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2009年6月28日 (日)

5cmの水位低減のために秋田県雄物川の源流を沈める成瀬ダム

環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から転載です。

グローバルネット2009年5月(222号)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2009/200905.html
川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験
第29回/

5cmの水位低減のために秋田県雄物川の源流を沈める成瀬ダム
(ジャーナリスト まさの あつこ)

4月25日、東京の日本教育会館で、「ムダな公共事業の徹底見直しを実現する全国会議」が開催された。ダム、道路、大量生産・消費の末のごみ処理、干潟埋立など、自然破壊につながる大規模公共事業問題に取り組む約100の市民団体が集った。その会場の片隅で参加者の一人「成瀬(なるせ)ダムをストップさせる会」代表の奥州光吉さん(57歳)の話を聞いた。

農業と環境の世紀に
秋田県横手市で専業農家となった奥州さんは、20年前、人生の岐路に立った。企業人としての生き方にも、副委員長まで務めた労働組合運動にも展望が見いだせない。東京で務めていた職を辞すことを選択。「来るべき世紀は農業と環境だろう」と感じていた思いを実行に移し、家族を連れて故郷へ戻る。それから約10年、1991年に以前からあった県営ダム計画が、国直轄の多目的ダムとして具体化し始めた。成瀬ダムだ。

秋田県を南から北西へ縦断する雄物川の支流にはすでに大小30ものダムがある。成瀬ダムは奥羽山脈を源流に流れ出る支流・成瀬川の最奥地で、手つかずの渓谷や谷筋を新たに沈めることになる。灌漑が3分の1を占めるダムに、国は建設総額1530億円を費やす計画だ。時代は大きく一巡し、人口減少へと向かっているにも関わらず、完成予定は2017年だ。

秋田県によれば、秋田市の基準点での洪水軽減水位はたった5㎝。これに対し、秋田県負担は260億円。受益農家である奥州さんはこの問題に取り組んでいた人々に加わり、今年2月、1667筆の署名を持って、この負担分につき県に住民監査請求を行った。
「農家として『ウソだ』と思うのは費用対効果です。ダムができればこれだけ効果があるという机上の計算を、農家は誰も信用していない」という。減反はいまや水田面積の3分の1以上に及ぶ。それなのに計画では水需要が倍増することになっている。ダムの目的には農業用水の他、水道、治水、発電と、人口減少率日本一の秋田県の山奥とは思えないほどのありったけのダム建設理由が並ぶ。監査請求では治水については「雄物川水系の最奥地であり下流に対する治水効果は小さい」、水道については「人口減少、高齢化、水利用の効率化で需要予測は過大」、発電は「東北での需要は伸び悩んでいる」とし、緊急性、必要性を欠くことを示す10点の補完資料を添えて提出した。

ところが県会議員2名を含む監査委員4名はこれを「不受理」とした。「ダム建設が不当な事業であるとの主張は、ダム建設という行政施策に対する請求人の見解を述べているに過ぎず」という理由だ。行政の支出を監査する代わりに、住民活動を評論して終わった。

監査不能だった国直轄負担金
ところが、最近になり、こうしたいわゆる国直轄事業の負担金について、新たな面が明らかになっている。遠く離れた大阪で、昨年2月に就任した大阪府知事の「財政非常事態宣言」が発端だ。「収入の範囲内で」とケチケチ予算を組む中で府知事が行き着いたのが直轄事業負担金。府の単独事業は5年間で4割減少する中、国直轄事業負担は1.5倍増。しかし明細は明らかでない。「ぼったくりバーの請求書」というフレーズと共に全国に広まった。全国知事会が1964年から国に対しその軽減を謳っていた仕組みでもある。

今年2月、麻生渡全国知事会会長(福岡県知事)が国土交通大臣に呼びかけたのをきっかけに、農水大臣、総務大臣も出席して、4月8日、12人の知事が3大臣と「直轄事業に関する意見交換会」を行った。複数知事の口からは、「不明を恥じる」などの率直な言葉と共に、負担金には明細がなかったことに気づいてすらいなかったことが明らかにされた。

つまり、住民監査請求を受ける自治体の監査委員自身も、監査をするだけの十分な情報すら持っていなかったことが露呈したとも言える。国の直轄事業については住民にその支出の不当性を問われても、具体的な使い道についての情報を持っていなかったのだ。大阪府知事言うところの「地方は国の奴隷」。自治体は自治体で「おつき合い」で負担金を支払い続け、地方財政法4条でうたう「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最少の限度をこえて、これを支出してはならない」は空文化していたことになる。

秋田県の場合、水位低減の効果が5㎝で、受益農家が費用対効果を疑う事業に260億円がどう支出されているのかを監査できなかったはずの監査委員の責任も問いたくなる事態だ。

知事達と秋田県住民のシンクロニシティ
興味深いことに、こうした動きとほぼ同時並行で、「秋田県から国土交通省にどういうかたちで負担金が払われているのかを知るために情報公開やら直接担当課に問い合わせをしました」と言うのが奥州さんだ。「住民監査請求を準備する過程でいろいろ調べると、県もどのような精算なのか中身がわかっていない。『信頼関係の下に』言われたとおりの金額を払っている。いちいちどんなことに使ったかは国交省に聞いていないということでした」と言う。

奥州さんが開示させた国土交通大臣から秋田県知事への通知には、紙一枚に「今回負担すべき負担金は別紙のとおりであるから、下記により国庫に納付されたい」とある。金額と支払い期限が書かれ、まさに国からの県への「請求書」だ。その支払いのための県庁の決裁文書(写真)も見ての通り。平成20年2月29日の日付分では「9億5368万8千円」という総額があるだけでその中身は不透明そのものだ。

一方、成瀬ダムとセットで計画されている灌漑事業が絡むと、不透明さはさらに増す。
雄物川筋土地改良区の局長によれば、1万514haの受益面積に7862名の組合員が参加する「国営平鹿平野(ひらかへいや)かんがい排水事業」では、受益農家には受益面積の割合に応じて負担金が生じる。ところが、成瀬ダムの建設負担金については、多目的ダム法で、知事は農家に10分の1以内で、多目的ダムの建設に要する費用を「負担させることができる」となっているが、「秋田県の場合ですと農業が基盤産業ということもあり負担は求めていない」(秋田県河川砂防課ダム班)。合計約3億円弱にのぼるこの負担金は秋田県が支払うことになる。

これを奥州さんは「農家のダム負担がさらにあると言えば事業に賛成する人はいない。国のカネでやるんだったらという消極的賛成」を促すためではないかと述べる。

4月10日、「成瀬ダムをストップさせる会」の面々は、監査委員の不受理通知を受け、秋田地方裁判所に住民訴訟を提起した。被告は秋田県の寺田典城知事、県産業経済労働部長、そして同部公益企業課長。負担金等の支出の差し止めと、代表者たる知事に支払い済みの約4億円の損害賠償等を求めた。成瀬ダム住民訴訟原告344人の代表となった奥州さんの今世紀は紛れもなく「農業と環境の世紀」となった。同時代に行動する人々と呼応し合い、やがては県や国も動き出すだろうと思うのは楽観的過ぎるだろうか。

写真キャプション
奥州さんが県に開示させた国直轄事業負担金支払いのための決裁文書

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「ダム誘発地震」が疑われる中国の紫坪鋪ダム

環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から転載です。

グローバルネット2009年4月(221号)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2009/200904.html 
川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験
第28回/「ダム誘発地震」が疑われる中国の紫坪鋪ダム

(ジャーナリスト まさの あつこ)

昨年5月にチベット高原の東端で起きた四川大地震(マグニチュード7.9)。8万人とも言われる犠牲者を出したが、これが「紫坪鋪(しへいほ)ダム」に誘発されたのではないかとのニュースが今年1月、世界を駆けめぐった。

発端は昨年12月、米国内外130カ国、会員5万人の「アメリカ地球物理学連合(AGU)」のサンフランシスコでの会議で発表された研究だ。米国コロンビア大学の研究者クリスチャン・クローズ氏が「観測結果を総合すると、四川地震を誘発した根本原因は、地表における局所的かつ急激な質量変化が発端」と結論づけた。

それを権威ある米国学会誌『サイエンス』(1月16日号)がニュース記事で紹介。クローズ氏が、加水がいかに断層にかかる圧力を変化させたかを、ダムという言葉を使わずに論じたと伝えた。クローズ氏の計算によれば、その圧力は、自然の状態で地殻変動から1年間に受ける圧力の25倍。それが断層にかかる圧力を緩めると同時に、亀裂を生じさせる力を増加させたという。

さらに同記事は、地震直後から科学者の間ではダム誘発地震が疑われていたと明かした。四川地質鉱物局主任技師のファン・シャオ氏が、紫坪鋪ダムは震央から5.5kmで、2004年12月の貯水開始から2年間で120mも水位が上昇したこと、また地震1週間前にその水位が急激に下がったこと引用。

