされ、八ツ場ダム予定地である利根川の支流・吾妻川流域では無限大であるとされました。

「定数」は何のためにコロコロ変わったのでしょうか。第4回セミナーは、学術会議の「検証」では明らかにされなかった基本高水が抱える問題をもう一度整理します。

また、国土交通省が考えている八ツ場ダム事業による治水計画とはどのようなものか、これに対し、基本高水に代表される計算や想定による治水計画を脱し、本来の治水のあり方とは何か考えます。

*17:40~18:00 1階ロビーで入館証をお渡します。
主催: 治水のあり方シフト研究会 
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なお、第1~3回の開催については、http://www.yamba-net.org/ で
八ツ場あしたの会がYouTubeを公開してくださっていますので、ご覧下さい。
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2011年4月 7日 (木)

基本高水の無謬と誤謬

前のコマに関する補足というか感想です。
もともと治水(人の命を守る)のために生まれたのが基本高水ですが、雨量観測データや多くのパラメータで算出される基本高水は、一端決まるとそれが一人歩きしていました。今回の日本学術会議の分科会を聞いていて改めて見えた課題を大雑把に述べると、

(1)雨量観測所が少なかった(特に山の上の方)。
(2)だから雨量観測データが少なかった。
(3)どの雨量データを使うのか切り捨てるのかの「判断」が入る、
(4)計算に複数のパラメータを使うがパラメータの数だけ「判断」が入る、

ここまでが気象観測と水文学と河川工学の課題で、こうした課題を含む数値でありながら、課題は伝えられないまま「政策」の場に持ち出され、計算の限界を含む「科学的な数値」が「政策的な数値」として扱われ、是非論が闘わされてきたのが現状です。

(5)そのデータも計算手法もブラックボックスに入れられ、出てきた数値(基本高水)だけが一人歩きをして、誰も数値を外部から検証することができなかった

これは河川局の問題。本来であれば、河川局が「科学的な数値」の課題の説明責任を負い、「政策的な数値」はまた別の問題であることを政策決定者(国土交通大臣)や国民に理解させる必要がある。なぜならば、少なくとも、良識的な研究者の間では、基本高水が科学的に計算された数値(ベストを尽くして計算された数値=パーフェクトではない)ことが共有されているが、それは世間には自動的には伝わらない。

本来であれば、基本高水は治水政策上の一つの目安だが(目安として扱うべきであると考える良識的な河川工学者の一人が、たとえば今本博健京大名誉教授)、河川局ではそれを絶対的な数値として発表し、ダム反対派はそれがダムの根拠だとして目の敵にする。

政策決定者(国土交通大臣)の問題は、最後にその数値をオーソライズする立場にいるにもかかわらず、実のところは、審議会がオーソライズすればそのまま鵜呑みにする以上の力がない。内部的なチェックが働かない。それは、審議会(河川整備基本方針の決定の場)にその数値を批判的に検証する住民や専門家の参加がないからだ。本来なら、批判に耐え、検証に耐えるだけの数値でなければならないが、審議会が「審議」会にならず、河川局が出してきた数値(しかも誰がどのように出したか、責任者が明確でない数値)を通す通過儀式になってしまう。その儀式的な数値を政策決定者がオーソライズして、そこからは「絶対的な存在」として基本高水が君臨する。

今回の日本学術会議の分科会の非常にいいところは(これは小池委員長にぶら下がり取材の中で思わず感想として生意気にもお伝えしたが)、先に述べた限界が存在していることや、結果には自ずと幅があることを(これまでも水文学や河川工学者の間では認めて議論されていたのだろうが)、水文学者や河川工学者が議論していることです

今回は研究者が主体なのでこのようなフェアな議論がたたかわされている。しかし、実際の政策決定の場では、黒子であるコンサル業者が計算をして、出してきたものを河川局が出してくるという流れで、河川局長が「頭が悪くて今すぐなんとも」と自分で認めるほどに、責任者がその過程を理解できているわけではない

