カテゴリー「須藤★特派員の川辺川レポート!」の9件の記事

2007年11月15日 (木)

川辺川特集のページ

JanJanに川辺川特集のページができました!http://www.news.janjan.jp/special/kawabe/1.php#participations

地に足のついた住民の言葉ほど国交省を慌てさせるものはない。

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2007年1月29日 (月)

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!その5

お待たせしました。

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!第五弾です! 

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須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!

《第四期――ダム案と非ダム案の提示と収用申請取り下げに伴う混乱期》

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 下書きまでしていたダム日記の五回目の原稿が進まない(!) 年末、正月明けと法事や講義の教材つくりなどがあって‥‥とあれこれ理由をつけますが、話は簡単。要は「後回しにしていた」だけでありました。本当に申し訳ありません。厚かましくも好意的にご配慮いただければ、先に先にと進む現地の状況を見失わないようにするだけで精一杯だった、ということでどうかご勘弁ください。投稿再開の前触れでありました。

 

《第四期――ダム案と非ダム案の提示と収用申請取り下げに伴う混乱期》

056月、第五回目の意見交換会(集落座談会)が始まった。市町村での説明会の後、市町村が主体となりそれぞれの集落単位で農家同士の座談会を開催、その後アンケートに答えてもらい、最終的に利水計画の概要素案を絞り込む目的で実施された。説明会では、川辺川ダム案とダム以外の案(相良六藤に堰をつくり、そこから取水する:以後相良六藤堰案と呼ばれた)のそれぞれについて、対象農地、総事業費、水代、農家の負担金、工期などが地元関係農家に提示された。529日に農水省の出してきたダム案と相良六藤堰案は、維持管理費などダム案有利のものだった。しかし、調整役の熊本県は「ダム案とダム以外案、双方の案が遜色ない形で農家に提示する」方針を貫き、農家負担を同額にするため、年間維持管理費の差額4000万円を熊本県が補助することを言明した。

集落座談会を欠席した農家へは、市町村職員が戸別に訪問して資料が手渡された。そして、事業への参加と水源をどちらにするかを問うアンケートが実施された。新利水計画の策定に際し、このアンケート結果が重要な意味を持つことを関係者全員が認識しており、結果の公表が待たれた。

05年秋、農政局からアンケート調査の結果概要が直接マスコミを通して公表された。対象農家数は4240戸、回答農家数は3735戸、回収率88㌫。それによると、【国営利水事業に参加する? 参加しない?】という問いに対して、対象農家(4240戸)の約40%が利水事業に参加すると回答した。1378haの概定地域内では約72%が事業に参加すると回答した。更に、概定地域内で事業に参加すると回答した農家に【水源はダムから? ダム以外から?】と尋ねたところ、約74%が川辺川ダムからの水を望んだ。この回答を見る限り、概定地域内の農家約72%が事業に参加、かつ大多数がダムからの水を望むと答えており、川辺川ダム案が地元で承認されたかに見えた。

しかし結果を詳細に見ていけば、更に大きな問題が隠れていたのであった。設問の最後で、【国営事業からの除外の同意】が農家に問われた。土地改良法によれば、土地改良事業を行うためには対象農地面積を確定させなければならない。1994年の変更計画では、対象農地面積は3010haと確定していたが、新たな計画を作り上げるためには、対象農地を確定させることが不可欠なのであった。変更計画時点の対象農地から外れる農家には、「除外の同意」の同意書をとらねばならない。こういう意味合いを込めた「除外の同意」の設問である。すると、アンケートに回答した農家の約91%の人が「国営事業からの地区除外に同意する」と答えたのである。つまり、「私は国営利水事業の対象外となってもいいですよ」という意思表示をほとんどの人がしたのであり、国営事業でなければならないと確たる意思を示した人々は9パーセントしかいない、という事実がアンケートから導きだされたのであった。

(注:正式なアンケート結果発表は同年12月26日に開催された第63回事前協議の席)

03年、三回実施された意見交換会と農家への意向調査、04年夏の第四回目の意見交換会と意向調査、05年7月の第五回目の意見交換会(集落座談会)とアンケート調査。合計5回にわたって、地元の意向把握が行政によってなされた。新利水計画策定は、農家が納得できるような案を作ること、それがそもそもの出発点であった。粘り強く、時間をかけた働きかけを経て、漸く表に出てきた農家の声は、巨大な国営利水事業を推し進めようとしてきた国の政策と全く反するものだった。水需要の少なさ。国営事業への参加意欲の少なさ、個々の農家経営への不安、日本の農業政策への不安などの声は、意見交換会への参加者の少なさとあわせて、農家の実情を伝えていた。これを見ると、国営利水事業計画(当初計画と変更計画)が如何に過大な見込みで策定されたか、農家の実情とはかけ離れたものであったかがよくわかる。更に問題は、ダム案、六藤堰案双方とも、事業に必要な三分の二以上の同意は取れないという農家の現実がそこにあったのだった。