また、北京の中国地震局および日本の産業技術総合研究所の地球物理学者リー・シンリン氏も、中国の専門誌『地質と地震学』で昨年12月に、「最終的な結論はまだ早いが」と強調しつつ、「貯水湖の水が断層に浸透し、2007年12月から2008年5月までの間に水位が下がった」ことを地震発生の相関要因だと語ったことが引用されている。

「環境案件」だった円借款事業

実はこのダムは日本の外務省が2001年に策定した「対中国経済協力計画」の重点分野のうち「環境案件」として契約を結んだ円借款事業(約232億円)だった。当時、電源開発は「詳細設計、入札評価、施工監理等に関するアドバイザー業務」を受注したことを、中国の「西部大開発」における最初の大規模な円借款プロジェクトだと誇らしげに発表していた。

しかし、①チベットの小数民族4万人が強制移住を余儀なくされるにも関わらず、移住計画や環境影響評価が公開されていない、②9km下流にあるユネスコ世界遺産(2000年以上前に作られた灌漑施設「都江堰」)が影響を受ける――などの指摘を受けて世銀が撤退した経緯を持っていた。さらに「紫坪鋪ダムの建設予定地が活断層に極めて近いため、地震による影響が心配される」との内部告発がもたらされ、日本では国際環境NGO「FOEジャパン」がその指摘を行っていた。

はたして今、日本政府は中国内外の研究者がこの事業へ向ける主張をどのように受け止めているのか。外務省有償資金課は「調査はしていない」。円借款を進めたJIBCから引き継いだJICA広報部は、この事業は「中国政府が自己資金でやるといって、キャンセルになった。2001年3月31日に円借款契約をしたが、2004年11月に中国政府からの要請で解除した」と言う。3年間に融資した額は2億円で完済済み。発電機や灌漑施設が現在機能しているかどうかは「債務関係がなくなった今、情報をくださいとは言いにくい」と素っ気ない。また「9億円」でアドバイザー業務を受注した電源開発は、「2003年の8月に契約解除を受けた。あの場所を提案したのは中国で、われわれの業務は助言だけ。2年間強の業務分については支払いを受けたが、金額については私契約なので回答できない」と言う。円借款契約が途中で解除されていたことに、3者とも胸をなで下ろしている気配がある。

しかし、2001年着工、2006年完成事業に「3年間、関わっていた責任は大きいのではないか」とFOEジャパンの清水規子さんは言う。

世界の常識、日本の非常識

このような「ダム誘発地震」は諸外国の常識になっている。1963年に貯水開始後の地震で山が崩れ、溢れた水で2000人の被害者を出したイタリアのバイオントダム、アメリカのフーバー・ダム、インドのコイナ・ダムなど巨大ダムが建設されるようになって以降、ダム誘発地震の現象は科学的に証明済みだ。

日本でも一端は研究が始まっていた。1961年に完成した牧尾ダムが誘発したと言われる長野西部地震(マグニチュード6.8)はその一つだ。牧尾ダム周辺では、完成後の1976年に群発地震が観測され、1979年10月に有史以来、噴火記録がなかった御岳山が噴火。1984年に大地震が起きるという変化に見舞われた。月刊誌「世界」2008年12月号に筆者自身が書いた拙稿「ダムと地すべりに浪費される巨費」から関係箇所を引用させていただく。

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1974年に建設省建築研究所にいた大竹政和氏が、黒部ダムの1963年から68年までの水位変化と周辺の地震回数を調べ、水位上昇と地震活動の活発化が相関することを発見した。その後、国立防災科学技術センター地震活動研究室長の時代に、松代群発地震(長野県)の中心地に2500mの井戸を掘って2000tの水を注入し、水圧で地震が起きる実験結果を得た。また、1926年から83年の気象庁の観測地震データと、全国42ヶ所のダムを調査し、牧尾ダムを含む8カ所でダム貯水後に地震が増えるという検証結果を得た。

この研究を大竹氏が1984年10月の地震学会で発表し(略)、国会ではようやく1995年3月になって参議院環境特別委員会で取り上げられた。しかし、ダム誘発地震について「建設省の認識は」と尋ねられると、建設省は直ちに「ダムの貯水と地震の発生の因果関係が日本においては明確に確認されているものはまだ私どもとしてはない」と全否定。また、大竹氏の論文に関し、科学技術庁は「その論文以降特に継続した調査研究は実施しておりません」と逃げるだけだった。

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それ以来、ダム誘発地震はタブー視され、研究がしにくくなったと関係者は語る。しかし、2003年に試験湛水を始めた水資源機構の大滝ダム(奈良県)で起きた地すべりの原因は「貯水」であることは日本政府も認めた。ダム誘発の地殻変動の原理は、地震も地すべりも「浮力」と「水圧」の組み合わせにあるとされる。貯水で生じる浮力で浮き上がった断層に水圧で水が押し入れられるというメカニズムだ。

中国政府は紫坪鋪ダムについて、その検証に必要なデータを共有したがらないと冒頭の記事は伝える。日本は2000基以上のダムを有する地震多発国として、政府も研究者も、胸をなで下ろす前に、タブーを打ち破り、研究の必要性に目を向けるべきだ。

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2009年6月14日 (日)

脱ダムが再度必要な浅川の治水

環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から転載です。

グローバルネット2009年3月(220号)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2009/200903.html 
川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験
第27回/脱ダムが再度必要な浅川の治水
(ジャーナリスト まさの あつこ)

「脱ダム」という言葉が日本に生まれて8年になる。田中康夫・長野県知事(当時)が、大仏ダム中止の表明をしたのは就任半月後の2000年11月。その数日後に訪れた浅川ダム予定地で、住民対話集会後にこれまた中止を表明。翌年2月の「脱ダム」宣言と共に下諏訪ダム中止も表明した。その宣言は三つの考えに貫かれていた。

一つは環境負荷。「数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過し得ぬ負荷を地球環境へと与えてしまう。更には何れ(いずれ)造り替えねばならず、その間に夥(おびただ)しい分量の堆砂(たいさ)を、此又(これまた)数十億円を用いて処理する事態も生じる」

もう一つは財政負担。「多目的ダム建設事業は、その主体が地元自治体であろうとも、半額を国が負担する。残り50%は県費。95%に関しては起債即ち借金が認められ、その償還時にも交付税措置で66%は国が面倒を見てくれる。詰(つ)まり、ダム建設費用全体の約80%が国庫負担。然(さ)れど、国からの手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダム建設を選択すべきではない」

最後に、環境への負荷と県財政への負荷を比較し、「河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい。長期的な視点に立てば、日本の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する長野県に於いては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない」とした。

翌3月に「長野県治水・利水ダム等検討委員会条例」を成立させ、最終的に9基の県営ダム計画を中止、また同年、国直轄の戸草ダムの利水事業からの撤退も表明した。奇しくもそれから7年が経過した2008年6月、国交省中部地方整備局は、事実上の中止である「戸草ダムの建設見送り」を決定した。

穴あきダムとしての復活
しかし、2006年8月に就任した村井仁知事は県営浅川ダム計画を復活させた。浅川は長野市内を流れる千曲川の支流だ。千曲川が増水すると、合流地点で堤防が5メートル低い浅川に逆流して溢れる。そこで、合流地点に樋門が設置され、門を閉めて逆流を止めるようになっている。ところがそれでは浅川上流からの水が行き場を失って溢れる。そこで千曲川へポンプで排水するが、大きな洪水になると千曲川への流入を抑えるためにポンプを止めてしまうというややこしい治水策をとっている。

田中知事時代(2006年6月)には、次のような当たり前の説明が県議会で行われた。「浅川の水害には、上流域からの流量に起因する水害と、千曲川の流量に起因する下流域での水害の二つの要素が存在します」「浅川下流域の内水被害はダムを造っても防ぎ得ない」。

かつては堤防を本流と同じ高さに揃えることなどが検討されたこともある。しかし、農地がつぶれるなどの反対で浅川ダム計画が浮上した。ところが、ダム予定地から合流点までには7本の支流が流入し、治水の決定打にはなりえない。

それなのに何故か村井知事は2007年2月、「国土交通省関東地方整備局をはじめ、国土技術政策総合研究所、独立行政法人土木研究所等からのご助言をいただいた」として治水専用の「穴あきダム」として復活させた。同年5月に公聴会を開催したが、1人5分以内の制限付きで一方的に94名に意見を述べさせたのみ。県はこれに対する見解をホームページに掲示した。「多岐に渡る意見をまとめて回答した」(県河川課)というが、例えば、「100年に1回の災害を想定して多額の費用を投入すべきではない」という意見と「長年にわたり十分な議論が尽くされている」に、「ご意見としてお受けしました」と一括りに答えている。

