直轄事業負担金制度の本当の欠陥
国直轄事業負担金の軽減や廃止を全国知事会が求めはじめた1964年から数えて半世紀近い。ようやく個々の複数の知事が具体的な事業名をあげて、「支払い拒否」をほのめかすようになった。加速度的に多くの知事が言い始めたことで新聞も取り上げるようになった。
新聞報道によれば、与党政府は負担金制度の廃止も考え始めたようだ。(未確認)
しかし、私が思うに、国直轄事業負担金は、自治体が負担させられることが悪いのではない。国直轄負担金制度の欠陥は、自治体が財政負担をさせられる(納税者からすれば、住民税などの支払いで負担させられる)にもかかわらず、「応分の参加権」つまり「意志決定への参加権」がないことだ。
しかし、知事も国も、そこのところまでに考えがまだ到っていないように思う。
そこで書く。
この問題を考えるとき3つの点を考えるべきだ。
1.負担拒否は、事業から撤退の決断のときでなければならない。
一つは、あたかも「国の事業だから国が払うべきだ」といいたげな言い方は間違いだ。ある一つの事業に自治体が参加するときには、その意志決定に「加担」しているのだ。もし支払いたくないというのであれば、その事業から撤退すべきなのだ。
財政負担が苦しい、というのは事業から撤退する重大な判断根拠であり、民間事業であればそうしなければ倒産するのであるから当然、撤退の判断は健全である。ところが自治体として事業からは撤退もせずに「受益は欲しい、負担はいやだ」というのであれば、その論法は間違っている。これは自治体や国が破綻しないという甘えと勘違いからきている。夕張市を見てわかる通り、放漫経営を続ければ早晩、未来世代への行政サービスのカットでそのツケを払うことになる。
2.大阪府がかかえる矛盾
大阪府ではある意味、それが起きている。過去の放漫経営に対し、過去から見た未来(つまり現在)、橋下知事は、府としての行政サービスを削らなければならなくなり、国直轄負担金(最終的には2割)を支払わないという選択と、福祉行政サービスを含めたカットで対処している。ところが削るべきところの精査が甘い。たとえば大戸川ダムという国直轄ダムには異議を唱えて中止を訴えているのに、同じように推進根拠の乏しい府営のダム建設計画(ハコモノ事業)は止めようとしていない。不可思議な矛盾だ。これこそ「止める」といえば、止められる出血(財政負担)を放置している。この批判が間違っていると言いたいなら、橋下知事は、ただちに府営ダムの必要性の根拠を洗い直すべきだ。
国にしても、府営ダムへの補助金を大阪府に対して支払わなくて済むので、財政的に助かるはずなのだ。「財政が苦しい」といいながら、国は国の事業を、府は府の事業を死守するのは筋が悪い。府は、国直轄事業負担金の支払い拒否をすると同時に、現在の世代への福祉行政サービスを削るよりももっと先に削るべきところがある。
3.事業撤退、意志決定への応分の参加
国直轄負担金制度の最大の問題は、国が抱えている問題だ。自治体が必要性や優先順序の高さを認めることができずに、撤退をしたいといった場合でも、国は、現在のところ、暗黙のうちにゴリ押しや他の事業予算カット(行政圧迫)などの手法を使って、事業への継続参加と財政負担を事実上、求め続ける姿勢を見せる。
大戸川(だいどがわ)ダムに関して、それが起きている。事業撤退に関する筋道を法律で想定も規定もしていない。大戸川ダムは、河川法16条の2に基づいて、河川整備計画に位置づけない限りは推進できない。その手続に基づいて複数の知事が大戸川ダムを位置づけるべきではない、すなわち、中止するべきだとする意思表示をしているのにもかかわらず、国交省はいまだにその意志に従おうとしてない。
つまり、国直轄事業負担金制度とは「受益に基づく応分の負担」を求める制度であるにもかかわらず、「財政負担応分の参加権」、「意志決定への参加権」は認めていないのだ。「払えないから(あるいは優先順序が低いから、必要性を認められないから)参加しない、撤退したい」ということを認めない。
事業への参加にあたって、法的な手続を経て、ひとたび負担の支払いが始まるとあたかもやくざの兄弟の契りのように、それから足を洗えない不文律の仕組みになっている。
財政事業がかわって(将来的な財政状況を見極めずに参加しないことが本来は望ましかったわけだが、首長が選挙によって代わり、納税者の意志を尊重することは十分頻繁にありえるわけだから)、もはやその事業から撤退しようと、自治体が意志表示をすることは十分にありえる事態にもかかわらず、国がその意志を汲む手続が法律にない。
しかし、法律に書いてあろうとなかろうと、尊重すべきところを尊重すべきなのは当たり前のことで、その政治的意志を国土交通省官僚が認めないのであれば、国土交通大臣がただちにその自治体の意志を尊重し、その事業の中止に向けての手続きを命ずるべきところである。
政治決断を行わない大臣はまったく不要である。大臣の役割が分かっていない大臣が、大臣であることほど、国民にとって不幸なことはない。
以上、3つの論点が徹底議論されずに、地方が財政負担なしに国直轄事業に参加できるようになるのは、地方の焼け太りであり、間違いである。
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