コンサルと河川局の間でどんな議論があって出てきた数値なのか、プロセスが分からないままに(鉛筆なめをしていても誰も検証できないままに)、「政策的な数値」として使われてきたのが基本高水だ。そしてその場にいわゆる本来の意味での第三者的、独立した研究者、国から研究費や仕事をもらっていない研究者は介在せす、また、あくまで発注者である河川局と受注者であるコンサルの間の関係でこの数値が決まっていた。水、森、地質という数字では表しきれない状態を計算で出す科学には限界がある(科学への挑戦的な数値である)にも関わらず、「基本高水」という数値になった途端に、その数値が「政策」の場で使われると、金科玉条の絶対的な数値として扱われてきた。どこに無謬と誤謬(誤差や判断)が入っているのかが明らかにされずに一人歩きしてきた。

その結果として、次の滑稽な課題(6)が生じてきた。

(6)その数値が永遠に達成できない実現性のない治水目標であること。

これは大熊孝新潟大学名誉教授が3月29日に訴えたことだ。たとえば、利根川水系場合(八斗島基準点)は2.2万トンだが、これを実現しようと思えば、ダムを最低でもあと数個作らなければ達成できない。しかしダムを作る場所はもうない。「そんな数値に意味があるんですか」ということだ。

治水計画としての問題だ。どんな数字が出るにせよ、「出した数値が治水上実現可能な数値なのか責任を持っていただきたい」ということを繰り返し主張したのが3月29日の大熊教授の議論の最終的な結論だ。

今回の検証が始まったきっかけは(1)(2)(3)の正誤は問わず、雨量データと(4)を入れて(5)を関良基拓殖大准教授が試算したら、実際に国交省が発表してきた結果とは違うから、鉛筆なめだったのではないかと疑われたことに端を発する。

日本学術会議では、4月1日までに、(1)(2)(3)まで遡って問えるかどうかを含めて(なんと、江戸時代の寛保の大洪水まで!?)議論する。(4)(5)が検証されていく前提で、(6)の注文が大熊教授からついた。

出される結論はしたがって、(1)(2)(3)が問えるかどうか4)(5)のどこに無謬と誤謬があったか(あるいは意図的なインチキがあったか)、およびその結果、日本学術会議としてはどのような数値をベストな(パーフェクトではない)数値であると推奨するのか、そしてその数値にはどのような無謬と誤謬が含まれている可能性があるのかを明らかにし、(6)について研究者としての良識を示す。

だいたい、こんな議論になっています。

ベストな(パーフェクトではない)数値としては、一つの数値を出すのではなく、幅をもって出すのだ、というのが、ぶらさがり取材で得た小池委員長のお答えでした。

目安として利用するにしても、それをどう治水に活かすかは、住民不在で議論をしても意味がない。住民が自分の置かれている環境を住民自身が知ることがなければ、乃木坂の一室で議論されていることには何の意味もない。いずれにせよ、普段、コンサルと河川局の間でのみ決定されてきたことが、公開の場で研究者によって議論されているということだけは言える。

ここから先にさらに言いたいこともあるがここまでにしておきます。(それに議論の過程で出てきた重要なことで、ここでははしょっている問題もありますので、分科会の議事要旨でご確認ください・・・と言うこと自体に問題がはらんでいるわけで・・・)

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2011年2月23日 (水)

このブログの行方(6)何が必要か?

タイトル(5)を(6)に修正^^;(2011.2.24)

●何が必要か?
ここから先は、実は川辺川ダムとも共通している。淀川とも共通している。
ここからの問いは、八ツ場ダムと本質的には同じである。

成功したように見えるダム反対運動があっても
自治力がジワジワとあがってきても、
その現場で、相変わらず国交省が居座っているのは何故か?

突き詰めて言えば、
河川法第6条に基づく河川整備基本方針に「洪水調整施設」が位置づけられているからだ。それがある限りは、たとえ、いったん、河川整備計画からはずしたとしても復活のチャンスはある。「地方自治の賜」と「政治的に」止まっているという位置づけに留まる。

目下、ここから先の考え方は少なくとも二者ある。

・基本高水を神棚において無視する考え方と
・基本高水論争だ。

あえて足せば、もう一者。
前者が正解だが、ブラックボックスでアンタッチャブルだった基本高水が
鉛筆なめしている証拠があがれば後者もアリではないかという立場。

棚上げ論が楽。
それで勝てるなら、誰だってその道を選ぶだろう。
好きこのんで基本高水論争をする人はいない。
突き詰めて言えば、道は3つ。

1. ガチンコで基本高水論争をして河川整備基本方針に書き込まれた基本高水(実際には「計画高水」といって、基本高水から洪水調整(ダム)分を差し引いた値を表す文言が法律には書かれている)を変更させるか(ガチンコ基本高水論争派)