25分の1模型実験
県は昨年7月、技術的になじみのない穴あきダムについて、実物の25分の1の模型による公開実験を(株)ニュージェックの水利模型実験場(京都)で行った。詳細設計に反映するとして実験の目的を次のように設定した。①常用洪水吐き(写真):ダムが計画通りの放流機能を持ち、流入土砂や流木が穴を塞がないか。②流木捕捉工(写真):流木を上流で捕捉できるか。③減勢工:放流水を下流河道に安全に流下させるために水の勢いを減らす工夫。④下流河道:計画の流量が安全に流下するか―――を確かめる。

上流側から100年に1度の洪水に匹敵する水を流し、ダムを満水にし、それが空になるまでの約3時間半(実際の5分の1)の経過を見る実験だ。その間、土砂や流木に見立てて、上流側からバケツで土砂や根も葉もない棒を流す。実験結果はほぼ計画通り、土砂や棒が穴に詰まることなく水が穴から自然流下したということになるのだが、治水効果は言うまでもなく、首を傾げる点は多々ある。

一つは流木捕捉工について。筆者が見ている目の前で、流木捕捉工に見立てたプラスチック棒が、流木に見立てた棒の重みに耐えかねて、「ポーン」と外れて飛んでいった。大量の流木(+流水)の圧力に耐えられる流木捕捉工なるものができるのか。またこの流木捕捉工の下からダム湖に流れ込む流木はどうなるのか。さらに、写真で分かるように流木に見立てているのは、あたかもウソの形容詞のような「根も葉もない」棒である。参加者から漏れた「根も葉もあったらどうなのか」という点はこの実験では皆目わからない。また、ダム湖周辺は地すべり地帯であり、こうした流木の重みが地面に加わるとどうなるのかもモルタルで頑丈にカバーされた実験施設ではわからない。

二つ目は堆砂について。通常は水循環を妨げないので土砂が溜まらないことが穴あきダムの一つの売りだったが、水が貯まって穴から出ていくまでには流速が落ちるので、水が引いた後には堆積土砂が残されていた。流水と共に下流へきれいに押し流されるわけではないようだ。

三つ目はこの実験では問題にされなかった魚道について。穴あきダムの売りの一つは魚の移動も妨げない、だった。ところが、実際にはダム堤体の底の穴の前に流木や土砂よけのスクリーンが、さらにその前にスリット状の「副ダム」が設置される(写真)。下流側には魚道が設置されている。今回の実験では魚類の降下や遡上効果は検証の対象になっておらず、「今後も実験の予定はない」「これまでに多自然型川作りをやってきている」(県浅川改良事務所)という。

長野県は2009年度予算に17億円をつけ、村井知事は2月県議会で「浅川の治水ダムの本体工事に着手」の説明を行った。しかし、治水効果が限定的と分かっている場所に、長期的な環境負荷を残すダム建設に税金を投じる価値がるのか、もう一度、再考すべきではないか。

(浅川ダム水利模型実験画像は3月31日まで長野県HPで見ることができる。
http://www.pref.nagano.jp/xdoboku/asakawa/mokei/douga1.html

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不特定容量とはずれる需要想定に基づく設楽ダム計画

環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から転載です。

グローバルネット2009年1月(218号)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2009/200901.html

川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験/第25回
不特定容量とはずれる需要想定に基づく設楽ダム計画
(ジャーナリスト まさの あつこ)

愛知県設楽(したら)町は、三河湾に注ぐ豊川の最上流に位置し、世帯数2437戸弱。1962年に電源開発株式会社が発電ダムとして予備調査を開始して頓挫。2004年に国交省が多目的ダムとして環境影響評価法を適用した設楽ダム建設(2070億円)の計画地である。このダムの基本計画ができたのは2008年10月。貯留容量のうち7割が「不特定容量」で、「流水の正常な機能の維持」と「堆砂容量」が占め、「無目的ダム」と揶揄されても仕方がない。

設楽町は事業に正式に同意をしたわけではないが、2008年1月に「設楽ダム建設同意の判断材料とする」と県国に課題を示し、事実上の条件闘争中だ。水源地域振興などの名目で行う計113億円のハコモノ事業費に対し、県と下流市町から8割の補助を引き出す確約を取り付けた。その他の事業が加わり30億円強が町の負担になる。

これに対し「一世帯あたり100万円以上。ダムはできて欲しくありません」と語るのは一住民の伊奈紘さんだ。「設楽ダム建設の是非を問う住民投票を求める会」(代表伊藤幸義さん)が設立され、8月に住民投票条例の直接請求運動が起きた。

あっぱれな農水省批判?
事業の是非は、すでに2007年4月に始まった愛知県などを相手取った公金差し止めの住民訴訟でも問われている。ダム建設目的の3割に過ぎない治水、利水の不要性を訴えている。豊川では01年度に完成した農水省の豊川総合用水事業ですでに従来の5割増しの3億8,000万m3が供給可能となった。しかし、毎年の使用実績は2億7,000万m3。余力が1億m3もあり、新たな施設は必要がないというのが原告の主張の一つだ。

ところが国交省中部地方整備局の設楽ダム工事事務所の河野龍男副所長は「1億m3の意味を『余力』と勘違いしている。事業計画による開発容量で実際には少雨化などにより取りたくても2億7,000万m3しか取れなかったということだ」と反論。これが本当なら、豊川総合用水事業が計画倒れだったことを主張するあっぱれな告発だが、残念ながら自省の新規事業を正当化するためのお粗末なウソであることは明らかだ。

観測史上雨量が最少だった2005年の被害を問えば、「水道を72日取水制限した」と河野副所長はいうが、その中身は「最大30%の給水圧の調節のみ。ダムも空にならず、この年が観測史上最少雨量であったことも知らない人がほとんどです」と言うのは訴訟の中心部隊である「設楽ダムの建設中止を求める会」の市野和夫代表だ。

「しかも少雨化傾向はまったく見られません」と、市野氏は気象庁データを示す(図)。国と同様に少雨化を主張する愛知県に根拠を問えば、「国交省が国土審議会で豊川水系の観測地点で降雨を分析した資料」だと言う。関心を寄せる納税者でさえ第三者データによる検証を行ったのに対し、財政を預かる県では事業者データを鵜呑みにしただけだったのだ。

図と表はこちら「shitarafig.doc」をダウンロード

需要想定がはずれる「実績」
県は「国の計画に基づいて東三河の市町村の水道事業者が買う」ことが前提だというが、県が持つ水(①)は2015年の水需要想定(②)を上回る(表)。ところが「少雨化の傾向があるために国の計算で62%しか取れない」ため(③)、設楽ダムから水を流して安定させ(⑤)、最終的に足りない水量(⑥)をカバーするための設楽ダムだと、5段階の仮定を重ねて必要性を捻り出している。

しかし県には需要想定がはずれる「実績」がある。長良川河口堰だ。工業用水として確保した2.93m3は未だに一滴も使い道がない。県企業庁が企業から徴収するはずだった受益者負担は、現在、納税者が収めた税収で負担している。今度の「少雨化」も早くも論破されながら、馬耳東風の様相だ。

一方、治水のための容量はダムの2割。集水域も豊川の11%に過ぎない。それ以外の9割の地域で雨が降ったときには用をなさないため、流域全体で堤防強化や低地の開発規制など総合的な対策が先決ではないかと原告団は考えているが、これにも河野副所長は「ダムも堤防も両方で対策する。戦後最大の洪水に対応すべく整備計画を立てた。基準地点「石田」で水位が60センチ下がる」と主張。しかし、治水基準である「計画高水」に照らして「何センチ以下か」と聞いてもその数値は「手元にない」と言う。単純な確認取材に対し、その場しのぎの回答を24時間待ちで返して来るが、その先を質問すると途端に回答が滞る。

閉鎖性海域への影響を考慮しないアセス
市野氏は、「僕たちの世代は、高度成長期以前の豊かな川の記憶を持っている。春4月頃はウナギの稚魚の群が浅瀬の石ころの間を真っ黒に遡上するのを見た。農薬が使われるようになり、それがプカプカ浮いてくるのも見てきた。人間のやることがどんなにお粗末かを見てきた」のが会の活動の原動力だと明かす。愛知大学教授時代は地域環境論が専門だった同氏は、「三河湾はこれまでの開発で汚濁が進んだ代表的な閉鎖性海域です。その閉鎖性内湾に流入する河川の影響は非常に大きい。さらなる河川開発を行うとどうなるかという典型例となるはず。累積的な影響を踏まえた先進的なアセスをやらなければならなかったのに考慮されなかった」と環境影響評価法の問題も指摘する。

住民投票妨害
住民投票はどうなったか。小中学で長年教師を務めた伊奈氏は「住民投票の前に町内16箇所でダム学習会を企画しました。地域の代表者のところへ回覧板を回して欲しいと頼みに行きましたが、その後、国と県職員が各代表者のところに『行けば反対だと思われるぞ』、『(私たちの情報を)鵜呑みにしないように』と言って帰った。なぜ妨害をするのかダム工事事務所に文句を言いに行くと『地元の有力者から』頼まれたと言うのです。誰かと聞けば『守秘義務があるから言えない』と。水没地住民には県職員が『署名をすると補償交渉が遅れるぞ、まさか署名しないだろうね』と言ったために、一度は署名した人が申し訳ないが消してくれと言って来たこともありました」と数々の妨害を明かす。