一方、収用委員会は531日に国交省へ取り下げを勧告するかどうかを話し合う「裁決会議」に入ることを表明、829日には国交省へ申請の取り下げ勧告を行った。「変更が生じる事態となった場合、収用委員会の判断の前に、まず起業者(国交省)がこれを是正すべき」であり、「(利水計画の策定を含めた)ダム事業計画を確定させてから必要な手続き(土地収用法に基づいた収用裁決申請手続き)をすべきである」というのが、その理由であった。この勧告をうけて、国交省は915日に収用申請を自ら取り下げた。

川辺川ダム建設事業には公共性・公益性があるとして行った土地・漁業権の収用裁決申請を、国交省自らが取り下げざるを得なかったことは、ダム建設の先行きが不透明になったことを意味した。新利水計画策定のダム案の前提が崩れたこととなる。事前協議は1226日まで4ヵ月間中断した。

中断されていた事前協議が1226日再開された。九州農政局は7月のアンケート結果を受けて見直しを行ったダム案と非ダム案(相良六藤堰案)を協議の場で関係者に提示し、新利水計画策定のスケジュールを明らかにした。それによると、06年春に二つの案の最終的な絞込みを行い、07年度の概算要求が固まる068月までに新利水計画を策定することを表明した。対象農地面積は双方とも1263haであった。いよいよ新利水計画策定作業は最終局面に入ったかに思えた。

(まさのより)須藤さんのこのレポートをもとに質問項目を作り、農水省に取材に行きました。その直後にこれが起きてこの原稿の中の「時代と共に地域に寄り添った見直しを~川辺川ダムからの教訓」を書きました。須藤さんに感謝します。これから先も楽しみにしています。皆さんもどうぞお楽しみに!全部をまとめて読みたい方は、カテゴリーから「須藤★特派員の川辺川レポート!」をクリックしてください。

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2006年11月29日 (水)

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!その4

お待たせしました。

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!第四弾です!

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須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

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③事前協議の歴史 

《第二期――農政局の巻き返しとそれを跳ね除ける闘い 04年》

2003年12月の意向調査結果に衝撃を受けた九州農政局は、2004年2月にたたき台3案(川辺川ダムから取水。川辺川上流から取水。川辺川下流から取水)を公表した。たたき台3案を比較するとダム案が最も事業費が安く、最も工期が短い。「やはりダム案が優位」というキャンペーンを張ることで、関係農家をダム案に誘導するという強行突破戦略であった。利水原告団・弁護団は「農政局の厳しい巻き返し策動に、いつ協議終了が宣言されるか」と危機感を持ったという(前述・森弁護士)。そして、ダム案で新利水計画を纏めようとしている農政局の強引なやり方に対して、『「はじめにダムありき」という立場を改め、関係農家の意向を踏まえた計画にしなければ、新利水計画策定の試みは失敗する』ことを繰り返し主張し続けたという(前述・森弁護士)。

こういう原告団と弁護団の厳しい指摘をうけ、農政局が提示した3つのたたき台は「参考資料」として取り扱うこと、県立大学の中島教授が提案した中小河川から水を引く案も含めた新たなたたき台を再度検討することが事前協議で決まった(0429日・17日)。4月5日、農政局は先の3つに加えて中島教授の案も含めた5つのたたき台を提示した。しかし、依然としてダム案優位のたたき台であることに変わりはなかった。双方の対立と混乱が深まった6月、総合調整役の熊本県は、農水省の提示した「たたき台」を一旦棚上げにすることを提案した。そして、7月開催予定の第4回意見交換会では水需要の有無を農家に確認するとした。利水事業の原点に立ち返ったといってもいいだろう。

第4回意見交換会の後、水需要を問うた農家の意向調査では、「水が必要」もしくは「あったほうがよい」と回答した関係農家の農地面積は700ヘクタールに留まった。利水変更計画時の受益農地面積は3,010ヘクタールであったが、それに比べて四分の一弱の面積に過ぎない。更に、この700ヘクタールの土地も詳細に見ていけば飛び地、虫食い状態となっており、事業遂行に大きな障壁となりうるものであった。そもそも事業そのものが成り立つのか? という疑問の声が上がり始めた時期でもある。2003年12月の意向調査結果に続き、7月の調査結果はダムに固執する国や推進側に更なる衝撃を与えた。

《第三期――収用委員会の新たな動きと国土交通省の抵抗》

丁度このころ、熊本県土地収用委員会◆(以下 収用委員会)でも動きがあった。2003年5月の福岡高裁判決後、収用委員会は同年10月の委員会で「新たな利水計画が策定されるまで審理を中断する」ことを表明し、審理を中断させていた。多目的ダムである川辺川ダムの主要な目的である「利水」計画が白紙となり、事前協議で協議が続いている新利水計画の策定作業を見守るという姿勢であった。04年8月、収用委員会は「(中断してから一年後である)11月に委員会を再開する」と発表した。