2. 河川整備計画でダム施設をはずさせ、基本高水を「死文化」していくか(神棚派)

3. 河川法という法律から、基本高水による治水概念(洪水を想定し、どう水位を下げるかという治水概念)を変える。

この三つの道のうち、通れる道を通るしかない。
また、登れる山ならすべての山に登るのがあらゆる住民運動に共通している。

川辺川ダムの場合、これ以外の「自治力」で止めている。
八ツ場ダムの場合も、ある意味、その途上でもある。
淀川の場合、2の筋で進んでいたのに、リビアのカダフィ大佐なみの近畿地方整備局の強引さで、歴史の時計が逆さに動いた。

このブログは上記「3」が目的である。
こうして結果的に、この6年(予想より長かった)で
このブログのサブタイトルである「河川法を改正しよう」の自問の答えが見えた。
このブログ「ダム日記2」がそのエンディングに向かっているのは、
そのためだ。答えは「ダムか否か」という問いの中にはない。

次は、地質へと戻りたい。

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このブログの行方(5)議会の役割

タイトル(4)を(5)に修正^^;(2011.2.24)

●一つは議会の役割だ。
あからさまに違法ならば都議会、県議会がさすがにチェックする。
しかし、そのチャック機能は低かった。
しかし、裁判が進むにつれ、八ツ場ダムがとんでもない事業であったことが分かり、多くの議会で多くの都議会議員や県議会議員が質問をするようになった。
(このブログではろくすっぽ紹介できていない)
全然知らなかった議員さんたちの顔が見えてきた。
都議会ではすでに逆転し、石原知事とはネジレた中で、論戦が繰り広げられてきた。
これは予想だにしなかった驚きの変化だった。

まったく報道されることも見向きもされることもなかった八ツ場ダムが、
玉石混淆だがじょじょに、そして劇的に報じられるようになり、
「やんばダム」と多くの人が読めるようになった。これも大きな変化だ。

裁判がなければ、基本高水の計算がいい加減だったことは判明しなかった。
河川官僚がセコイやり方を選んだとは言え、基本高水の検証が始まった。
これは、以前にはあり得ない展開である。

●何が必要か?
ここから先は、実は川辺川ダムとも共通している。淀川とも共通している。
ここからの問いは、八ツ場ダムと本質的には同じである。
(続く)

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このブログの行方(4)なぜ勝てないか?

●「八ツ場ダム(の反対運動)は何故勝てないのか?」との問い
この問いが正しいかは横へ置き、
そう問うてきた人は、「基本高水という難しい話をするからだ」と考えているようだ。
その方には、「負けている構図」は見えているが、
「世論が広まってきている」というプラス面は横において論じている。
「なんとかならなんのか、下手くそな反対運動をやりやがって」
との苛立ちが伝わってくる。
その「下手くそな反対運動が見えている」という
「反対運動の効果を示す」査証を示しながら。
反対運動が負けている
政権与党すら国交省河川局に負けている。
その構図が知られ、見えること、そのすべてがプロセスだ。

先述した川辺川ダムの教訓からもそのことは言える。
たとえば、ここ最近はご無沙汰しているが、
私が川辺川ダムの闘いをフォローし始めたのは1996年ぐらいからだったと思う。
2005年に勝利するまでに9年、それからでさえ6年が過ぎた。
それでもまだ国交省は撤退をしていない。
でも誰も住民が負けたとは思っていないだろうし、事実、負けてはいない。

八ツ場ダム住民訴訟が始まったのが2005年。
野党各党が注目し、民主党などのマニフェストに入り、
流血革命とは違い、状況は徐々に変わってきた。
民主党が政権を取り、無血革命だと思ったら、彼らは無血革命だとは捉えておらず、
ゆらゆらとスピード感なく、チンタラしている。
八ツ場ダム予定地でも用地買収も終わっていない。
河川局は、全国のどこの事業とも同じで、見切り発車で工事を始め、
人を傷つけながら進めてきた。