果ては住民投票の署名集めのさなかに、推進派が「住民投票によらない設楽ダム問題の早期解決を求める請願」を提出。議会はそれを署名提出日前に採択。住民投票条例案は11月10日に否決された。「ダムはできる前から地域を破壊する」と各地で言われてきたが、それが設楽町でも起きている。伊奈氏は「水没にともなう人口減少も心配。水没予定120戸が町外移転すれば、地域経済や小中学にも大きな打撃です」と懸念する。

無目的な貯水、仮定の水需要、限界ある治水策に対し、失われるものが余りにも多すぎるという住民の声が、何故かき消されるのか。まったく不可思議な事業である。

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海を豊かにする「荒瀬ダム撤去」が川を豊かにする

長い間、転載をサボっていましたが、環境情報専門誌「グローバルネット」での
連載から転載させていただきます。

グローバルネット2008年11月(216号)
http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2008/200811.html 

川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験/ 第24回
海を豊かにする「荒瀬ダム撤去」が川を豊かにする
(ジャーナリスト まさの あつこ)

「小学校のときには4km沖まで潮干狩りに行った。魚が澪筋にぴゅーっと泳いだりしていた。なんでも採れた。ハマグリ、マテガイ、ウノカイ、アサリ・・・今?採るものがない」と熊本県八代市在住の鮎釣り名人の塚本昭司さんは言う。

「『荒瀬ダム撤去』って聞いたときは嬉しかったですよ、俺の年と変わらんですよ。荒瀬ダムは。俺たちのときが一番変わった。まずアマモが消えて、砂がなくなって。(昔は)潮が引くとアマモが頭を出して沖に白い波頭が立つんです。風が吹いてもアマモがあるところはベタ凪ぎで、沖から泳いで入ってくるとほっとした」と語るのは同市の漁師、古川耕治さんだ。

球磨川の話を八代で聞けば、人々の口からは豊かだった海がさまざまに語られる。海の汚染源がたくさんあることはわかっている。しかし、荒瀬ダムを撤去すれば、一歩でも昔の姿に戻ることができる。そう期待に胸を膨らませている人びとは少なくない。天草諸島に囲まれた不知火(しらぬい)海の豊かさは、そこに流れ込む球磨川に左右されてきたことを、その変化から見てきたのだろう。

ダム撤去の背景
荒瀬ダム(八代市坂本町/元坂本村)は、1954年、球磨川総合開発計画に基づいて県が作った発電専用ダムだ(写真)。かつて県内需要の約16%を賄ったものが現在は1%弱。

発電の代償は地元住民には深刻だった。ダム放水による振動、貯留による悪臭。堆砂による河床の上昇で、数km上流の瀬戸石ダムとの間に挟まれた地域では洪水時の浸水もある。瀬戸石ダムのはるか上流には市房ダムがあり、中流域はさながら三段重ねのサンドイッチ状態で、具にあたる地域は、上からの放水と下からの水位上昇でダム洪水に泣かされてきた。

それでも、川沿いの狭い地域社会では、「土建業の下請けのまたその下請けや役所勤めの家族や親戚がいる中で、ダムは嫌だと声をあげるのは難しい」時代が長かったと、中流域の芦北町で生まれ育った緒方雅子さんは言う。「都会から声があがって、声をあげやすくなり」一つの形になったのが旧・坂本村議会が出した2002年のダム撤去決議だった。自民党県議団の提言や県議会の決議を経て、同年12月、2010年度末の水利権の終了以降に荒瀬ダムを撤去することになった。

WDC報告に反する要望書
この方針が変わったのは4月16日の蒲島郁夫知事の就任後だ。6月4日の定例記者会見で突如、「撤去の方針を凍結し、事業継続の方向で再検討」と発表。理由は財政再建、地球温暖化対策、「稼げる県」をマニフェストに掲げたこと、そしてダム撤去費用が当初予想を大きく上回ることになったことだという。電気事業者たる「県企業局」の説明で、当初60億円だった撤去費用が計72億円に増加。その上、橋(現在はダムと一帯なので代替)が20億円、他8億円で総計100億円となりダム維持の方が安い計算になったという。その後、県の支出額から言うと維持なら9億円、撤去なら49億円と算出された。

この転換について、企業局荒瀬ダム対策室の主幹・今村智氏は、最初は「知事は『日本大ダム会議』の方が作った『未来エネルギー研究会』のホームページに書かれていた国府高校の学生の議論を読んで、考え方のフレームワークが変わったようです」と述べた。

日本大ダム会議は、大規模ダムの成果の普及などを旨とした社団法人だ。役員は官僚OBと電力業界役員。4月15日には未来エネルギー研究会が「荒瀬ダム撤去・藤本発電所の廃止の再検討に関する要望書」を知事宛に提出している。同会の幹事で元通産省の佐山實氏に取材を試みると、日本大ダム会議のメンバーであったことは認めるが、同会議は「研究会とは関係がない」と言う。研究会は数人で1月に設立。要望書は知事の他、経済産業省、国土交通省も送ったという。「熊本県民は何を考えているんですか、世界の様子をみてください。水力発電は価値があるんです。貴重なものですよと言いたかったんです」という。活動の「当面のターゲット」は荒瀬ダムだと言う。

しかし、大型ダムは水力発電で得られるメリット以上の環境影響をもたらすと世界的に認識させたのは、「世界ダム委員会(WDC)」の報告書だ。2000年、WDC報告書は「既得権益が影響力を行使して」「客観的な評価が行われなかった結果」、ダム建設が進められてきたとの一説も含んでいる。WDCには日本大ダム会議の本家「国際大ダム会議」元議長も委員として参加している。通産官僚OBによるこの要望書こそが、時計を逆回しにした行為に思える。

県企業局という独立採算組織の思惑
一方、2003年7月に設置されダム撤去計画を検討する「荒瀬ダム対策検討委員会」(企業局が事務局)は今年3月に発表するはずだった結論を保留にしたまま休止中だ。八代市長から橋などの地元要望を置いたまま結論を出さないで欲しいと言われたのが理由だと言う。先述の今村主査は、「ダム撤去の方針は今考えれば、ムードと勢いで決まった」と個人的見解として述べ、「橋がなくなり地域が分断され、お年寄りが歩いて向こう岸に渡れないなどについて議論が足りなかった」と言う。

しかし、地方交付税などのメリットを差し置いてでも「ダム撤去」を決議したのは坂本議会だ。地域が分断と言っても、現場へ行くと橋を渡ると言ってもお年寄りには遠い距離だ。周辺3集落はのうち2つは限界集落で一つは准限界集落だ。「橋は坂本村が合併後に八代市長が言い出したと聞いた」と尋ねれば、今村主査は「八代市長は地域審議会の委員に突き上げられている」と一委員の名前を漏らす。他に何人が橋を欲しがっているのかと聞けば、人数は分からないという。

企業局に、知事の方針転換は、未来エネルギー研究会のホームページがきっかけかと確認をすると、「きっかけは私たちの報告だったと思います」と言い直した。3月に保留、4月に要望書、知事就任、5月に企業局説明、6月に方針転換の流れである。

企業庁は財政赤字に苦しむ県庁本体とは別に、黒字経営を独立採算で行っている。実際、ダム維持のためには30億円の内部留保金があると説明。県負担は9億円で済むという計算だ。しかし、なぜか撤去費には30億円の留保金は算入されず、県拠出金として49億円とはじかれる。黒字は発電収入が寄与しており、独立採算なら撤去費も企業局が出してもいいようなものだ。また「コンペで競わせればもっと安くなる」との声にも「前例がない」で考慮すらしない。また、ゲートのコンクリートだけ撤去して橋を残すなど安くできるアイデアはすべてはねつける。

「荒瀬ダム対策検討委員」の地元代表の一人で、喫茶店経営者の出水晃さんは、「金がないなら、撤去しなくてもゲートを2~3年開けて調査すればいい」と言う。出水さんは、1966年、京都の大学にいたときに川辺川ダム計画の発表を聞いて、翌年春の卒業と同時に飛んで帰ってきた。川で遊んだ日々を思い、川を守りたい思いで40年を過ごした。県民の代弁者として、こうした人々の思いをどう受け止めるか。川辺川ダム白紙撤回に続き、蒲島知事の決断が注目されるのは12月議会となりそうだ。

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この記事が出たのは昨年11月15日頃だったが、その直後、蒲島知事は、球磨川は熊本の宝という認識で川辺川ダム計画中止を決断したのとはまったく整合性のとれない結論を出した。撤去しないという。財政が大きな理由の一つだったにもかかわらず、現在、推進する合理的な理由がまったくない県営の路木(ろぎ)ダム計画を進めている。