  ◆収用委員会のこと

  2000年9月、国交省は土地収用法に基づく強制収用を可能とする「(川辺川ダム事業の)事業認定」の申請を国に対して行った。同年12月、国は「川辺川ダム事業は公共の利益となる」という「事業認定」を行った。01年、球磨川漁協は総代会、総会と二度にわたり国とのダム補償交渉案を否決する。同年12月、国交省は収用委員会へ土地と球磨川の漁業権の収用裁決申請を行い、翌年2月から審理が始まっていた。◆

福岡高裁判決、そして新利水計画策定作業の過程で明らかとなった農家の実情と意向は、収用裁決申請が行われた01年当時から大きく変ってきていた。こういう地元の状況のもと、強制的に私有財産を収用するに足りる公共性・公益性が、川辺川ダム事業にあるのか? 事前協議による新利水計画策定作業は、収用委員会にも大きな影響を与え始めたのである。

7月の意向調査の結果をうけた農政局は、関係市町村の要望を踏まえて「対象農地を概定面積として1,378ヘクタールとする」と表明した(2004.8.27事前協議で熊本県が裁定)。そして、この概定面積をもとに「ダム取水案」と「非ダム取水案」の二つに絞り込んだ案を関係農家に提示する方針であること明らかにした。

取水源が具体的になった20049月以降、事前協議は川辺川の管理者である国土交通省九州整備局(以下 整備局)と、「川辺川の正常流量」「水利権」問題をめぐる攻防へと論議は移った。整備局は以前から事前協議に参加してはいたが、議論の表舞台に出てくることはなかった。しかし、非ダム取水案を論議していく中で、河川管理者である国交省との議論が続いた。水利権と「正常流量」問題を盾に、彼らは非ダム案の作成作業を妨害し続け、協議は紛糾していた。農政局は国交省へ新利水計画を提示できず、当然ながら国交省も収用委員会へ新たなダム変更計画を提示できる状況とはなっていなかった。

11月25日に再開された収用委員会では、実質審理に入らないまま「来春(05年)まで審理を再度中断し、新利水計画の策定を待つ」と塚本委員長は表明、再度の中断となっていた。

年が明けた2005年3月の事前協議で、農水省は「ダム案」「非ダム案(川辺川の六藤地区に新たに堰を設け取水する六藤堰案)」を農家に6月に提示する方針を明らかにした。中断していた収用委員会のほうでも再び動きが始まる。3月25日、再開された収用委員会は「審理を再開すること」を国交省に通知するとともに、(新利水計画策定を受けた)ダム建設事業計画の提示を求めた。「起業者(国交省)の都合で、一年七ヶ月もの間審理が中断している。」収用委員会は、これ以上は延ばせないと委員長が判断せざるをえない時期にきていた。収用委員会の今後の行方、新利水計画策定作業の行方、多くの県民が息を詰めて緊迫した情勢を見続けていた。

(続く)

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2006年11月17日 (金)

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!その3

お待たせしました。

須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!第三弾です!

(1)川辺川ダム問題‐利水事業とは何か

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

①はじめに <事前協議が生まれた背景>

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須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

②協議の合意事項

③事前協議の歴史

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②協議の合意事項

2003(平成15)年6月16日、第一回目の事前協議が開催された。『全ての情報を公開・共有し、論議を交わす』『事業の規模について予断をもたない』『水源についてはダムに限らず他の水源の調査も行う』『対象農家約4.400戸一軒一軒に対し丁寧かつ迅速な説明を行う』『計画策定までのめどを一年とする』という基本合意事項が関係団体によって確認された。

政策決定に際し、行政と住民の関係は「パブリックコメント」など住民の声を聞く制度が導入されているが、基本的には行政主導であり、政策決定に際して住民の意思が反映されることは殆どといっていいほどない。しかし、事前協議の合意事項を詳細に読んでみれば、そこには新たな試みの芽を見ることができる。行政と農民(住民)が互いに対等な立場で向き合い、公開された全ての情報を共有して論議を交わし、地元農家の意思が政策決定に際して重要な意味を持つ。それが新利水計画策定のための事前協議であった。

行政、ダム推進側、そして弁護団・原告団の三者の間では、事前協議に対する評価(思惑や認識)の違いは当然存在した。しかし、利水原告団・青年同志会に代表される農民を巻き込まなければ計画策定・同意取得など、利水計画を策定することはできないという状況認識については、皆が一致していたのである。様々な案件を抱えた「利水訴訟弁護団」が、毎回欠かさず事前協議に出席し続けたことは想定外であったとしても。

ともあれ、事前協議はスタートした。以来2006714日に中断(解体)されるまで計78回、三年にわたって開催され続けた。関係団体間で合意事項が交わされたとはいえ、協議がスムーズにいくことは珍しく、紛糾して中断、そして再開という事態を何度も繰り返した。そのたびに粘り強く協議を進めた総合調整役の熊本県の鎌倉孝義元地域振興部部長(20063月末退職)の手腕は、事前協議を語る上で欠かせない。評価は分かれるとしても、彼のキャラクターと調整能力は他を圧倒していた。