国交省は一歩たりとも立ち位置を変えていないが
住民訴訟を始めた側は、地裁では負けたが、
一歩たりとも歩みを止めず後退もしていない。高裁で闘い続けている

その方から見れば下手くそであっても、二つの流れがあるのをお気づきだろうか。
一つは、八ツ場ダムのことを知ってもらい、
現地に暮らす人々のことを知ってもらい、
下流と現地が対立することなく、一緒にあしたを考えていけないかという流れ。

一つは、納税者として、
必要性やリスクの精査・検証なく支出を続けてきた都県の支出を止めようという流れ。
東京都、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、千葉県の
支出が違法だったかどうかという厳しい裁判である。

かつて、国営川辺川ダム土地改良事業の計画変更の異議申し立てを却下したことの取消訴訟に対しても「筋の悪い裁判」と無責任に見下していた知識人がいた。
八ツ場ダム住民訴訟の裁判を無責任に見下す人がいても不思議はない。
重要なのはそのプロセスを通してこれまでに何が分かってきたかだ。

●一つは議会の役割だ。
(続き)

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このブログの行方(3)続く税金の垂れ流し

●ここまでの話のオチはどこにあるか?

川辺川ダムは住民による地方自治の力と政治的に止まっている。しかし、
2005年以降も現在も税金を垂れ流しているのが川辺川ダム事業である。
行政手続的に見れば、実は、川辺川ダムと八ツ場ダムは同じステージにいる。
見えにくい問題だけに忘れられがちだが。

国交省は川辺川ダム砂防事務所を撤退もしていないし
特定多目的ダム法に基づく基本計画の廃止も行っていない。
工期は過ぎて自然消滅している状態でありながら、
人員を配置し、人件費を川辺川ダム事業として税金から垂れ流している
熊本県民は勝ったが、日本の納税者としては負け続けている。

その間、五木村では代替地もでき、水没予定地には一世帯を除き誰も住んでない。
勝利なのか?という問いは別の角度から問われる必要がある。

● 「八ツ場ダム(の反対運動)は何故勝てないのか?」との問い
(続く)

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このブログの行方(2)粘りの勝訴と消えた勝訴

●ただし、これはまだ川辺川ダム反対運動の完全勝利ではない。

これだけでは工事を止めることはできなかった。
川辺川ダムの本体工事が止まっていたのは漁民の存在故である。
漁民が止めることができたのは、農家による裁判があったからだ
単純ではない。
川辺川ダムを作るためには漁業権を持つ漁民の承諾がいる。
漁業組合は切り崩しにも負けずに川辺川ダム建設に反対し続け、
反対を切り崩せないと判断した国交省が、
「伝家の宝刀」と言われる土地収用法に基づく強制収用へと動いた。
「漁業権は収用できない」という解釈も無視された。
そのために川辺川ダムに「公益性」があることを認定する「事業認定」が行われた。
 これは「右手で申請、左手でハンコウ」と言われるお手盛り手続である。
 「川辺川ダムを作りたいです。公益性があります。
だから漁業権を収用してください」と申請するのは国土交通省。
「はい。公益性があります。収用しましょう」と答えるのも国土交通省である。

漁民は国交省お得意のお手盛り「事業認定」の取消訴訟で闘い始めたが、
土地収用のための手続は、次の段階へ進んだ。
「いくらで収用しましょうか?」ということを決める収用委員会である。
これは熊本県に設けられている委員会だ。
発電は撤退したし、農民は裁判を起こしているし、
公益性などないと漁民が訴えても、
この手続の終結である「収用裁決」は目の前に迫っていた。

そんな折りに出たのが、農民勝訴の高裁判決だった。
国営川辺川ダム土地改良事業は「公益性」の中に記載されていた。
公益性はウソだったことが農民の裁判で決着がつき、
漁民の漁業権をそのウソの公益性で収用することはできないこととなり、
プライド高き国交省は、自分で、事業認定を取り下げた
。2005年だ。
事業認定訴訟も強制収用も消え、漁民は勝った。
勝つまでは負けない気持ちが、二つの闘いを交差させて勝利(奇跡)が起きた。

●ここまでの話のオチはどこにあるか?
(続く)

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