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2008年11月 1日 (土)

博士論文が八ツ場ダム住民訴訟で物語った真実

毎度ですが、環境情報専門誌「グローバルネット」での連載から、編集部の了解を得て転載させていただきます。

グローバルネット20089月(214号)

川、開発、ひと~日本の経験、アジアの経験 23回/

 

博士論文が八ツ場ダム住民訴訟で物語った真実 
(まさの あつこ/ジャーナリスト)

http://www.gef.or.jp/activity/publication/globalnet/2008/200809.html

「ダムというのは、川を遮断してしまいますから、川の生態系に大きな影響を与えます。(略)100年後か200年後か、あるいは300年後か分かりませんけれども、ダムが土砂で満杯になってしまえば、治水効果はゼロになります。我々の子孫に対して、そういう治水方法を残していくのは問題があると考えておりまして、私はできるだけ、ダムに頼らない治水をやるべきだと主張しております」

 7月29日、水戸地方裁判所の302号法廷に河川工学者の声が静かに響いた。1974年に「利根川における治水の変遷と水害に関する実証的調査研究」と題する博士論文を東京大学大学院で発表した大熊孝・新潟大学名誉教授だ。34年前はまさか八ツ場ダムへの支出を差し止める住民訴訟で、原告側の「証拠」としてその論文が裁判所に提出されることになるとは思ってもみなかっただろう。それを元に意見書を提出し、原告側証人として国の治水計画のおかしさを立証することになるとも想像していなかったに違いない。

 80分に渡るその証言を一言で要約すれば、大熊名誉教授は、八ツ場ダムを必要とする根拠となった洪水の推定値が過大であると論証したことになる。

推定された復元流量の誤り

 大熊氏の調査手法は徹底した現地調査によるものだった。

 当時、5年間で合計約200日、毎週土日に利根川沿岸を尋ね歩き、1947年(昭和22年)9月のカスリーン台風当時の状況を現地の住民から聞きとった。約3ヶ月は利根川上流ダム統合管理事務所のもとで実習し、そのほとんどが利根川の調査についやされた。

 この調査結果は、結果的に複数の行政文書を否定することになった。一つは19693月に建設省関東地方整備局の「利根川上流域洪水調節計画に関する検討」。一つは1970年に利根川ダム総合管理事務所が出した行政文書「利根川上流域における昭和229月洪水(カスリーン台風)の実態と解析」だ。

 現在の利根川の治水計画は、カスリーン台風被害を契機にできたと言っても過言ではない。当時川を流れた水量を元に基本高水(洪水の想定量)がはじき出され、2年後の1949年に作られた利根川根川改修改定計画の一環として調査が始まったのが八ツ場ダムだ。

 現在の国交省の説明は、計算をもとにはじいた毎秒2万2千トンの基本高水(基準点は八斗島)のうち毎秒5500トン分をカットする上流ダム群が必要で、そのうち約毎秒1600トン分が既設6ダムと八ツ場ダムによるカット分だというものだ(残りの毎秒3900トン分のカットにはもっとたくさんのダムを造らねばならないことになる)。最初の数値が間違っていれば、この治水計画全体が誤りとなる。

 ところが、先述した二つの行政文書には弱点があった。

 カスリーン台風当時、基準点の上流で川が溢れたために、その溢れた流量については「推定」をしたに過ぎない。つまり治水計画のもとである最初の数値が「実測値」ではなく溢れた水量を推定して合成・復元した「推定値」であることが弱点なのだ。

 証言で大熊氏は、その推定値が正確ではありえないことを現地踏査に基づく経験から淡々と主張した。その行政文書が推定する復元流量(当時は毎秒26900トン)が実績流量の毎秒17000トン〈これも実測流量がなく推定値である〉になるには、約2億トンの水量が八斗島上流で氾濫する必要があり、そのためには「約2メートルの浸水があったとすると1万ヘクタール、1メートルくらいの浸水だとすると2万ヘクタールの氾濫面積が必要」(大熊氏証言)となる。

 ところが、聴き取り調査で歩いた結果、それだけの面積に氾濫していないし、氾濫できるだけの場所がないことが明らかだった。

 これは当時の建設省にとっては失態だ。このことを明らかにしてしまった大熊氏の論文は倉庫で「極秘」と判が押され封印されていたことがそれを物語る。また今となっては、毎秒26900トンが流れたと推計をして大熊氏に論駁された行政文書の存在までが、省内で消されていたことも裁判で明らかになった。敵性証人(原告側が呼び出す被告側の立場の証人)として出廷した国土交通省関東地方整備局の河﨑和明・元河川部長は、この文書の存在も、毎秒26900トンのという推定値がかつてあったことも「知らない」と述べたのだ。

追いやられる行政文書

 

 さらには、同じ推計でも、より小さな推定値(つまり八ツ場ダムが不要となりかねない数値)を出した政府関係者による文書が存在し、それらも同様に影に追いやられていたことが原告と被告による証言で浮かび上がった。1)末松栄・元関東地方建設局長が九州大学で博士論文として発表した「利根川の解析」、2)群馬県作成の「カスリーン台風の研究」、3)利根川増補計画の立案の中心人物だった富永正義・内務省技官が「河川」という雑誌で発表してきた「利根川に於ける重要課題(上)、(中)、(下)」(昭和414,6,7月号)などである。

 大熊氏の証言に対する被告からの反対尋問は一切なかった。

 

 そして、この証言が被告に与えた打撃の強さは、思わぬ形で判明する。水戸地裁で行われたこの証人尋問後、826日に千葉地裁で行われた治水に関する証人尋問で、被告側が「八ツ場ダムにカスリーン台風は関係ない」と言い出したのだ。「よくそんな嘘が言えるなと、びっくりしましたよ」と感想を述べたのは、原告側証人として証言した大野博美千葉県議だ。カスリーン台風被害を錦の御旗に進めてきたにもかかわらず、火の粉を払うように「カスリーン台風は関係ない」と言わざるをえなくなった威力が、「極秘」とされた大熊氏の博士論文にあったとしか思えない。

水需要の過大予測/保有水源の過小評価

 専門家としての誇りを証言台で遺憾なく発揮したのは大熊名誉教授だけではない。東京地裁では、都が主張する利水を不要であるとの立場で二人が原告側証人となった。

 620日、東京地裁の証言台に立った元東京都職員の嶋津暉之氏は、訥々と利水の観点から八ツ場ダムの不要性を訴えた。水余りが明らかなのにもかかわらず、いまだに都が八ツ場ダムを必要だと主張できるカラクリを明らかにしたのだ。1)節水意識や節水機器が普及したにもかかわらず一人あたりの水使用量を他の自治体と比較して過大に設定し、一方で、2)多摩地域の地下水や多摩川上流で持っている小水源を算入せず、浄水場の漏水量を過大に差し引くことで、保有水源を過小評価して、新しい水資源が必要であることを演出しているという。同日、元都水道局職員の遠藤保男氏もまた、3)砧浄水場では水利権の3分の1しか取水していないこと、4)かつて汚染で取水を中止した玉川浄水場での取水再開も可能であること、5)毎年夏に一日最大配水量を人為的に作り出す日があったことをあげ、それらはすべてダム参画のための操作だったと感じていたと敢然と告発した。

 八ツ場ダム住民訴訟は、国交省が進める八ツ場ダムの事業費を、水需要も税収も増加しないとすでに明らかだった2003年に、2110億円から4600億円に増額したときに始まった。1都5県(東京、埼玉、千葉、群馬、栃木、茨城)の負担金計2679億円の支出差し止めを求めている。各都県での審理はもちろん、共有する論点(治水計画、環境アセスメント、八ツ場ダム湛水域斜面の地すべり、公共事業が止まらない組織構造)については、それぞれの専門家が各地裁に共通の意見書を提出して審理を進めている。ここに記したのは、4年に渡る原告とその証人たちによる審理のほんの一コマでしかない。(すべての裁判資料は八ツ場ダム訴訟ウェブサイトhttp://www.yamba.jpn.org/で見ることができる。)

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2008年8月23日 (土)

淀川水系の「予防原則に基づく川づくり」の運命

環境情報雑誌グローバルネット20087月(212号)より許可を得て転載。

淀川水系の「予防原則に基づく川づくり」の運命

                                   ジャーナリスト・まさのあつこ

「ダムは、自然環境に及ぼす影響が大きいことなどのため、原則として建設しない」との提言で、淀川水系流域委員会(流域委)が一世を風靡したのは2003年1月。流域委設置から7年の今、議論の積み上げが守られるか、旧態依然の河川行政手法に崩されるかの瀬戸際にある。