③事前協議の歴史

利水訴訟弁護団の一人であり、事前協議に参加し続けてきた森 徳和弁護士によると、新利水計画策定のための事前協議の歴史には幾つかの大きな山場があったという。2005年2月25日に熊本市内で開催された「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」主催の集会『今年、川辺川ダムが止まる。熊本から始まる住民決定型公共事業』で講師を務めた森弁護士の発言を元にその歴史を振り返ってみたい。

《第一期――『農家が主人公』の合意形成期 03年》

第一期は2003年7月、9月、12月と三回にわたって、地元で意見交換会が開催された時期である。意見交換会の開催は、「農家の意思を把握することが大事(530日)」という潮谷義子熊本県知事の発言、「農業用水の確保については、地元農家の意向を確認して(519日)」という亀井農相(当時)の談話を反映したものだった。この時期、原告団・弁護団は「エンドレステープのように、農家が主人公、農家が主人公」と、ひたすら言い続けたと森弁護士はいう。利水事業が誰のための事業であるのかを行政のみならず地元農家全員で確認するために要した期間であった。

この時期を経て、新利水計画はトップダウンで作るものではなく、主人公である農家が作りあげるものだという意識が行政だけでなく、一人ひとりの農家の心に染み渡っていった。第三回目の意見交換会の後に行われた意向調査結果に、変化の兆しを見ることができる。

第三回目の意見交換会の後集約された農家の意見書では、「新利水計画の水源を何処にするか」という問いに対して、「川辺川ダムから」と答えた農家は全体の23%に過ぎなかった。当初計画にしろ、変更計画にしろ、『水源は川辺川ダム』であった。両計画とも地元農家の三分の二の同意を得ていたと農水省は主張していたのだから、この23%の意味は大きい。

利水事業を進めるためには、関係農家の三分の二以上の同意が必要である。これは逆から言えば、全体の三分の一を占めることができれば、「拒否権」を行使できるということを意味する。ダムからの水を求める数字が23パーセントしかないということは、『ダムによる利水事業の推進派』は拒否権を行使することも出来ない、ということが明らかとなったのであった。「ダムからの水を取水源とする利水事業を進めよう」と農水省は長い間主張してきたが、農家の意思はこれを覆す衝撃的なものであった。

(続く)

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2006年10月20日 (金)

審議の中身

以下、1019日、球磨川水系河川整備基本方針検討小委員会に傍聴に訪れた須藤さんが熊本の仲間に報告をした中身です。これも許可をもらって転載します。須藤★特派員の川辺川レポート!霞ヶ関編です。行間など変えています。

***

須藤です。先ほど東京より帰宅したところです。取り急ぎ、今日の報告をいたします。詳しいこと、あるいは不足している部分については傍聴された方々からのご報告があると思いますので強く印象に残ったものをいくつか簡単にご報告します。

■潮谷知事発言について

本日の委員会は門松河川局長の挨拶から始まりました。「ピーク流量を前回定めていただいた。各河川の治水を考える上で『ダムありき』の計画を立ててはならないし、『ダムなし』の計画を立ててもならない。先入観をもたず、地域ごとの環境などを考慮して最適の方法で治水計画を立てることが(私共の)基本的な考えです」という内容でした。

それに潮谷知事は毅然として反論しました。

「門松局長が『前回、定めていただいた』と発言された基本高水流量の7000トン、9900トンについては、私は理解しずらいものがある。私は納得していません。私自身が納得できていないのに、県民へ説明することは素人である私にはできません。国交省はこれらのことをきちんと分かりやすく説明する責任があります」ときっぱり。

委員会終了後の記者会見の場でも「基本高水流量が前回の委員会で委員長裁定で定まったという認識はしていますが、私がそれを納得しているわけではありません。」と知事。

「河川整備方針を立てるにあたって、(球磨川水系では)かなり時間をかけているが、治水は一刻も早く方針を立てることが求められている。時間がかかっていることについてのご意見は?」という記者さんの問いに対して、「これ(時間をかけてじっくり話し合うこと)が、基本ではありませんか?」とお返事をしていました。

門松局長のコメントに対する「私は納得していませんよ。了解していませんよ」という知事発言のあと、会場全体がどんよりと重たい雰囲気に一変しました。知事を納得させるための「包囲網」が、全く効果がないことに改めて愕然とされたような感じでした。

これは、傍聴に参加された皆様も感じられたのではないでしょうか?