●予防原則の川づくり

国土交通省近畿地方整備局(整備局)の諮問機関、流域委の提言は、ダムを否定したわけではない。「考えうるすべての実行可能な代替案の検討のもとで、ダム以外に実行可能で有効な方法がないということが客観的に認められ、かつ住民団体・地域組織などを含む住民の社会的合意が得られた場合にかぎり建設する」と条件をつけた。

「治水」「利水」で川を抑え込んだ河川行政に、1997年河川法改正以来、初めて個別の水系で「環境」とダムの関係が明示された。「環境変化の多くはある時点で突然顕在化し、その変化は不可逆的でかつ時間が経つにつれてその影響が大きくなることに多い事実に鑑み」と、「予防原則に基づく川づくり」が掲げられたのだ。

住民参加のあり方も群を抜いて秀でていた。関係住民や学識経験者の意見を聴かなければならないとする「河川法16条の2」を最大限に生かし、20012月の設置から提言発表までに165回近くの委員会や部会などを開いた。地域特性に詳しい者も学識者とし、傍聴者にも発言させるなど画期的な参加方式を実践した。

●「つぶし」と「巻き返し」

流域委「つぶし」と見られる動きが顕著になったのは200610月だ。本省河川局の布村明彦河川計画課長が近畿地方整備局長に就任直後、流域委の休止を発表した。しかし世論の反発は強く、整備局は次期流域委員を公募せざるを得なくなった。しかし、前流域委はあえてダムに批判的な第三者委員を含む準備会議や推薦委員会に委員を選ばせて行政不信を防いだのに対し、新流域委では公募はしたものの、その中から委員を選んだのは整備局だった。

誤算は、1999年から淀川工事事務所長を務め、流域委を設計した宮本博司氏本人が本省ポストを捨てて、京都府住民として舞い戻っていたことだろう。宮本氏は公募委員となり、20078月に再開された流域委において投票で委員長になった。

同月、整備局はダム計画を復活させる「淀川水系河川整備計画原案」を提示した。堤防強化で破堤による壊滅的な被害を回避・軽減することを最優先する流域委の考えとは違い、ダムによる水位低下を優先させる従来の河川行政に逆戻りした原案だった。

その後、流域委が要求したダムの必要性の根拠を示す資料を整備局が出してくるまでには数ヶ月がかかった。出てきたその資料によって、たとえば利水者の撤退により治水目的のみでは経済的に不利であるとして「当面実施しない」はずが復活した「大戸川ダム」は、想定通りの洪水が来た場合でも、下流淀川の水位を低減させる効果は最大19センチしかないことが判明した。しかも、過去の洪水パターンに当てはめると33洪水中の2洪水しか水位低減の効果がないことが分かった。

「ダムの効果が限定的で小さくても作るべきか」の問いに、大半の委員が「否」と判断を下した。そこで流域委は今年4月25日、「現段階においてダム建設の『実施』を河川整備計画に位置づけることは適切ではない」などとする中間意見を提出し、原案の見直しを求めた。24名の委員のうち1人が「限定的でない」と追加意見をつけた。

●住民参加コストは6年で21億円

整備局は追加意見以外を無視。流域委の最終意見を待つこともなく、8月末の政府予算案の概算要求に間に合わせるべく、620日に整備計画案を関係知事に提示した。見切り発車だ。これには、宮本委員長が抗議、歴代委員長の三名は連名で「河川管理者は、流域委員会の(略)意見を十分配慮・反映して河川整備計画案を作成する法的義務を負っている」と声明を出した。

傍聴を続けてきた住民団体も「諮問機関として設置された流域委を全面否定するものであり、到底許されない暴挙」(宇治・世界遺産を守る会)、「整備計画案を早急に撤回し、委員会審議を継続し最終意見書を求めることを強く要望する」(淀川水系のダムを考える大阪府民の会)と猛批判した。

ところが、冬柴鐵三大臣は同20日の会見で、「6年間で所要額21億を超える経費がかかっています。(略)最終的に破堤をしたとか、大洪水に見舞われたときに、誰が責任を負うのか」と見切り発車を擁護した。しかし、「河川に関わる公共事業に莫大なムダや収賄など不正行為があるなかで、国民は新たな川づくりに挑戦した淀川流域委の7年間/656/23億円の取り組みに要した民主主義コストを「高すぎる」と考えるだろうか」と川上聰・流域委副委員長は反論する。

●カギを握る大阪、滋賀、京都の知事たち

一方、国が行う事業に有無を言わせず関係自治体に出させる負担金こそ大きい。

大阪府財政課によれば、2008年度の一般会計予算で1100億円の削減を進める府に、現在、国が求めている負担金は1年で411億円。06年度は368億円、07年度は384億円と年々増加している。このうち国が府に求める直轄ダムの負担金は08年度だけで約15億円だ。

ところが、整備局河川部の井上智夫河川調査官は、「その額は関知していない」と言う。「ダムの費用負担は法律上で73となっており、滋賀、京都、大阪など関係府県が地方分をどう負担するかはまだ決まっておらず、今後どうするかは調整の結果」と言う。独立行政法人水資源機構が行うはずだった丹生ダムが、全利水者の撤退から国直轄の治水ダムに変更されるなどにより、予算配分や具体的設計が未だ流動的だからだ。20~30年の河川整備計画案としてダム事業を組み込みながら、実は整備局も知事も何も分からない。明細書なしで金額もはっきりしない請求書が、国から自治体には送られている状態だ。

橋下徹・大阪府知事は「負担金については不明な部分が山ほどある」「高齢者配慮がままならない中で、流域の問題にどうお金を使うかと考えると優先順序が(国と地方で)一緒になるわけがない」と会見で語り、負担金支払いに難色を示した。嘉田由紀子・滋賀県知事は「被害想定が過大。必要性について納得できたわけではない」。山田啓二・京都府知事は「(流域委の)結論が出ていないのにその前に我々が意見を出すのはヘンな話」と、TVカメラの前で口々にクレームをつけた。

1997年以降、河川局が治水政策を転換しかけていた時期もある。20006月、国交省河川局治水課が、「河川堤防設計指針」で「越水に対しても一定の安全性を有するような堤防(難破堤堤防)を整備する必要がある」と定めたのだ。ダムありきの河川行政から、越流しても破堤で破壊的な被害を出さない流域委の考え方とも整合する。しかし、その後、この指針がこつ然と取り消され、再び「ダム優先」政策へ戻った経緯がある。行きつ戻りつの転換を促す役割を今担うのは知事であり流域住民であり国民である。

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小豆島の風景を掻き乱す内海ダム

環境情報雑誌グローバルネット20086月(211号)

から許可を得て、転載します。

小豆島の風景を掻き乱す内海ダム

                           ジャーナリスト・まさのあつこ

「二十四の瞳」やオリーブで有名になった瀬戸内海の小豆島(香川県)には、他にも観光資源がある。名勝「寒霞渓」だ。ところがこの寒霞渓から瀬戸内海国立公園を見下ろす景色の真ん中に進行中のダム計画がある。貯水量14万トンの小型の内海(るび:うちのみ)ダムが、その7倍の規模に再開発される計画だ。

46年前の越流の記憶

「ナイアガラの滝のようでした」と現在のダムが1961年の大雨で越流したときのことを、ダム直下の北区地区に暮らす「寒霞渓の自然を守る会連合会」の山西克明会長は語る。「洪水吐ゲートを操作すべき職員が不在でした。あのダムの壁は石段のようにデコボコで見栄えの悪さを隠すために壁に石やドロを詰めていた。それが越流した水もろとも下流に流れてきて、田んぼや畑や家が浸かりました」と言う。見たこともない光景にダム決壊を恐れ、住民が「決死隊」を組織して命綱として腰ひもを巻いてゲート操作に行った。「住民は怯え、ダムを改修して欲しいと町を通じて県にお願いをしたんです」。それが今回の新しいダム事業の発端ではある。

当時を間接的に知るだけの香川県職員(内海ダム再開発建設事務所)は、「見栄えというより、水道専用ダムとして作ったものを治水ダムに嵩上げをしたときに、ダム下流側に補強のために盛土をしたのが下流に流れた」と言うからなお恐ろしい。「ゲート操作が間に合わず、急峻なのですぐにあふれたと聞いている」と、「不在」を「間に合わなかった」と言い換えて、暢気な調子で46年前の話が後任者に語り継がれている。

問題は、恐怖体験に基づく改修の要請を、県がこの後1996年まで放置したことだ。理由を現在の県担当者に聞けば、「完成後わずか2年だった。まだダムのないところを作るのが優先だった」と平然と言う。

ところが、県のダム推進のパンフレットには「内海ダムの上端から水があふれ、ダム斜面が崩壊する被害」に会い、「地元住民は抜本的な治水対策を強く望んでいます」とちゃっかり越流事件を持ち出して利用している。しかし崩壊が人災だったことも放置の事実にも触れていない。また、現職員は「1976年に5箇所の堤防が切れて床上浸水436戸、床下浸水273戸の被害があった」と別の根拠も持ち出すが、その時点からですら「ダムは安全」と言われ、20年放置された。住民はそれを忘れていない。

●河川法改正後も住民にウソ

改修話は阪神淡路大震災の翌年に来た。199611月に内海町(現在は小豆島町)議会に内海ダム特別委員会が設置された。山西さんは「地区の委員をしていた私のところに、当時の町長と議長、それに特別委員会の委員長になった森口さん(森口達夫元町議)がやってきて『県が修理をしませんか』と言ってきたがどうするかと言う。住民に話をすると、『今まで放っておいて何を言う。もう触らんとってくれ』と。しかし、ダムの位置も規模も決まっていない、合意ができるまで強行に工事をするようなことはしないと言うから、と取りなしたんです」と思い出す。

ところがこれは裏目に出る。取りなしで開催された「ダム説明会」では、確かに「位置も規模も決まっていない」とされたのだが、結果的にウソだった。ボーリング調査を進めるための既成事実化を目指した言い回しだったのだ。

以下は、細かい話ではあるが記録をしておきたい。

筆者の取材に対し、県の内海ダム再開発建設事務所は1996年の段階で平然と「位置も規模も決まっていた」と認めた。ただし数時間後に「訂正があります」と電話があり、「1996年に90tと決まっていましたが、これは県内部で内々に決めていたことです。町には内海ダム特別委員会がありましたが、事務局側だけが知っていました。1997年に実施計画調査を行い、正式に106tと決まったのは1999年です」と言う。 

森口元町議は「後々考えると、最初から決まっておったんでしょう。90t106tになったのは単なる数字遭わせでしょう。私は真鍋知事と一緒に国に陳情に行ったこともある。分厚い封筒を持っていっとった。中身は見せてもくれなかったし、見せろとも言わなかった。特別委員会は非公開でボーリングの場所を示したスケッチを見せてくれることはあったが回収された。後で考えれば、ボーリングの場所を結んだ線がダムの位置だった」と振り返る。

後に、町長と議長(各当時)は「当初から(1996年に)分かっていた」と公言するようになるが、森口元議員は「町長も議長も皆騙されていた」とまで言う。19998月の町議会の時点ですら「地元住民としては補修改修であれば、納得すると思う」という質問に対し、「ダム本体の位置や規模、道路計画などについて、近々に建設省のダム基本検討委員会等で決定される予定です」と町長自身が言い張っていたことが議事録に残っている。県が規模や位置を含めてダム計画を発表したのはその4ヶ月後だ。

確かなことは当局が、住民には「改修」と説明しながら、粛々と巨大なダム計画を進めていたことだ。そんなことが、1997年に河川法が「住民の意見を聴く」と改正された後も行われていた。

●尾根をまたぐ平べったいダム

この巨大ダム計画は前代未聞の要素を含んでいる。

「寒霞渓」(標高671m)から流れ出る全長たった4kmの別当川のど真ん中、2km地点に現在のダムを沈めるという計画だ。堰堤の高さ42mに対し、横幅は10倍の423m、しかも尾根をまたぐ変形ダムとなる。通常のダムは一つの谷間を堰き止めるが、内海ダムは二つの谷にまたがるのだ。直下に3つの断層が走るとされている。

住民の気持ちが受け止められる様子がないまま、03年1月、様々な地区の住民で構成される「ダム対策協議会」でダム直下の代表9名のうち5名が反対する中、強引に「合意」が形作られた。山西さんたちは真鍋知事に「感情的になっている」と言われ、042月に反対の科学的論拠を提出したが、県知事からの応答は現在に至るまでない。

県は現在、2011年の完成を目指し、ダム直下の住民が持つ土地を強制収用するべく、土地収用法に基づく事業認定を申請中だ。「完全同意」という約束をほごにし、高齢化する住民をさらに苦しめていく。事業認定申請に伴う公聴会が627日と29日に行われる予定だ。

053月、「内海ダム景観検討委員会」は事業の基本理念を「人と水と緑がつくる安らぎとふれあいとにぎわいのあるダム」と定めた。しかし、この島の片隅で半世紀に渡って起きたのは、住民不安の放置、ウソ、そして強制収用という真逆のできごとだ。

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2008年6月11日 (水)

天塩川の絶滅危惧種を救えない河川法でよいか?

以下は、「グローバルネット」((財)地球・人間環境フォーラム発行)での連載「川、開発、ひと 日本の経験 アジアの経験」 (20084月発行)より許可をいただいて転載。

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天塩川の絶滅危惧種を救えない河川法でよいか?

昨年秋、サクラマスの産卵が終わり、紅葉も終わりかけた10月下旬に北海道を訪れた。サンル川である。日本海へ注ぐ天塩川(てしおがわ)の支流、名寄川(なよろがわ)の更に支流だ。「サンル」とはアイヌ語で「浜に出る越路」を意味する。アイヌ民族にとってサンル川は、オホーツク海へ出る通り道だったのだ。冬になると気温が零下30度にも40度にも下がるこの極寒の地、下川町で、今、急速に現実味を帯びているのがサンルダム建設計画だ。国土交通省北海道開発局(開発局)が進める総事業費530億円の多目的ダム計画である。

100年生きるカワシンジュガイ

この支流および本流一帯は、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧種に登録されているカワシンジュガイの生息地である。カテゴリーは類(VU)。つまり「絶滅の危険が増大している種」だ。100年生きる長寿の二枚貝で、大きなものは十数センチになる。

下川町で出会った釣り師は、「昔は全国あちこちの川で見られた。最近では大きなものはまだいるが、小さいものはこの川とあと何本かの川にしかいない」という。小さな貝がいないのは、新しい世代が育っていないことを意味するのだという。「カワシンジュガイの幼生は、この辺ではサクラマスのエラに寄生して川を移動する。サクラマスは礫と砂が混じった河底を好んで遡上・産卵する。ダムができたらサクラマスは遡上せず、カワシンジュガイもいなくなる」と予測する。

全国を釣り歩く釣り師が生き物を見る目は確かだ。環境省の生物多様性情報システムには「福井・島根・山口の各県では絶滅したと考えられている。(略)北海道や東北地方でも、健全な個体群が残っているのは、サケ科魚類が現在でも多数遡上できる一部の河川だけである。それ以外の生息地では幼生の宿主が少ないため、たとえ成貝が多数生息していても世代交代がうまくいかず、絶滅の危機にある」と明記され、その原因の一つには「ダムや堰の建設によるサケ科魚類の遡上阻害」があげられている。

河川法の運用実態

 これほどまでの生物が、実は、200211月に策定された天塩川水系河川整備基本方針には一言も触れられていない。河川整備基本方針は100年の川の姿を決定づける方針である。1997年の河川法改正で新しく加わり、「河川環境の状況を考慮し」「環境基本計画との調整」を図って定めなければならないとされたにもかかわらずだ。

無理もない。この方針を決定づけた河川整備基本方針検討小委員会(小委員会)には学識経験者18人中、環境分野からは二人しか参加していなかった。一人は独立行政法人国立環境研究所理事の肩書きを持つ厚生省OB、一人は財団法人山階鳥類研究所所長で、天塩川の河川環境を知る人材ではない。

国交省が選んだ「学識経験者」が居並ぶ小委員会は、釣り師未満の委員構成だ。これが改正河川法の運用実態だ。

基本方針を元に、2030年の計画とされる河川整備計画が策定されたのは昨年10月。サンルダム計画が盛り込まれ、カワシンジュガイについては「サクラマスとあわせてその生息環境の保全に努める」とされた。しかし、あくまでダム建設が前提で、保全が前提ではない。

治水はダムなしで達成、水需要は1.5リットル

一方で、ダム建設の根拠は脆弱であることが、住民団体や環境保護団体に指摘され続けてきた。昨年12月と今年1月に紙智子参議院議員が出した質問主意書(文書による国会質問)は、洪水対策の目標はすでにダムなしで達成されていることを明らかにした。開発局は計画の目標を、「戦後最大規模の洪水流量により想定される被害の軽減を図ること」としていたが、実際の「戦後最大」の19738月の洪水では、対策区間で破堤(決壊)は起きていなかったのだ。

しかし、河川整備計画を策定する際に開かれた流域委員会では、戦後最大の洪水が起きたときには、「流下能力の不足箇所では、破堤等がどこでも起こりうる」と事実とは違う想定になっていた。そこで、紙議員が「開発局が『破堤等がどこでも起こりうる』とする根拠」を問うと、政府は「流量が河川の流下能力を超える箇所においては、破堤のおそれがある」と繰り返すだけだった。

ダム計画のもう一つの根拠は利水だが、「ダム推進」を訴える下川町が求める水道水の新たな取水量は毎秒1.5リットル。牛乳パック1.5本分である。昭和30年代に15千人いた人口は減少を続け、現在は4千人を切った。将来はより少ない人口で水道料金の増加分を負担することになる。名寄市の取水分、毎秒17.5リットルを足してもわずかであり、なぜダムでなければならないかと「下川自然を考える会」「北海道自然保護協会」など地元13団体が開発局に問うても明確な説明はない。