さて、委員会全体の報告です。

国交省の河道流量や治水対策の考えなどの本日の資料、それは住民討論集会の時の資料、観点と殆ど同じものでした。

●人吉の河道流量について、河床掘削による流量増大については「砂礫で構成される瀬・淵が喪失し、軟岩層が露出し、生物の生息・生育状況に大きな影響を与える。

●船下りの航路、河川景観の魅力を低下させ、地域の観光産業に大きな影響を与える恐れ。

●引提による流量の増大の可能性については、人吉の主な旅館や公共施設などを網羅した航空図を資料に添付。これらの建築物が移転しなければならないと主張。

●堤防嵩上げによる流量の増大の可能性については、市内にかかる橋や道路の嵩上げも必要となり、人吉市街地の殆どの区間で堤防の嵩上げが必要となり、氾濫した場合に危険となる地域が市街地全体に拡大するので、ありえない。

等など・・・引き提のこと、河床掘削のこと、嵩上げのことなど、住民討論集会の記憶が蘇る本日の国交省の説明でした。

更に、中流域での家屋の嵩上げでは、既に完了した嵩上げ地域も、(反対派の主張する数字を満足させるためには、)再度の嵩上げが必要であるなど。八代の深掘れ対策工事では、全体の施工量約38万トンに対し、これまで5.5万トン実施。アユなどに配慮した年間施工可能期間は11.12.1.2月だけ。というような説明が延々続きました。

■破壊された環境は元に戻せない発言

委員さんの発言については、「河床掘削などで軟岩が出たら自然環境を破壊する。、一度破壊された環境は元には戻せない。良好な河床形態がのこるような整備方針を」(中川委員)。をはじめ、多くの委員さんが「環境に与える影響を考えると・・・」という内容で、河床掘削については消極的な発言を続けられたと感じました。

一度破壊された環境は元には戻せない、という発言を聞いて、思わずのけぞりそうになりました。

ダムが環境に与える影響についてはいかがなものか、森林荒廃は? 森林の保水力は? 地球温暖化については? どうなんでしょうね。かなり腹立たしい思いでしたよ。改めて感じたのですが、一つ一つの発言が、とても恣意的な印象を受けています。

それと、国交省の説明ですが、河床掘削なら河床掘削のみ。堤防の嵩上げなら、嵩上げのみ。引き提なら引き提のみ。

そういう一つの方法に限定して「治水対策」を行おうと机上で計画して、これは不可能だ、これも不可能だという。誰も「一つの方法に限定して治水をやれ」なんて、言っていない。

いろんな方法を複合的に積み重ねて、環境に負荷を与えない方法を見つけていこうということを住民側はかねてより主張してきました。それをわかろうともしない、あの頭の固さ!

住民討論集会の「追体験」を、今しています。ではでは、取り急ぎ。

==以上、須藤さんのレポートでした!

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そして審議の中身

以下、1019日、球磨川水系河川整備基本方針検討小委員会に傍聴に訪れた須藤さんが熊本の仲間に報告をした中身です。これも許可をもらって転載します。須藤★特派員の川辺川レポート!霞ヶ関編です。行間など変えています。(念のため。川辺川は球磨川の支流です)

***

須藤です。先ほど東京より帰宅したところです。取り急ぎ、今日の報告をいたします。詳しいこと、あるいは不足している部分については傍聴された方々からのご報告があると思いますので強く印象に残ったものをいくつか簡単にご報告します。

■潮谷知事発言について

本日の委員会は門松河川局長の挨拶から始まりました。

「ピーク流量を前回定めていただいた。各河川の治水を考える上で『ダムありき』の計画を立ててはならないし、『ダムなし』の計画を立ててもならない。先入観をもたず、地域ごとの環境などを考慮して最適の方法で治水計画を立てることが(私共の)基本的な考えです」という内容でした。

それに潮谷知事は毅然として反論しました。

「門松局長が『前回、定めていただいた』と発言された基本高水流量の7000トン、9900トンについては、私は理解しずらいものがある。私は納得していません。私自身が納得できていないのに、県民へ説明することは素人である私にはできません。国交省はこれらのことをきちんと分かりやすく説明する責任があります」ときっぱり。

委員会終了後の記者会見の場でも「基本高水流量が前回の委員会で委員長裁定で定まったという認識はしていますが、私がそれを納得しているわけではありません。」と知事。

「河川整備方針を立てるにあたって、(球磨川水系では)かなり時間をかけているが、治水は一刻も早く方針を立てることが求められている。時間がかかっていることについてのご意見は?」という記者さんの問いに対して、「これ(時間をかけてじっくり話し合うこと)が、基本ではありませんか?」とお返事をしていました。

門松局長のコメントに対する「私は納得していませんよ。了解していませんよ」という知事発言のあと、会場全体がどんよりと重たい雰囲気に一変しました。知事を納得させるための「包囲網」が、全く効果がないことに改めて愕然とされたような感じでした。

これは、傍聴に参加された皆様も感じられたのではないでしょうか?