変更手続の最中に再評価 

開発局の説明意欲が低いことは取材を通しても驚かされる。河川整備計画の決定後、開発局は、2008年度完成予定だった工期や事業費などを変更せざるを得なくなり、現在、特定多目的ダム法に基づく基本計画の変更手続に入っている。

事業費の15%を負担しなければならない北海道は、高橋はるみ知事がすでに昨年9月、変更案に意見を伏して同意した。意見には「事業費と工期の厳守」(道河川課)が含まれていた。

ところが開発局サンルダム工事事務所に基本計画の変更内容を聞いても、「関係省庁と協議中であり確定していない」と、すぐには変更案を明らかにせず、数日後に事業費2億円の削減と工期5年の延長だと明かした。

そんな中、政策評価法に基づく事業再評価は昨年12月に済ませて、継続する方針を出していた。新しい基本計画も固まらないうちに、策定した河川整備計画を内部規定に基づいて事業再評価を行ったものと見なしていたのだ。驚いたことに、この内部規定のことも計画の策定がそのままサンルダムの事業再評価になることも関わった委員たちには知らされていなかった。

河川整備計画策定後に招集された「天塩川魚類生息環境保全に関する専門家会議」では、「カワシンジュガイの幼生は、(略)微妙な河川環境の変化や宿主魚の資源変化によって、間もなく個体群が絶滅することがある」と警告する委員も参加している。100年生きるカワシンジュガイの生息環境を守れる方針でなければ新しい河川法の趣旨は貫けない。根拠の脆弱なダム事業の必要性を再度見直す価値がサンル川にはある。 

(まさのあつこ)

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肱川の知恵を狂わせる山鳥坂ダム

転載が遅くなってしまいましたが、以下は、「グローバルネット」((財)地球・人間環境フォーラム発行)での連載「川、開発、ひと 日本の経験 アジアの経験」 (20082月発行)より許可をいただいて転載。

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肱川の知恵を狂わせる山鳥坂ダム

川が溢れることを前提に人々が暮らしを重ねてきたことが、この川ほど一目で分かる川はない。四国の北西に位置し、瀬戸内海に流れ出す肱川(ルビ:ひじかわ)(愛媛県)だ。ここには、国土交通省が2019年完成予定、総事業費850億円で押し進める山鳥坂(ルビ:やまとさか)ダム(大洲市肱川町)計画がある。1996年には地元の大洲市議会がダム建設反対の住民請願を全会一致で採択し、2000年には与党による公共事業の見直しで中止が勧告された。

その後、政治的な巻き返しで復活したが、利水の受益地の反対で油余曲折し、結局のところ、20045月に策定された肱川水系河川整備計画において、従来通りの多目的ダムから治水ダムへと変更されて位置づけられた。問題は、利水目的を失った後も、この計画を進める意味があるのかということだ。

治水の自治の原点

肘の形をしている本流へ流れ込む支流の数たるやおびただしい。国交省が作った30万分の1の小さな流域図でさえ49本を数えることができる。そのうち43本が流れ込む下流の盆地が大洲平野だ。なだらかで溢れて当たり前の地形だが、案の定、この場所が洪水に会うことがダム推進の主な理由にされている。

しかし、実際に訪れると、溢れることを前提に、さまざまな知恵が息づく土地柄であることが見えてくる。

ある川沿いの畑には、境界線代わりに木が植えてある。洪水で浸かっても自分の畑が分かるようにするためだ。付近の川岸には豊かな竹林が続く。地図で見るとその理屈が分かる。そこは支流・矢落川が流れ込む対岸だ。竹林で川を受け止め、勢いを失った川が畑を満たす。緩やかな洪水であるため、木が生えたまま持ちこたえる。その先に山があり、山を背景に人家を建てる。見事な知恵だ。

江戸城下町の名残をとどめている大洲市街地でも、溢れることが前提の川との付き合いがある。古い家は石垣の上に建てられている。それに比べ、最近建ったと思われる新しい家々は地面にべったりスレスレに建つ。

案内をしてくれた大洲市議の有友正本さんは「昔の人はよう分かっとったんです」と目を細める。また、「地元の人ならそこには建てんやろと思うところに配送センターを建てた飲料メーカーが、ここにはありました」と見せてくれた先には転出跡がある。「ここも浸かりました」と指差すコンビニの数メートル裏手には、山際の小高いところに古い家が石垣の上に建っている。溢れることが日常の地域だからこその知恵と、その知恵の断絶が同時に見える町である。

生活実感からのダム不信

ダム計画の存在は、治水効果の有無とは関係なく、地元住民の感情に突き刺さっている。市街地のほとりにある「なげ」を見ていたときのことだ。「なんぞあるか?」という声で振り向くと好奇心をみなぎらせたおじさんが声をかけてきた。「なげ」とは、江戸時代から伝わる石積みの船着き場で、川の中に突き出し、水の勢いを緩める洪水対策にもなっている。山鳥坂ダム予定地へ向かうところだと言うと、「建設省のバカタレが」という言葉を皮切りに、昭和35年に肱川上流に鹿野川ダムができてから、いかに川がダメになったかを語り始めた。泳ぎも遊びも釣りも食料も川がすべてだった毎日を奪われたことに、今でも腹を立てている。昭和7年生まれだという。

 車でさらに上流に進むと小高い根太山が右手に見え、菅田地区へ入る。地図で見ると、かつて川筋が根太山の向こうとこちらとに動いていたが、今はたまたま向こう側を流れているのかと思うような地形だ。地質が固いのか、川筋は狭く、ここで起きる洪水は独特だ。

「狭窄部でせき止められて、だんだん下流から川に水が貯まる。上へ上へと満ちていって川一杯になると、今度は上の方からわっと田圃の中へ溢れてきよったんです」と有友さんは言う。ところが、ここでもかつては無かった被害が起きている。

一つは、溢れた水が田圃を浸した後に達する根太山のこちら側だ。「そこに宅地を造ろうとしている業者に『そこは浸かるよ』と昔から住んでいる人が忠告してあげたらしい。でも知らずに買わされた人が被害を受けた。人災ですよね」と有友さんは嘆く。

一つは、鹿野川ダムができて以来の変化だ。菅田に住む80代の主婦は声をとがらせて言う。「川が一杯になって堤防を越そうかというときにダムを抜くんです。ああいう時になんでダムを抜かんといかんのか」

「ダムを抜く」とは、国交省がダムを守るために各地のダムで行っている「ただし書き操作」のことだ。想定を超えた洪水が起きると、ダムの決壊を防ぐために、流入する量と同量の水を一気に流し始める。肱川で、20048月、10月、20059月に行った。「昔は川の水を見とったらそろそろ溢れるなぁ思うて予防ができとったんです」と主婦の言葉は尽きない。ダムができてからは、「ダムを抜く」と一気に水が上がって家が浸かるという。

溢れさせる治水は国交省ですら始めた。四国地方整備局大洲河川国道事務所の井上水防企画係長によれば、「被害の大きかった1995年の洪水規模を越えたら溢れさせる高さ7メートルの堤防」を本流に合流する矢落川に作った。「上流を締め切ると下流の氾濫を大きくするので」という考えだ。さらに下流では「宅地のかさ上げ事業」もやっているという。

実態にそぐわない山鳥坂ダムありき

 ところが、こうした現実とは裏腹に、山鳥坂ダムありきで机上の計画は進んできた。河川整備の策定のために200310月から043月まで、4回の流域委員会が開かれたが、流域自治体の長と学識者の半々で構成され、ダム計画が容認された。住民意見は、地域別に1度ずつの意交換会と1回きりの全体公聴会で、聞き置かれて終わりだった。

20058月には環境影響評価の手続が始まった。しかし、その検討業務が開始された2001年には確認されていた事業実施区域内でのクマタカの繁殖行動が、2002年からは消えた。その後も調査区域内には確認されたものの、同じ猛禽類のオオタカ・サシバが生態系の上位に位置する「上位性注目種」とされた一方、クマタカは希少性を評価する「重要種」にしか位置づけられなかった。根強い不信感が渦巻いているが、2001年から環境影響評価の検討業務を受注してきた(財)ダム水源地環境整備センターの役員5人が国交省からの天下りだからでもある。

山鳥坂ダムの集水域は流域面積の5%に過ぎず、治水効果すら疑問視されてきた。計画の既成事実化は進むが、漁業権を持つ肱川漁協など流域漁協が明確に反対の意思表示を示している。失う前に、残すべき知恵は何か、慌てずに見極めるべきではないか。

まさのあつこ「グローバルネット」20082月号((財)地球・人間環境フォーラム発行)

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以上、週刊金曜日「愛媛県・山鳥坂ダムアセスの担当者は『環境の素人』だった?」(200844日)も合わせてお読み下さい。

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