さて、委員会全体の報告です。

国交省の河道流量や治水対策の考えなどの本日の資料、それは住民討論集会の時の資料、観点と殆ど同じものでした。

●人吉の河道流量について、河床掘削による流量増大については「砂礫で構成される瀬・淵が喪失し、軟岩層が露出し、生物の生息・生育状況に大きな影響を与える。

●船下りの航路、河川景観の魅力を低下させ、地域の観光産業に大きな影響を与える恐れ。

●引提による流量の増大の可能性については、人吉の主な旅館や公共施設などを網羅した航空図を資料に添付。これらの建築物が移転しなければならないと主張。

●堤防嵩上げによる流量の増大の可能性については、市内にかかる橋や道路の嵩上げも必要となり、人吉市街地の殆どの区間で堤防の嵩上げが必要となり、氾濫した場合に危険となる地域が市街地全体に拡大するので、ありえない。

等など・・・引き提のこと、河床掘削のこと、嵩上げのことなど、住民討論集会の記憶が蘇る本日の国交省の説明でした。

更に、中流域での家屋の嵩上げでは、既に完了した嵩上げ地域も、(反対派の主張する数字を満足させるためには、)再度の嵩上げが必要であるなど。八代の深掘れ対策工事では、全体の施工量約38万トンに対し、これまで5.5万トン実施。アユなどに配慮した年間施工可能期間は11.12.1.2月だけ。というような説明が延々続きました。

■破壊された環境は元に戻せない発言

委員さんの発言については、「河床掘削などで軟岩が出たら自然環境を破壊する。、一度破壊された環境は元には戻せない。良好な河床形態がのこるような整備方針を」(中川委員)。をはじめ、多くの委員さんが「環境に与える影響を考えると・・・」という内容で、河床掘削については消極的な発言を続けられたと感じました。

一度破壊された環境は元には戻せない、という発言を聞いて、思わずのけぞりそうになりました。

ダムが環境に与える影響についてはいかがなものか、森林荒廃は? 森林の保水力は? 地球温暖化については? どうなんでしょうね。かなり腹立たしい思いでしたよ。改めて感じたのですが、一つ一つの発言が、とても恣意的な印象を受けています。

それと、国交省の説明ですが、河床掘削なら河床掘削のみ。堤防の嵩上げなら、嵩上げのみ。引き提なら引き提のみ。

そういう一つの方法に限定して「治水対策」を行おうと机上で計画して、これは不可能だ、これも不可能だという。誰も「一つの方法に限定して治水をやれ」なんて、言っていない。

いろんな方法を複合的に積み重ねて、環境に負荷を与えない方法を見つけていこうということを住民側はかねてより主張してきました。それをわかろうともしない、あの頭の固さ!

住民討論集会の「追体験」を、今しています。

ではでは、取り急ぎ。

==以上、須藤さんのレポートでした!

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2006年10月18日 (水)

事前協議が生まれた背景

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須藤久仁恵★特派員の川辺川レポート!

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

①はじめに <事前協議が生まれた背景>

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《第一回目を送って》まさのさんの「ダム日記2」のスペースをお借りして、熊本県の川辺川ダム問題、それも利水事業に的を絞ってレポートを書いてみるとお約束したものの、第一回目にUPされた文章を読見返して、ホトホト嫌気がさしている。

 なぜならば・・・刻々と動く状況を、的確な文章でお伝えすることが求められているのに、私の原稿ときたら、小学生の夏休みの絵日記状態ではないか。

 「私は朝6時半に目が覚めました。それから歯を磨いて、顔を洗って、お母さんが作ってくれた朝ごはんを食べて、美味しかったです。その後・・・・」。求められているのは、その日の一番思い出に残った出来事なのに。

 え~~い。いつになったら今日の出来事が出てくるのサ! と癇癪起こされても、決して読者の責任ではない。おまけに、「ダム日記2」にしては、量が多すぎ(読者が、インターネットで読もうと思う文章量には、一定の制限がある)。

 あれこれ思い悩んでいるものの、悩めば問題は解決するかと言えば、ドツボに嵌るだけ。

 というわけで結論。利水事業のことを、事前協議の歴史を主に書きながらも、緊急にお知らせしたい現地の様子を挟み込むという「無秩序」状態になるやもしれないレポートになりそうです(ハイ、これを“ある種の開き直り”と世間では言います)。

 それでも皆様。どうか、よろしくお付き合いくださいまし。

 これより、前回の続き

(2)事前協議――3年間の直接討議をへて

①はじめに <事前協議が生まれた背景>

 川辺川利水事業が原告農家の勝訴判決によって白紙に戻ったとはいえ、水を必要としている農家にどう応えるのか。国と熊本県に投げかけられた課題は大きかった。一日も早く農家に水を届けるために新たな利水計画を策定する。国と熊本県双方によって、このことが確認された。

潮谷熊本県知事は、58日の定例記者会見の席で「ダムの水によらない利水を検討する」と言明、同月30日には農水省の上告断念の説明を聞き、「農家の意思を把握することが大事という意思確認を行った」ことを明らかにしている。一方、亀井善之助(当時)農林水産大臣は、519日、最高裁への上告を断念する旨の公式談話を発表した。談話は、「今後、本地域の農業用水の確保については、関係農家の意向を確認して、必要な整備を進めることが適切であると判断した」と続けている。これは、「ダムの水による利水」と限定しない利水計画を立てるということを意味した。

しかし、新たな利水計画を策定するにあたって、従来のように行政がイニシアチブをとって強引に計画策定を行うことは、福岡高裁判決からしてもできない。行政にとって判決は重たいものだった。原告865人を含め補助参加人など、合わせると約2,200名を擁する利水訴訟原告団と弁護団を抜きにして計画の立案はできない。利水計画策定のためには、利水弁護団と原告団が、行政と同じテーブルにつき協議を重ねることが必要だった。

「利水裁判の二の舞はしない。主人公である農家が納得できる方法で、一日も早く水を届ける」。新利水計画を策定するために、地元市町村とダム利水賛成派と利水訴訟原告団・弁護団が一同に会して討議する『新利水計画策定のための事前協議』という新たな枠組みが生まれた背景は、まさにこの言葉に言い尽くされる。水源をダムの水に限定せず、農家の意向を踏まえた計画立案のための新たな模索が始まったのである。

農水省九州農政局(以下、農政局)、熊本県農政部、関係6市町村(人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・相良村・山江村)、関係6市町村で構成される川辺川総合土地改良事業組合(以下、事業組合)、ダム利水事業推進の立場である川辺川地区開発青年同志会(以下、青年同志会)、川辺川利水訴訟弁護団(以下、弁護団)、川辺川利水訴訟原告団(以下、原告団)が関係団体、熊本県が総合調整役(鎌倉孝幸熊本県地域振興部長《2006年3月末日退職》他四名)となり、新利水計画は「事前協議」という枠組みで策定することが決まり、2003年6月16日協議がスタートした。それから三年余り、計78回にわたって事前協議は続けられるのである。

「農家が主人公」を合言葉に、原告団・弁護団は「ダムありきの計画でなく、早く、安く水を農家に届けるための計画立案を」と粘り強く言い続けた。これに対し、相良村を除く地元市町や事業組合、青年同志会はダム利水計画に固執し続けた(後に、相良村は国営事業からの離脱を表明)。

「7月14日の協議で、新利水計画は農水新案で絞込みとしたい。そして事前協議の解散を提案したい」と調整役である熊本県は、2006年7月12日の事前協議の場で表明していた。14日の協議は予想通り紛糾した。休憩を挟んで続く協議の席。まさに日付が変わろうとした夜半、福永浩介人吉市長はこう発言した。「(新利水計画策定は)最初にわしとMさんとMさん(二人とも利水原告団)の三人で焼酎を酌み交わしとれば決まった話だ」と。

地元市町村に大きな影響力を持ち、川辺川ダム建設促進協議会の会長を長年務めている福永市長である。ダム推進の旗頭である彼は、事前協議を「焼酎を酌み交わせば、収まる話を長々と続けただけだった」と総括した。だが、本当にそうなのか? 3年間の事前協議が積み上げてきた歴史はそういうものだったのだろうか。3年間を振り返りながら検証していきたい。

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2006年10月12日 (木)

JanJan大賞

あらスゴイ!須藤★特派員が、「JanJan大賞」受賞

ぜひ、合わせてお読みください↓

「川辺川ダムに翻弄された上流と下流の40年」

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2006年9月28日 (木)

須藤★特派員の川辺川レポート!

 熊本はあまりにも遠い!川辺川問題は全国ニュースに流れにくい!動きが早い!私はノロマで追いつかない!というわけで、熊本在住の須藤久仁恵さんを特派員(別に派遣したわけじゃなくご在住なんですが^^;)にスカウトしました。本日から須藤さんの気の向くまま、書きたいときに書きたいだけ書いてくれ!ということにしました。皆様どうか須藤さんをよろしく!カテゴリーで「須藤★特派員の川辺川レポート」を選んでもらえれば続きで読めるようにしました。

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須藤★特派員の川辺川レポート!

(1)川辺川ダム問題‐利水事業とは何か

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 川辺川ダムは特定多目的ダム法に基づく多目的ダムである。その目的は①治水、②利水、③発電、④流量調節の四つであり、1966(昭和41)年に計画が公表された。流域の住民はダム計画に翻弄され続けてきた長い歴史を持つ。ダムで水没する五木村だけでなく、流域の人々が否応なく巻き込まれてきたダム問題。治水問題にしろ、利水問題にしろ、行政と流域住民のダムへの思いには大きな隔たりがある。

国営川辺川総合土地改良事業(以下、利水事業という)は、川辺川ダムから農地に水を引き、地元農業の振興をはかろうとする目的で始められたものである。粘り強く事業に反対し続けた地元農家の闘いや、裁判や事前協議の場で行政と真正面から対峙してきた弁護団の闘いの結果、「利水事業」は川辺川ダム問題の状況を大きく切り開いてきた。「利水」には、大きな節目がいくつかある。福岡高裁判決、事前協議、事前協議の解体、相良村の事業からの離脱と現在。激動の節目を辿りながら、この国営事業の意味と農民の闘いが勝ち取ってきたものを考えていきたい。

1、福岡高裁判決まで(利水事業の概要と歴史)

国営川辺川総合土地改良事業、いわゆる利水事業の事業組合は人吉市、及び球磨郡内の相良村、錦町、山江村、あさぎり町、多良木町の6市町村から構成されている、一部事務組合(地方公共団体が事務の一部〔ここでは利水事業〕を共同で処理するために作った団体=地方自治法284条)である。現在は錦町の園田耕輔氏が事業組合長を兼任している。

土地改良事業は地元農家の要請を受けて進める「要請事業」である。土地改良法によれば、土地改良事業は私有財産権を「制限する(対象農地の土地利用に制限を加えることや、受益者の負担金を強制的に徴収する)ことができる」と定めている。そのため、計画の決定に際して高いハードルが設けられている。地元自治体との協議、意見聴取は勿論、事業対象農家(有資格者)の三分の二以上の同意取得が認可の条件となっている。

球磨川と川辺川の合流地点辺り、二つの川に挟まれた広い台地がある。高原(たかんばる)台地という。第二次世界大戦後、戦地から多くの引揚者がここに入植した。石ころだらけの火山灰台地を開墾し続けた入植者は、換金できる米つくりを熱望した。しかし、高原台地には米作りに必要な水がなかった。

農家が水を切望していた1963(昭和38)年から1965(昭和40)年、球磨川の氾濫が続き、人吉市をはじめとして大きな被害が発生した。それを受けて、建設省(当時)は1966(昭和41)年にダム計画を発表、最初は治水目的のダムであったが、1968(昭和43)年にダムから(主に高原台地に)水田用の農業用水を引く利水目的を加えて多目的ダムに建設計画を変更。1976(昭和51)年には熊本県議会の承認を受け、川辺川ダム基本計画は告示された。

1984(昭和59)年には、国営川辺川総合土地改良事業計画が告示された。これを「当初計画」という。この時点での受益面積は3590ヘクタールである。

当時の日本の農業の現実はというと、1970年ごろから始まった減反政策により、米の作付面積は次第に減って行った。水田に水を届けるという最初の目的が、1984年の「当初計画」策定の時点では「畑かんがい」を主目的とするものへと変わっていったことを覚えておいてほしい。

望んでいた水が来ない高原台地では、農業経営の形態が稲作から、大量の水を必要としないお茶の栽培や酪農経営へと移行していった。長い年月の苦労の末、お茶の品質も改良され、美味しい「相良茶」として全国的にも認知されてきた。現在、高原台地では、よく手入れた茶畑が一面に連なる景色をみることができる。

米の減反政策に象徴されるように、日本の農業は大きく変化してきた。食料自給率の低下、外国産の安価な輸入作物に押され競争力を失う農業、後継者不足に悩む農家など、農家を取り巻く状況は厳しさを増している。そういう苦悩する農家の姿は、ビデオ『ダムの水は要らん』でも見ることができる。

「後継者もいないのに、負担金を払ってまで水は要らない」という農家、「水代も分からないのに事業には参加できない」という農家が増えてきた。また、事業の最大の受益地である相良村には、『飛行場水路』という昭和15年に作られた用水路が今も十分生きており、相良村の水田農家にとって水は足りていた。

1994(平成6)年2月、「当初計画」の内容を変更する新たな利水事業計画が公示された。これを「変更計画」という。事業対象農地面積3010ヘクタール、対象農家約4000名という大規模な国営事業である。

「当初計画」の同意取得の時点で「計画実施の時点で対象から外すから(今回は同意をしてほしい)」という念書まで取っていた事業推進派。それゆえ、「変更計画」の同意取得は容易ではなかった。強引な署名捺印を迫られた事例もあったという。この同意取得の経過を取材し続けた貴重なフィルムが存在している。後に編集されて「ダムの水は要らん」という一本のビデオとなり、福岡高裁で農民側の証拠として採用された。

1994年11月、農水省は事業に必要な三分の二以上の同意が取れたとして「変更計画」を決定した。直ちに農民は変更計画の決定に異議申し立てを行ったが、農水大臣は却下した。その後、農民は利水事業における同意取得は違法であると裁判に訴えた。熊本地裁では農民が敗訴したが、2003(平成15)年に福岡高裁で利水事業「変更計画」の同意取得の違法性が認定され、農民の勝利が確定した。

高裁での大きな争点は「同意書が適法かどうか」であった。国は激しく拒否したが、裁判所の命令で同意書原本が農水省から証拠として提出された。一枚一枚確認していくと、既に死亡している人の名前、砂消しゴムで消したあとに書き加えられている名前など、工作された痕跡が多く見つかった。

5月16日福岡高裁は利水事業の対象農家の同意数は法に定められた三分の二以上に達していないと認定、農民は勝利した。高裁判決は事実認定であった為、国は最高裁への上告を断念せざるをえず、農民の勝利は確定した。この時点で、国営川辺川総合土地改良事業は白紙に戻ったのである。

(続く)

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